2018年07月06日

大阪散歩20180630_竹内街道とワイン 石柱・ふれあいスポット竹内

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

第16回目、6月30日に「竹内街道とワインを楽しむ」に参加しました。
近鉄南大阪線・古市駅に集合(9:30〜11:00)、10:15頃にやってくると、
行列もなくすぐにマップを頂きました。
古市駅お隣の白鳥神社に寄り道したあと竹内街道を少し進むと・・・

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住宅の前の歩道に石柱を発見、またまた寄り道。

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左 大和路、 右 大坂

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嘉永元年、でしょうか、1848年 江戸時代のものですね。

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古市蓑の辻、でしょうか。 しっかりとした石柱ですね。
もうちょっと歩くと、こんな広場がありました。

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「ふれあいスポット竹内」だそうです。

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こちらの石柱は現代アート

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こんなのもありました。

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わくわくして色々と写真撮っていたので、慌てて先に進んだはいいが・・・
最初のポイント、西琳寺をすっとばしたことに国道に出て気づきました・・・
戻るのも面倒なんで、先に進みます。

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2018年07月05日

大阪散歩20180630_竹内街道とワイン 古市駅〜白鳥神社

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

第16回目、6月30日に「竹内街道とワインを楽しむ」に参加しました。
近鉄南大阪線・古市駅に集合(9:30〜11:00)、10:15頃にやってくると、
行列もなくすぐにマップを頂きました。

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天気予報は午前曇りで午後雨だったはずですが、いい天気ですね。
いざスタート・・・と、駅前広場を出た隣に神社がありますよ。

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マップにはありませんが、さっそく寄り道することにしました。
白鳥神社、死んで白鳥になった日本武尊縁の神社ですね。

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羽曳野市観光協会のHPには以下のように書かれてますね。
江戸時代の寛永年間末期、軽墓(現在の軽里)の伊岐谷にあった「伊岐宮」を、古市村の産土神として、現在の地に移した。秋にはだんじりが出て、大変にぎわう。

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威厳を感じる社殿です。 狛犬さんも重厚ですね。

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この神社は欽明天皇の賓陵(仮の墓)の古墳、前方後円墳の後円部だそうで、
前方部は近鉄古市駅や国道に削られているのだとか。

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もともとここには伊岐宮(いきのみや)として、素盞嗚命、稲田姫命が鎮座し、
1596年に慶長大地震で倒壊した軽里の白鳥神社が1784年に遷座したそうです。

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以来、古市の氏神として祀られているそうです。

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さてコースにもどってハイキングに参加しましょう。

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2018年07月04日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 八尾市立歴史民俗資料館

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
心合寺山古墳(しおんじやまこふん)を出て山に沿って南下します。

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なまこ壁のような施設が出てきました。

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ここが最後のポイント、八尾市立歴史民俗資料館

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八尾市立歴史民俗資料館
八尾市内の文化財を調査研究し、収集保存を図るとともに、展示などを通じて広く公開する施設です。

ハイキングマップの提示で一般200円→100円の団体割引料金になります。
さっそく中に入ってトイレ休憩と見学・・・写真撮れないので省略。
「豊作への祈り」なかなかいい展示でしたよ。

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あとは駅まで歩いてゴールです。

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近鉄信貴線・服部川駅。
河内山本駅から信貴山口駅への電車がやってきました。
折り返しの電車まで駅のベンチに座って持ってきたおにぎり食べて、おしまい。

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2018年07月03日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 心合寺山古墳(その2)

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
心合寺山古墳(しおんじやまこふん)にやってきました。

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大阪平野を望み、今度は円墳のほうに上ってみました。

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方墳を望みます。

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山側を見るとこんな感じ、山が近い。

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また方墳の方へ進んで、古墳を降りて、次に向かいましょう。

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方墳を降りて見上げたところ。

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こんな模型が置いてありました。

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再度ハイキングマップの説明文を入れておきましょう。

心合寺山古墳(しおんじやまこふん)
5世紀前半につくられた中河内最大の前方後円墳で、当時この地域を治めた豪族の墓と考えられます。墳丘長は約160mあり、史跡指定範囲の総面積は約30,000uです。
墳丘は三段築城で、くびれ部に「造り出し」があり、平坦面には円筒埴輪や朝顔形埴輪などが並べられ、斜面には葺石(ふきいし)が敷かれていました。
埋葬施設は、後円部に3つの「粘土槨(ねんどかく)」、前方部の「方形壇(ほうけいだん)」の下に木棺がありました。後円部の粘土槨のひとつである西槨から、甲冑、き鳳鏡(ほうきょう)、刀剣類などの副葬品が出土しています。

ちょっと長居してしまいました。 最後のポイントに向かいます。

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P6161323 posted by (C)fronte360


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2018年07月02日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 心合寺山古墳

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
福万寺町市民運動広場から恩地川ぞいを南下、外環状線に出て更に南下

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P6161295 posted by (C)fronte360

山側に折れて少し歩くとありました。 心合寺山古墳(しおんじやまこふん)

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さっそく入ってみますと、綺麗に整備された古墳ですね。。

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ハイキングマップには以下のように書かれています。

5世紀前半につくられた中河内最大の前方後円墳で、当時この地域を治めた豪族の墓と考えられます。墳丘長は約160mあり、史跡指定範囲の総面積は約30,000uです。
墳丘は三段築城で、くびれ部に「造り出し」があり、平坦面には円筒埴輪や朝顔形埴輪などが並べられ、斜面には葺石(ふきいし)が敷かれていました。
埋葬施設は、後円部に3つの「粘土槨(ねんどかく)」、前方部の「方形壇(ほうけいだん)」の下に木棺がありました。後円部の粘土槨のひとつである西槨から、甲冑、き鳳鏡(ほうきょう)、刀剣類などの副葬品が出土しています。

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ぐるっと回り込んで、古墳の上にいけるようなので登ってみることに・・・

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円墳の周囲を回り込んで、方墳の方に行きます。

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階段を上って、まずは方墳の上に出ます。

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P6161306 posted by (C)fronte360

青空に古墳の葺石と埴輪、周囲の緑も映えて綺麗ですね。

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方墳の頂上部分

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円墳を望みます。

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前方部(墳頂)

 前方部は、後円部につづく通路としての意味をもっていました。
 前方部に「方形墳」という東西5.8m、南北8.8mの長方形の壇があったことがわかっています。壇の下には、埋葬施設があり、人物を埋葬した後、まつりの場としていたようです。
 前方部の墳頂には埴輪が立てならべられて、後円部まで続いていました。埴輪列の外側には、蓋形埴輪をのせた大きな円筒埴輪が配置されていました。
 ここでは、方形壇の斜面に葺かれていた葺石の一部と埴輪列を復元しています。円筒埴輪が朝顔形埴輪のならべ方は。古墳がつくられた当時を再現しています。




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2018年06月29日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 福万寺町市民運動広場

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
木村重成の墓から、山口重信の墓へと詣で、第二寝屋川沿いを東に歩きます。

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P6161276 posted by (C)fronte360

水門が見えてきました。
ここを右に折れると、福万寺町市民運動広場だそうです。

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大雨の時に恩智川からの洪水を一時的に貯留させて浸水被害を防ぐため施設で、
上部面を八尾市が管理を引き継いで運動公園として整備されているようです。

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それで土手に囲まれているのですね。

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恩地川に出ました。 この川沿いを今度は南に向かって歩きます。

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新福栄橋東詰の交差点で恩地川を離れて左折、

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東向かってずんずんと歩いて外環状へ

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今度はここを右折して南に少し歩きます。

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このうどん屋の手前を左に折れて山側へと進みます。

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山が近づいてきました。


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2018年06月28日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 山口重信の墓

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
八尾市幸公園の木村重成の墓へ詣でて、公園を出たのですが・・・

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P6161268 posted by (C)fronte360

第二寝屋川の川向こうに墓地があるのを発見しました。
さっき「徳川方の武将山口重信の墓と向かい合っていました・・・」と
書かれてありましたよね、ハイキングコースからは外れますが、探検しました。

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墓地に入ると、後ろ向きですが、大きな石柱が立ってますので行ってみました。

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表面の文字は剥落していますが、山口重信の墓ですね。
亀さんの上に石碑が載っていますよ。

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お墓の左側の案内板

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山口伊豆守重信の墓
山口重信は元和元年(1615)「大坂夏の陣」の戦いで、徳川方の武将として豊臣方武将木村重成とこの地で戦い共に戦死しました。
この墓は重信の弟、弘隆により正保四年(1647)重信三十三回忌に建てられました。
三メートル角の礎石の上に亀の背(亀趺)が乗りそのうえに高さ三メートル、幅九十センチ、厚さ四十五センチの墓塔が建てられ銘文には若江堤の戦いの様子が幕府の大学頭 林道春(羅山)の文章を石川丈山の篆刻により刻まれており、篆額上には幡龍二尾を鐫した非常に貴重な墓塔です。
周囲の玉垣は重恒(重信の弟)が、燈籠は家臣の山口忠兵衛重成が承応三年(1654)に、花立は弘隆の嫡男重貞が元禄五年(1692)にそれぞれ寄進したものです。
本体も碑文も当時のままであります。
                    平成十六年四月 若江南墓地管理委員会

お墓の右側の案内板

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P6161272 posted by (C)fronte360

山口伊豆守重信と若江の戦い
山口家は周防の守護大内氏の流れをくみ、重信の父但馬守重政が徳川家康より常陸国牛久に領地を与えられ大名となりますが、慶長18年(1613)嫡子重信の婚姻をめぐり幕法に反したとして領地を没収されます。
このため、武功を上げて旧に復するべく、元和元年(1615)大坂夏の陣に井伊掃部守直孝率いる徳川軍(兵3200人)に父子で参戦しました。
5月6日早朝、徳川軍は八尾楽音寺を発し。玉串川から若江堤へと進み、若江に布陣していた木村長門守重成率いる豊臣軍(兵4700人)と壮絶な戦闘を繰り広げました。
これが「若江の戦い」です。
この戦いで、先陣を競い合った重信は木村方の飯島三郎右衛門など5騎を討つ功をあげますが、武運拙く26歳の若さで戦死し、一方豊臣軍は木村重成が井伊方の家臣安藤長三郎に討ち取られ撤退しました。
寛永5年(1628)、重信の武功により父重政に牛久など1万5千石が復され、のち次男但馬守弘隆が本領1万石、三男備前守重恒が5千石を継ぎました。
墓は、兄重信の霊を弔うために弟弘隆が正保4年(1647)に墓碑を建立し、その後さらに弟重恒が承応3年(1654)に石柵を建立。家臣の山口忠兵衛重成が同年に石燈籠を寄進、弘隆の嫡男重貞が元禄5年(1692)に石花瓶を寄進し、現在の姿となりました。
墓碑前の石柱は若江村庄屋西村九郎兵衛の建立です。
                          平成17年2月 東大阪市

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P6161275 posted by (C)fronte360

墓地を出てハイキングコースに戻ります。





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2018年06月27日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 木村重成の墓

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
第二寝屋川へと出て東に歩くと、八尾市幸公園に到着。 さっそく中に入りますと

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P6161265 posted by (C)fronte360

ピンク色のお魚の滑り台・・・ じゃなくて、こんもりとした繁みに、
木村重成のお墓がありました。

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P6161261 posted by (C)fronte360

ハイキングマップの説明文では以下のように書かれていました。

木村重成の墓(きむらしげなりのはか)
木村重成は、1615年(元和元年)大坂夏の陣 若江の戦いで討死した豊臣方の武将です。
以前は徳川方の武将山口重信の墓と向かい合っていましたが、昭和42年第二寝屋川の開削工事によって現在の場所に移されました。

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石碑があり、以下のように書かれています。

 大阪夏の陣で戦死した重成の墓は、もとはここから東五十メートルの地点にあったが、昭和四二年第二寝屋川の開削工事により、その川筋にあったのでここに移された。
 この墓は、宝暦一四年(一七六四)重成の一五〇回忌にあたって、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士安藤次輝が建てたもので、昭和一四年大阪府の史跡として指定されている。
                       八尾市教育委員会

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お墓も見たので次に向かうこととします。

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2018年06月26日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 第二寝屋川へ

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
蓮城寺を出て、若江鏡神社前を通って南へと向かいます。

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P6161251 posted by (C)fronte360

この道をまっすぐ南に歩くと近鉄八尾駅のアリオに行けるのですよね。
プリズムホールの演奏会のあと歩いてきたことがありますが、
今回は第二寝屋川まで歩くことになります。

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P6161252 posted by (C)fronte360

途中で発見した石碑、「左 十三越道」「右 大阪道」

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十三越とは、十三峠(じゅうさんとうげ)で奈良の平群に抜ける道ですね。
淀川の十三(じゅうそう)ではありません。

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後ろには「すぐ八尾むら」って書いてあるようです。
その八尾村に向かって歩いて、第二寝屋川。

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ここを渡って東へと進みます。
この辺りで大阪夏の陣、八尾・若江の戦いがあったのでしょうね。

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次なるポイント、八尾市幸公園に到着。

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ここにも木村重成の文字がありますね。

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2018年06月25日

大阪散歩20180616_八尾・若江の戦い 蓮城寺

近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録です。

6月16日に第15回目として以下に参加しました。
”八尾市制70周年「大坂夏の陣 八尾・若江の戦い」美将 木村重成を訪ねて”
若江鏡神社の境内を抜けたお隣が目的地です。

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P6161242 posted by (C)fronte360

ハイキングマップには以下のように記載されていました。

蓮城寺(れんじょうじ)
日蓮宗の寺院で1644年(正保元年)焼失。
いろいろな宗派の遊行僧が再興をはかるがならず、1693年(元禄6年)、蓮性院日相上人(れんしょういんにっそうしょうにん)が再建しました。 また木村重成の位牌がまつられています。

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P6161244 posted by (C)fronte360

木村重成の位牌は、門を入ったすぐ右の位牌堂にまつられていました。

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P6161245 posted by (C)fronte360

油絵でしょうか、木村重成の肖像画が正面にあり、位牌は右側にあります。
卒塔婆で見えませんが、妻の青柳のものも一緒に並んでいました。

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木村重成については、→ ココ が詳しいですね。

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鏡神社には何度か訪れていて、蓮城寺の前も何度か通ったのですが、
境内に入ったのは初めて、位牌堂があるのも知りませんでした。
ハイキングは勉強にもなりますね。

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P6161250 posted by (C)fronte360

次なる目的地目指してまた歩くことにします。


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