2019年09月12日

大阪散歩20190908_八尾河内音頭まつりウォーク:久宝寺寺内町

7・8月は猛暑のため近鉄ハイキングの設定がありませんでした。
9/8(日)、ようやく今年25回目となるハイキングに参加しました。
「近鉄八尾駅長お薦めフリーハイキング・ありのままの八尾が好き!
八尾『第42回八尾河内音頭まつり』ウォーク」

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長瀬川沿いを歩いて5つ目の橋を渡れ、とのこと。

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国道に出て、横断歩道を渡って久宝寺中学校の前へ

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中学校を回り込むように進みます。

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掲示板に第42回八尾河内音頭まつりのポスター

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久宝寺寺内町にやってきました。

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マンホールは盆踊りではなく、河内木綿を紡いでいるのかな?

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久宝寺寺内町について
聖徳太子が創建した「久宝寺」
許麻神社周辺の若江郡巨麻荘には渡来系民族「大狛連(おおこまのむらじ)が支配する集団が居住していました。また、聖徳太子が創建した「久宝寺」境内の観音院が復興され、後に神社の宮寺となりました。中世には、現寺内町の北西部に「久宝寺城」があり、畠山一族が住んでいました。
帰する者市の如し
蓮如上人が布教に訪れた際に、「帰する者市の如し」の例え通り多くの民衆が帰依し、畠山一族と共に明応年間(1492〜1501年)に西証寺、後の顕証寺を建立しました。そして、この久宝寺御坊顕証寺を中心に、畿内随一の環濠集落(自衛都市)として久宝寺寺内町が誕生したのです。久宝寺寺内町は交通の要所であり、経済的後背地があったため、中・南河内の門徒集団を束ねる拠点として多くの門徒衆が集まり住むと共に、商工業者も集まり活発な商業活動が展開されました。
中河内の経済中心地
江戸時代は久宝寺村として幕府の支配を受け、周辺農村の物資の集散地、旧大和川(現在の長瀬川)の船運の要衝地、中河内の経済中心地として栄えました。しかし、慶長17年(1612年)に検地を受け支配権を返上したことにより70余年に及ぶ寺内町としての特権がなくなり、大和川の付け替え等で次第に地域の中心は移って行きます。
現在の久宝寺寺内町
現在の久宝寺寺内町は環濠や土居の一部がその名残をとどめていますが、町割りは、ほぼ昔のまま残っています。また、町家は江戸時代から戦後のものまで様々な時代のものが残っており、それぞれに特徴ある様式を見ることができます。許麻神社の夏祭りには御輿や布団太鼓などが出て盛大に行われます。かつて顕証寺門前から旧近鉄八尾駅まで続く道筋ではお逮夜市が行われていました。近年では幻想的な燈路まつりが毎年開催されています。
(「久宝寺寺内町公式HP」より)


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2019年09月11日

大阪散歩20190908_八尾河内音頭まつりウォーク:八尾浜と久宝寺船着場

7・8月は猛暑のため近鉄ハイキングの設定がありませんでした。
9/8(日)、ようやく今年25回目となるハイキングに参加しました。
「近鉄八尾駅長お薦めフリーハイキング・ありのままの八尾が好き!
八尾『第42回八尾河内音頭まつり』ウォーク」

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ファミリーロード商店街を抜けて、炎天下の表通りを西に進みます。

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長瀬川の川沿いに常夜灯と石碑がありました。

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八尾浜と久宝寺船着場
長瀬川はもと大和川の本流で古くはおよそ二〇〇メートルの川幅があり、人と物資の運搬で川舟が往復した。 宝永一年(一七〇四)大和川の付け替え後は井路川となり、八尾と久宝寺の人々の共同出資で剣先船が人や米、木材などを京橋まで運び、年貢米の運送や、大阪、淀などへの往復でにぎわった。 こちらの八尾側の方を八尾浜むこうの久宝寺側を船着場とよび、ともに祭礼のときのお旅所であった。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】
(「八尾市観光データベース」より)

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この橋の西ぎわに153cmの大きな道標が建つ。信貴山、柏原国分、大坂道、玉造同の表示があり、交通の要衝であったことを示している。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室・八尾市郷土文化研究会、1998年)より抜粋】
(「八尾市観光データベース」より)

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道路の向こう側にもありますね。

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ハイキングコースはここから川沿いを歩きます。

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2019年09月10日

大阪散歩20190908_八尾河内音頭まつりウォーク:常光寺

7・8月は猛暑のため近鉄ハイキングの設定がありませんでした。
9/8(日)、ようやく今年25回目となるハイキングに参加しました。
「近鉄八尾駅長お薦めフリーハイキング・ありのままの八尾が好き!
八尾『第42回八尾河内音頭まつり』ウォーク」
ファミリーロード商店街の「河内音頭記念館」

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ここを後にして進むと、常光寺の入り口が出てきました。

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さっそく行ってみることにしました。
大きなお寺のようです。
「八尾地蔵尊」とも呼ばれているそうですね。

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河内音頭発祥の地としての盆踊りが有名だそうです。

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仁王門

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なかなか迫力ある仁王さんですね。

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常光寺(じょうこうじ)
常光寺の開創は古く、奈良時代の初め、聖武天皇の勅願で、行基菩薩が創建したと伝えられています。
平安時代中期の寛治二年(1088)には、白河法皇が本尊・地蔵菩薩の霊験あらたであることを聞こし召されて、高野山に参詣のおりに当寺に参詣されたとのことです。
その頃は新堂寺と称されていましたが、室町時代の初め康応元年(1389)足利義満が、当寺の住職・通玄和尚に『常光寺』・『初日山』の扁額を奉納されこの時から初日山常光寺と呼ぶようになりました。
それより前、南北朝時代に、楠正成の家臣・八尾別当顕幸が、当寺にあって大いに南朝のために尽したそうです。その顕幸の墓は、現在も本堂横の墓地に残っています。
伽藍はその後荒廃し再建されましたが、この付近は、江戸時代初めの元和元年(1615)『大坂夏の陣』の中心地となり、またもや戦乱に巻き込まれました。
しかし、この寺を以心崇伝が抱え寺としていてため、徳川家康が「寺を荒らすな」との制札を発して、心無い雑兵の乱暴を厳重に戒めたため、寺はなんの被害も受けませんでした。
この戦いで藤堂高虎は、当寺の廊下で長曽我部家臣の首改めをしたとのこと。その廊下の板は、そのまま天井板に上げ今も残っていますが、一面に血の跡がしみついており、『常光寺血天井』として来訪者の目を見張らせています。
そのとき討死した藤堂家家臣七一士の墓も、本堂後ろに並んでいます。
常光寺HPより)

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2019年09月09日

大阪散歩20190908_八尾河内音頭まつりウォーク:出発

7・8月は猛暑のため近鉄ハイキングの設定がありませんでした。
9/8(日)、ようやく今年25回目となるハイキングに参加しました。
「近鉄八尾駅長お薦めフリーハイキング・ありのままの八尾が好き!
八尾『第42回八尾河内音頭まつり』ウォーク」です。

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近鉄八尾駅 9:30〜11:00 集合ですが、10:30 ほとんど終わりかけですね。

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受付も閑散、ハイキングとは関係ない人にもマップを配布してました。
しっかし、台風の影響からかエライ暑い日ですね。

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さっそく地図を見ながら進みますが、いきなり間違えそうになりました。
しばらくガード下の商店街を進みます。

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信号機のある交差点を左折、ガード下をくぐって商店街に入ります。

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ファミリーロード、この商店街の中を進みます。 その途中でのこと。
ハイキング中に自転車に乗ったオジサンに「何やの?」と声掛けられました。
たまにあるんですよね、地図見せて、ハイキングだと答えて雑談していたら、
昔はここももっと賑やかやった。近鉄の駅が移ったので人がすごく減った。
なんて言われてました。 商店街の入口に近鉄八尾駅があったそうです。

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商店街に入ってすぐ、左側に「河内音頭記念館」

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河内音頭記念館
“八尾市の魅力大使”に任命された伝統河内音頭継承者・河内家菊水丸(八尾出身)さんを館長に迎え、2012年7月15日に大阪府、河内の中心である、八尾市に開館いたしました。“八尾と言えば河内音頭” “河内音頭と言えば八尾”と言われるほど特に毎年7月〜9月にかけては市内約20か所で櫓が立ち、河内音頭(音頭取りによる生歌)が流れ、盆踊り大会が開催されています。当館には河内音頭に関する資料(書物・懐かしいレコード盤 等)、河内家菊水丸館長 “愛用の品” 和太鼓・ ギター・アンプ・衣装等を展示。又、CD、カセットテープの販売もしております。
河内音頭記念館HPより)


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2019年07月29日

大阪散歩20190629_古市古墳群を歩く:白鳥陵古墳より帰路

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が決定する直前の6/29(土)
羽曳野市共催・古市駅長お薦めフリーハイキング
「古市古墳群を歩く 目指せ!世界文化遺産を大阪に」に参加。
今年24回目となるハイキング参加記録です。 白鳥陵古墳より帰路。

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整備された整備された遊歩道を巡って古市駅を目指しました。
右側は白鳥陵古墳、こんなに大きかったのですね。

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人間の手の入らない古墳は、自然の宝庫かもしれませんね。

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鴨ものんびりとしてますわ。

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遊歩道も終わりとなりました。

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ここは参道として整備されたのですね。 世界文化遺産登録への足がかりかな。

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参道を出て、この先を右に曲がると古市駅ですね。

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阿部野橋行きの準急がやってきました。

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あわてて写真とって、改札をぬけて、なんとかセーフ!
今回はコンパクトなハイキングでした。 おしまい。


 


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2019年07月26日

大阪散歩20190629_古市古墳群を歩く:清寧天皇陵古墳・白鳥陵古墳

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が決定する直前の6/29(土)
羽曳野市共催・古市駅長お薦めフリーハイキング
「古市古墳群を歩く 目指せ!世界文化遺産を大阪に」に参加。
今年24回目となるハイキング参加記録です。 峯ケ塚古墳より更に南下。

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民家に囲まれるように遥拝所が出てきました。

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清寧天皇陵古墳
古市古墳群の南西部に築かれた前方後円墳です。墳丘長115メートル、後円部直径63メートル、前方部幅128メートルを測り、前方部幅が後円部直径の2倍に達しており、前方後円墳としてはもっとも前方部が発達した形態で、墳形の最終段階を示すものと考えられています。周濠(しゅうごう)は地形に制約されるため、前方部付近には水量調整用の土手が築かれています。また、くびれ部の北側には造出しが存在します。さらに平成15年度の調査で二重目の濠が存在することが判明しました。これらの調査で出土した埴輪などから古墳の築造は6世紀前半頃であったと考えられています。
なお、墳丘主軸の東延長線上には小白髪山古墳が築かれており、 陪塚(ばいづか)であるとすれば、形態が前方後円墳である点で注目されます。
(羽曳野市HP「清寧天皇陵古墳」より)

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来た道は左、今度は右側の道へ入って東に進路をとります。

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歩道橋を渡って、この先に古墳に行きますが、ふりかえって見ると・・・
峯ケ塚古墳ですね。

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白鳥陵古墳を目指します。

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ここも昨年来ましたね、日本武尊が白鳥になって飛来したという陵ですね。

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白鳥陵古墳
羽曳野市のほぼ中央、羽曳野丘陵から東に延びる中位段丘上に築かれた古墳時代中期の大型前方後円墳です。現在宮内庁によって白鳥陵古墳に治定(じじょう)されています。
墳丘規模は墳丘長200メートル、後円部直径106メートル、前方部幅165メートルを測ります。前方部の幅が後円部の直径を上回ること、高さは前方部が3メートル高いなどの特徴があります。くびれ部北側には造出しをもち、周りには幅30メートルから50メートルの周濠が巡っています。現在周濠に水を湛えており静寂な雰囲気を醸(かも)しだしています。
日本書紀などによると「日本武尊は遠征の帰り道、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり白鳥となって大和琴弾原(ことひきはら)を経由して古市に飛来し、また埴生野の空を向かって羽を曳くように飛び去った」と伝えられ、本市の名前の由来となっている古墳です。
(羽曳野市HP「白鳥陵古墳」より)

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遥拝所を出て、白鳥陵を巡って帰路としました。

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2019年07月25日

大阪散歩20190629_古市古墳群を歩く:峯ケ塚古墳

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が決定する直前の6/29(土)
羽曳野市共催・古市駅長お薦めフリーハイキング
「古市古墳群を歩く 目指せ!世界文化遺産を大阪に」に参加。
今年24回目となるハイキング参加記録です。 仁賢天皇古墳を出ます。

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もと来た道にもどって南下すると、公園に到着。

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この植え込みの先にあるのが、峯ケ塚古墳でした。

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古市古墳群の中では内部施設が発掘調査されている数少ない前方後円墳です。古墳の復元整備に伴う12回の発掘調査で多くの成果を上げました。墳丘は96メートルで二段に築かれており、外部施設としては南側以外は二重濠を有し、墓域は東西168メートル、南北148メートルを測ります。
平成3年(1991)の発掘調査で、後円部墳頂付近で新たに確認された石室からは、盗掘を受けていたものの多くの副葬品が発見されました。この中には、銀や鹿角製(ろっかくせい)などの装飾品を付けた大刀をはじめ、武器や武具、馬具など軍事的な副葬品や、装飾品となる金銅製(こんどうせい)の冠帽(かんぼう)や帯金具(おびかなぐ)、魚佩(ぎょはい)、銀製の垂飾りや花形飾り、ガラス玉や石製玉類などがあり、総数は3,500 点以上に及びます。
この古墳は、副葬品や出土した埴輪の特徴から5世紀末頃に築かれたと考えられます。
(羽曳野市HP「峯ヶ塚古墳」より)

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Wikipediaによると、地区公園として都市計画が決定しているそうですが、
20年経っても完成には及んでいないようですね。

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「時とみどりの交流館」では、古市古墳群の映像が放映されているそうですが
先を急ぐことにし、古墳に沿って南下しました。

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2019年07月24日

大阪散歩20190629_古市古墳群を歩く:墓山古墳・仁賢天皇古墳

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が決定する直前の6/29(土)
羽曳野市共催・古市駅長お薦めフリーハイキング
「古市古墳群を歩く 目指せ!世界文化遺産を大阪に」に参加。
今年24回目となるハイキング参加記録です。 向墓山古墳を出ます。

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正面が羽曳野市役所、向墓山古墳を出た左がすぐに墓山古墳です。

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意外と大きいのですね。

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墓山古墳
羽曳野市の中で第5位の規模をもつ大型の前方後円墳で、5世紀はじめ(約1,600年前)に造られたと推定されます。全長225メートル、後円部の直径135メートル・高さ21メートル、前方部の幅153メートル・高さ19メートルで、盛土は三段に積まれています。後円部と前方部のつなぎ目には造り出しがあり、周囲には深い濠(ほり)が掘られ、その外側には幅約25メートルの堤がめぐっています。墳丘の斜面は石でおおわれ、平坦部には埴輪が列になって並べられています。中心部には竪穴式石槨が造られ、長持形石棺が納められているようです。
すぐ北にある野中古墳は墓山(はかやま)古墳に付属する陪塚(ばいづか)と考えられていますが、この古墳には鉄で作った多量の武器や農工具が納められていて、墓山古墳の主が貴重な鉄を多量に所有していた実力者であったことが推定できます。
(羽曳野市HP「墓山古墳」より)

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墓山古墳にそって反時計回りに1/4回って西に進路をとりますが、
バナナの木を発見! しかも小さいながら実がなっているみたいです。
地球温暖化ですね。

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西へ西へと1Kmちょっと歩いて左へ回り込むと仁賢天皇陵古墳です。

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去年はこの先より歩いてきたので、今年は逆回りのコースみたいです。

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仁賢天皇古墳
古市古墳群の西部、羽曳野丘陵の東縁の台地の上にある前方後円墳です。宮内庁より「仁賢天皇埴生坂本陵(にんけんてんのうはにゅうさかもとりょう)」として治定(じしょう)されています。墳丘長122メートルの二段築成で周濠がめぐっています。墳丘には円筒埴輪が立てられていますが、その埴輪を焼いた窯跡が北側周濠の外縁で発見され、ごく近いところで埴輪を焼いていたことが明らかな例として注目されます。6世紀前半に築造されたと推定されます。
(ハイキングマップより)




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2019年07月23日

大阪散歩20190629_古市古墳群を歩く:向墓山古墳

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が決定する直前の6/29(土)
羽曳野市共催・古市駅長お薦めフリーハイキング
「古市古墳群を歩く 目指せ!世界文化遺産を大阪に」に参加。
今年24回目となるハイキング参加記録です。 応神天皇陵古墳を出ます。

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今度は古墳を左手に見ながら古墳西側を南下するコースです。

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応神天皇陵古墳外堀外堤
古市古墳群で最大の応神天皇陵古墳は、墳丘の長さ425mの前方後円墳で、堺市の仁徳天皇両古墳(長さ486m)に次ぐ第2位規模を持っています。3段に築かれた墳丘の高さは36mで、盛り土の量は全国一の約143万?と推定されます。
墳丘の周囲には二重の濠と堤を巡らし、複数の陪塚(附属の古墳)を配置しています。
古墳時代の中期(5世紀前半)に築造されたと考えられ、規模や構造がもっとも発達した最盛期の巨大前方後円墳のすがたを示しています。

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古墳にそって南下、水防倉庫のところより民家の中に入って国道に出ました。

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羽曳野市役所

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市役所前を行き過ぎ、左に折れ、市役所を左に回り込むように進みます。

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左のプレハブのある所に向墓山古墳、正面の森のようなのが墓山古墳です。
いずれも応神天皇陵古墳の陪塚(附属の古墳)ですね。

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向墓山古墳では展示室があるので覗いてみることにしました。
市役所の職員の方が、休日なのに特別に開館してくださってました。

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向墓山古墳(むこうはかやま)と墓山古墳
墓山古墳のまわりには、四角い形をした古墳(方墳)がめぐっていますが、向墓山古墳
もその一つで、一辺の長さが68mあります。
向墓山古墳には墓山古墳へと続く土橋と呼ばれる道が2ヶ所で見つかっています。墓山古墳で行われた祭事に使用されたと考えられています。くわえて向墓山古墳の造られた場所や大きさが墓山古墳をもとに決められていることから、二つの古墳が同じ設計によって築かれたことがうかがわれます。

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2019年07月18日

大阪散歩20190629_古市古墳群を歩く:応神天皇陵古墳

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が決定する直前の6/29(土)
羽曳野市共催・古市駅長お薦めフリーハイキング
「古市古墳群を歩く 目指せ!世界文化遺産を大阪に」に参加。
今年24回目となるハイキング参加記録です。 応神天皇陵古墳目指します。

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P6292249 posted by (C)fronte360

応神天皇陵古墳に接した住宅街を北上します。
東高野街道の石碑を左手に折れて進み、古墳にそって左に回り込みました。

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応神天皇陵古墳の北側にある大鳥塚古墳

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時  代:古墳時代 中期中葉
古墳の形:前方後円墳
墳丘長 :110m
墳丘は百舌鳥・古市古墳群では変則的で、後円部が3段、前方部が2段に築かれ、後円部高が著しく高いことが特徴です。くびれ部の両側に造出しが設けられています。埋葬施設は後円部に粘土槨が存在し、刀、剣、矛、鏃などの鉄製武器が副葬されていたようです。
墳丘の周囲には、幅の狭い馬蹄形の濠が巡ります。濠は当初から水を湛えていなかったと推測され、埋没保存されています。
演奏埴輪、形象埴輪が出土されています。

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P6292253 posted by (C)fronte360

さっそく墳丘に上ってみましたが、木立があるので見通しよくないね。

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P6292255 posted by (C)fronte360

墳丘をかけくだって応神天皇陵に急ぎました。

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昨年のハイキングでも来たので2回目ですね。

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けっこう広いんですよね。

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応神天皇陵古墳

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古市古墳群最大の前方後円墳で、墳丘長約425メートル、後円部直径250メートル、高さ35メートル、前方部幅300メートル、高さ36メートルを測ります。百舌鳥古墳群の仁徳陵古墳(大仙古墳)に次いで2番目の大きさを誇ります。また、古墳を築造したときに使用した土の量は約143万立法メートルにものぼり、大仙古墳を上回っています。墳丘は三段に積み重ねられ、斜面は一面に石が 葺(ふ)かれています。テラスと呼ばれる平坦な部分には推定2万本に及ぶ円筒埴輪が立て並べられていたと考えられます。5世紀前半頃の築造と考えられています。
墳丘のまわりには二重の周濠(しゅうごう)が巡りますが、東側では先に造られた二ツ塚古墳を避けて少しいびつな形になっています。出土遺物には、円筒埴輪や盾・靫(ゆぎ)・家・水鳥などの形象埴輪の他に、蓋形の木製品やクジラ・タコなどの土製品あります。
(羽曳野市HP「応神天皇陵古墳」より)

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誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん)または
誉田山古墳(こんだやまこふん)と呼ばれているそうです。




posted by fronte360 at 01:00| Comment(0) | 19-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする