2019年06月25日

大阪散歩20190531_新発見!!こんなところに有形文化財:一心寺へ

5/31(金)、予定していた仕事が無くなったので会社を臨時休業として参加した
「鶴橋駅長お薦めフリーハイキング・新発見!!こんなところに有形文化財」
今年21回目となるハイキング参加記録です。

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四天王寺の中央伽藍はさくっと過ぎて次に向かいます。

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転法輪

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石鳥居を出て、逢坂を少し下ると、左手に一心寺

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ここも何度も訪れていますが、中に入ってみます。

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仁王門(山門)
彫刻家神戸峰男さんによる阿形像・吽形像がダイナミックですね。

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開山堂の後方にはハルカスが顔をのぞかせてますね。

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ここに来ると、本多忠朝の墓を探します。

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この寺には大坂夏の陣の天王寺・岡山の戦いで最前線に立ち討ち死にした本多忠朝の墓所があるが、彼は酒を飲んでいたため冬の陣で敗退し家康に叱責され、見返そうと夏の陣で奮戦したが討ち死にし、死の間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれることから「酒封じの神」とされるようになった[1]。今でも墓所には禁酒を誓う人がよく詣でている。
(Wikipedia「一心寺」より)

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修復工事中の大本堂脇より久しぶり納骨堂へ回ってみました。
ここより墓地を通って境内を抜けて次に向かいました。


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2019年06月24日

大阪散歩20190531_新発見!!こんなところに有形文化財:四天王寺

5/31(金)、予定していた仕事が無くなったので会社を臨時休業として参加した
「鶴橋駅長お薦めフリーハイキング・新発見!!こんなところに有形文化財」
今年21回目となるハイキング参加記録です。

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何度も来ている四天王寺、久しぶりに四天王寺学園の北側の門より入ります。

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地蔵山
釈尊入滅より弥勒仏出現に至る無仏の世(56億7000万年前の間)に、神力・慈悲・智慧・弁才の力を以って人々を救済するといわれる私達に最も近い存在である地蔵菩薩をお祀りする。
当堂は明治時代に近郷及び境内諸方より集めた有縁無縁の地蔵尊を、中之門を入った南側の小丘に合祀したのが始まりである。本尊「立江地蔵尊」は古来眼病に霊験ありとあつく信仰されている。
(四天王寺ホームページ「境内ご案内」より)

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無縁仏さんの上に「安政地震津波碑」があります。

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安政地震津波碑
安政元(1854)年十一月四日・五日の両日に相次いで発生した安政東海地震と同南海地震による犠牲者を供養し、津波被害の状況を後世に伝えて警告するため、町人一同によってその翌年秋、四天王寺に石碑が建立された。
現在、この石碑は無縁墓の最上段に置かれているが、もとは元三大師堂の前の池端に独立して建てられていた。 大阪を襲った大災害の記録として重要な意味を持っている。
(現地案内板より)

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元三大師堂に入ってみました。 ここに来るのは初めてですね。

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茅の野輪がありますね、1日早めかな。

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元三大師堂
元三大師をお祀りすることからこの名が付けられたお堂で、元和4年(1618年)の建立です。元三慈恵大師良源は第18代天台座主であり、叡山中興の祖といわれています。また、おみくじの創始者でもあります。
現在は、元三大師、弘法大師、文殊菩薩、普賢菩薩、如意輪観世音菩薩、不動明王を安置しています。毎月3日の例月祭の他、1月3日には新春合格祈願護摩供が厳修されます。
(四天王寺ホームページ「境内ご案内」より)

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元三大師堂を出て中央伽藍の方へ四天王寺学園の脇を歩いていると、
ピアノ伴奏で女学生のコーラスが聞こえてきました。
小津安二郎の映画のシーンのようでした。

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2019年06月23日

京都フィロムジカ管弦楽団 第45回定期演奏会

日時:2019年6月16日(日) 14:00開演(13:00開場)
場所:大津市民会館・大ホール

曲目:ベルリオーズ/序曲「海賊」
   シューマン/交響曲第4番(1841年版〜初稿〜)
   ニールセン/交響曲第2番「四つの気質」

指揮:木下麻由加

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ニールセン、音の密度の濃さが他とは違っていましたね。 ニールセンなど北欧音楽を研究されている木下さん、自家薬籠中の曲でしょうか。 オケもまた弦楽器の編成が 9-7-6-7-4 と小型ながらも、伸び伸びとよく鳴らした熱演でありました。

第1楽章冒頭、あれよあれよという快速で進行しましたが、オケの響きに芯と艶もあって、キレ味抜群の目が回るような見事な開始。 エネルギッシュな音楽が展開で引きづり込まれました。 指揮者とオケの自信の現れでしょう。 第2楽章は掴みどころのない曲調を、木下さんが身体全体を使ってうまくコントロール。 ファゴットやホルンも健闘していました。 第3楽章、重厚な響きに粘りも加えてシンフォニスト・ニールセンの面目躍如たる演奏。 素晴らしかった。 低音楽器の粘りに対して、高音弦は数が少なくて不利だったでしょうが、音量を上げてもヒステリックになることなく、常に艶やコクも感じさせる巧さが印象的でした。 終楽章、軽快にスタート、木下さんは細かなニュアンスつけながら駆けてゆき、ティムパニと弦との呼応、引き締まったブラスで盛り上げたあと、フィニッシュ前にはヴィオラと2ndヴァイオリンによる陰鬱な音楽。 このあと行進曲調としてキレのよい着地でした。 シンフォニスト・ニールセンを堪能しました。 これならアンコール無しも納得です。

これに先立って演奏されたシューマンの交響曲第4番(1841年版〜初稿〜)は、いくつか録音を持っていて、またよく聴く好きな曲であることもあって、少々辛口な印象。 前半の2つの楽章は、噛んで含めるような感じに思え、もうちょっとここで粘って欲しい・・・など思いつつ、さらさらっと進んでいった感じ。 後半の2つの楽章は、こなれてきたせいでしょうか、オケの響きに粘りも出てきたようです。 力強い第3楽章ではホルンがいい感じで割って入ったり、たっぷりとしたオケと引き締まったコントラバスの対比も良かったですね。 アタッカで終楽章にはじっくりと腰を据えて入り、力強く弾む主題。 そして軽やかに駆けてゆきますが、キレのよい高音弦を始めとして、弦パートの分離も良いのですが、全体の響きにくぐもったシューマンらしい雰囲気も漂ってきました。 力強いティムパニが入って堂々たるフィニッシュでした。 シューマンの交響曲ってきちんと整理されて演奏されると面白味半減、みたいに思っている当方には前2楽章は物足りなかった、と偉そうにすみません。

冒頭のベルリオーズの海賊が、オケの機能の高さを証明したような演奏。 ここも丁寧でよく纏まった演奏でした。 明るく元気に、どことなくディズニー音楽っぽくもあったりもして、よく纏まった巧い演奏でした。 が、それだけ、ってな感じもしましたが、オープニングの掴みは上々ってな感じに思いました。

何といってもニールセンを聴いてしまえば、前2曲は所詮「前座」の趣き無きにしも非ず、だったでしょうか。 それにしてもいずれも巧い演奏でしたね。 皆さんお疲れさまでした。



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2019年06月22日

大和四寺巡礼シリーズ3・岡寺、石

亀石、鬼の俎(まないた)、鬼のせっちん
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大和四寺巡礼シリーズ3・岡寺、到着

やって来たよ八分音符
岡の中腹にあるので「岡寺」、正式には「龍蓋寺」八分音符
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大和四寺巡礼シリーズ3・岡寺、石舞台

石舞台古墳も通り過ぎ、岡寺まで登ります!
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大和四寺巡礼シリーズ3・岡寺、橘寺

今日はここには寄らず、先を急ぎます。
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大和四寺巡礼シリーズ3・岡寺、高松塚

高松塚古墳を廻って橘寺へ向かいます八分音符
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大和四寺巡礼シリーズ3・岡寺

今日は飛鳥駅より岡寺目指して歩きます八分音符
暑いなぁ太陽
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2019年06月21日

大阪散歩20190531_新発見!!こんなところに有形文化財:愛染堂勝鬘院へ

5/31(金)、予定していた仕事が無くなったので会社を臨時休業として参加した
「鶴橋駅長お薦めフリーハイキング・新発見!!こんなところに有形文化財」
今年21回目となるハイキング参加記録です。

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金台寺より松屋町筋を南下し萬福寺の前に「新選組大阪旅宿跡」の碑

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 新撰組は幕末期、近藤 勇に統括された、京都を本拠とする浪士集団です。
 幕末の京都は、江戸にかわって久しぶりに日本の政治の中心地となっていました。
 それは、京都にあった一橋慶喜(禁裏御守衛総徳県摂海坊察指揮、のち15代将軍)松平容保(会津候、京都守護職)・松平定敬(桑名候、京都所司代)が、孝明天皇に強く支持されて権力を握ったからです。これを「一・会・桑 権力」と呼びます。
 その松平容敬に新撰組は所属し、「一・会・桑」の政敵、長州毛利家の志士たちと戦いました。元治元年(1864)、池田屋事件・禁門の変などで大きな軍功をたてたことはよく知られるところです。新撰組は「一・会・桑」を助けた最強軍事集団といえます。
 近藤勇らは、京都に本拠地をおくとはいえ、もともと畿内に滞在する将軍徳川家茂の護衛と、大坂を含む長い海岸線(摂海)の防衛に携わるために江戸より西上してきた者なので当初より将軍の大坂城滞在のときなどは、たびたび大坂に出張していました。
 その際に使用された旅宿のひとつが、ここ萬福寺です。
 たとえば幹部島田 魁の手記によれば、慶応元年(1865)5月、将軍家茂の3度目の西上にあわせて、新選組は大坂市中取締を命じられています。
 その時期の大坂奉行所の発した文書によれば、「壬生組」が萬福寺を宿所にしています。
 すでに同年3月、新選組の本拠地は、当初の葛野郡壬生村から西本願寺境内へ打合せ打合せ移っていましたが、この「壬生組」こそが新撰組のことと思われます。
 実際、同年7月1日付、幹部井上源三郎から兄井上松五郎に宛てられた書簡によれば、前月中に松五郎が萬福寺に源三郎を訪ねています。たまたまそのとき、源三郎は京都に戻っていて会えませんでしたが、この書簡からも大坂滞在中の新撰組の旅宿のひとつが萬福寺だったことがわかります。萬福寺の現在の建物のうち、庫裏や山門などは幕末期には存在しており往時をしのぶことができます。
 以上のことから、当所を大阪市内における新撰組史蹟のひとつとしてここに建碑し、顕彰したします。  
                      2010年6月
                      歴史地理史学者 中村武生

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松屋町筋を更に南下して愛染坂へ向かいます。 

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愛染坂を登ります。

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愛染堂勝鬘院に到着、さっそく中に入ります。

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多宝塔は、ようやく修復工事に入ったようですね。

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愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)
日本最初の社会福祉施設、施薬院(せやくいん)として建立されました。その施薬院で聖徳太子が勝鬘経(お経)を講義したことから勝鬘院と呼ばれます。境内には、豊臣秀吉が再建した多宝塔(国の重要文化財)や徳川秀忠が再建した金堂(府指定文化財)があり、金堂には本尊として良縁成就や夫婦和合で有名な愛染明王が奉安され、愛染堂としても親しまれています。また、小説「愛染かつら」のモデルになった縁結びの霊木「愛染かつら」が境内にあることでも有名です。
(ハイキング・パンフレットより)

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