24日(日)、今回の高知散歩のメインイヴェント・東部の旅!!
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
一駅戻った田野町・岡御殿より「野根山二十三士」巡りで福田寺(ふくでんじ)
P9248331 posted by (C)fronte360
銅像は、彼らが釈放を願った武智半平太。 後方の石碑は二十三士顕彰碑。
石碑はかつての海援隊士で、明治30年当時の高知県知事・石田英吉によるもの。
石田英吉については、次回の高知旅行で調べてくる予定です。
P9248332 posted by (C)fronte360
薬師堂の脇に、二十三士のお墓がありました。
清岡道之助の遺言によって福田寺境内に埋葬された23人。
P9248334 posted by (C)fronte360
明治24年、贈位を受けた際に道之助の妻静によって修築されました。
大正2年、静が私財を投じ、現在の墓碑を立てて再改築して今に至っています。
墓前の石碑は、清岡静の歌碑
「よしやこの土にかばねは埋むとも 千歳の松に名をばとどめん」
P9248333 posted by (C)fronte360
これらのお墓には戒名は書かれず、また墓石上部も平らではありません。
明治政府によって神道形式にするような指導があったそうです。
軍人墓地の墓石も同様なのですね。
P9248336 posted by (C)fronte360
薬師堂の壁に野根山二十三士について書かれた説明板もありました。
P9248335 posted by (C)fronte360
2017年10月18日
2017年10月17日
高知散歩20170924_野根山二十三士・福田寺(ふくでんじ)
24日(日)、今回の高知散歩のメインイヴェント・東部の旅!!
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
一駅戻った田野町・岡御殿より「野根山二十三士」巡りで福田寺(ふくでんじ)
P9248327 posted by (C)fronte360
奈半利川の河原で打ち首になった二十三士は、リーダーの清岡道之助の遺言で
ここ浄土宗福田寺に葬られています。
P9248328 posted by (C)fronte360
浄土宗西山派、境内に建つ薬師堂には平安時代末期の作と思われる破損仏など
数体の仏像が安置されているそうです。
P9248329 posted by (C)fronte360
境内に入ると、小さな銅像と石碑がありますね。
P9248330 posted by (C)fronte360
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
一駅戻った田野町・岡御殿より「野根山二十三士」巡りで福田寺(ふくでんじ)
P9248327 posted by (C)fronte360
奈半利川の河原で打ち首になった二十三士は、リーダーの清岡道之助の遺言で
ここ浄土宗福田寺に葬られています。
P9248328 posted by (C)fronte360
浄土宗西山派、境内に建つ薬師堂には平安時代末期の作と思われる破損仏など
数体の仏像が安置されているそうです。
P9248329 posted by (C)fronte360
境内に入ると、小さな銅像と石碑がありますね。
P9248330 posted by (C)fronte360
2017年10月16日
高知散歩20170924_野根山二十三士・佐渡屋跡
24日(日)、今回の高知散歩のメインイヴェント・東部の旅!!
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
一駅戻った田野町・岡御殿より「野根山二十三士」巡りを始めました。
P9248323 posted by (C)fronte360
福田寺(ふくでんじ)へ行くことにし、岡御殿を辞去しますと、
受付のお姉さんが岡御殿を出て道の角まで見送ってくださいました。
そしてその時に教えてもらった、トリビア的情報の場所がここになります。
ただの住居跡の空地です。
何の案内板もなく、目印は向かい側の家。 「花月楼」という料亭が目印・・・
そうお姉さんに教えてもらいました。
P9248324 posted by (C)fronte360
「花月楼」の向かい側の空き地に、かつて「旅亭佐渡屋」があったそうです。
「旅亭佐渡屋」については、岡御殿でいただいたパンフレット
「野根山二十三士、行動始末。」に書かれています。
P9248325 posted by (C)fronte360
7月25日、安芸郡同志がここ「佐渡屋」に集合して宴会、深夜解散して、
奈半利川を越え街並みを抜け野根山街道を・・・と行動が開始される起点です。
まさしく地元の人しか知りえない場所!! 教えていただきました。
有難うございました。
P9248326 posted by (C)fronte360
佐渡屋跡をすぎ、そしてまたお姉さんに教えてもらった「野村鮮魚店」の前。
ここを曲がると福田寺(ふくでんじ)です。
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
一駅戻った田野町・岡御殿より「野根山二十三士」巡りを始めました。
P9248323 posted by (C)fronte360
福田寺(ふくでんじ)へ行くことにし、岡御殿を辞去しますと、
受付のお姉さんが岡御殿を出て道の角まで見送ってくださいました。
そしてその時に教えてもらった、トリビア的情報の場所がここになります。
ただの住居跡の空地です。
何の案内板もなく、目印は向かい側の家。 「花月楼」という料亭が目印・・・
そうお姉さんに教えてもらいました。
P9248324 posted by (C)fronte360
「花月楼」の向かい側の空き地に、かつて「旅亭佐渡屋」があったそうです。
「旅亭佐渡屋」については、岡御殿でいただいたパンフレット
「野根山二十三士、行動始末。」に書かれています。
P9248325 posted by (C)fronte360
7月25日、安芸郡同志がここ「佐渡屋」に集合して宴会、深夜解散して、
奈半利川を越え街並みを抜け野根山街道を・・・と行動が開始される起点です。
まさしく地元の人しか知りえない場所!! 教えていただきました。
有難うございました。
P9248326 posted by (C)fronte360
佐渡屋跡をすぎ、そしてまたお姉さんに教えてもらった「野村鮮魚店」の前。
ここを曲がると福田寺(ふくでんじ)です。
2017年10月13日
高知散歩20170924_岡御殿
24日(日)、今回の高知散歩のメインイヴェント・東部の旅!!
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
一駅戻った田野町で「二十三士展」をやっている岡御殿にやってきました。
P9248313 posted by (C)fronte360
野根山二十三士はちょっと置いて、この岡御殿のことを紹介しましょう。
いわゆる豪商・岡家の建物で、高知県東部で唯一当時を偲ばせる書院造、
貴重な建造物です。 上の写真は殿様が出入りする門。
P9248319 posted by (C)fronte360
藩主が東部巡見を行なう際の宿舎や休憩所となっていました。
その殿様が座る上段の間より門を見るとこんな感じ柱がありますが・・・
殿様の席がこんな具合にあって・・・
P9248316 posted by (C)fronte360
ここより門を見ると、柱が1本になって視界が広がるのですね。
P9248320 posted by (C)fronte360
こんなことも教えてもらいながら、話はまた二十三士となって、
お墓のある福田寺(ふくでんじ)の場所を教えてくださいました。
そしてお姉さんがご丁寧にも岡御殿を出て、道の角まで見送ってくださって
(他のお客さんはやってくる気配もなかったけどちょっとヒヤヒヤ)
トリビア的情報も教えてくださいました。 本当にありがとうございました。
※追伸
受付のお姉さんの話によると、前夜はおばけの催しが町内であったそうで、
仮装した若者が高知市内からやってきたり、また23日にちなんで
二十三士の手拭いが先着二十三人に配布されていたのでお客さんは多かった
とのことでした。
おばけの催しに参加された方にも手拭いを配っていたそうです。
手拭いの件は知ってましたが、前日はしんどかったのでパスしましたけど、
でも人の少ないときに行ったことでお姉さんとお話ができて正解でした。
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
一駅戻った田野町で「二十三士展」をやっている岡御殿にやってきました。
P9248313 posted by (C)fronte360
野根山二十三士はちょっと置いて、この岡御殿のことを紹介しましょう。
いわゆる豪商・岡家の建物で、高知県東部で唯一当時を偲ばせる書院造、
貴重な建造物です。 上の写真は殿様が出入りする門。
P9248319 posted by (C)fronte360
藩主が東部巡見を行なう際の宿舎や休憩所となっていました。
その殿様が座る上段の間より門を見るとこんな感じ柱がありますが・・・
殿様の席がこんな具合にあって・・・
P9248316 posted by (C)fronte360
ここより門を見ると、柱が1本になって視界が広がるのですね。
P9248320 posted by (C)fronte360
こんなことも教えてもらいながら、話はまた二十三士となって、
お墓のある福田寺(ふくでんじ)の場所を教えてくださいました。
そしてお姉さんがご丁寧にも岡御殿を出て、道の角まで見送ってくださって
(他のお客さんはやってくる気配もなかったけどちょっとヒヤヒヤ)
トリビア的情報も教えてくださいました。 本当にありがとうございました。
※追伸
受付のお姉さんの話によると、前夜はおばけの催しが町内であったそうで、
仮装した若者が高知市内からやってきたり、また23日にちなんで
二十三士の手拭いが先着二十三人に配布されていたのでお客さんは多かった
とのことでした。
おばけの催しに参加された方にも手拭いを配っていたそうです。
手拭いの件は知ってましたが、前日はしんどかったのでパスしましたけど、
でも人の少ないときに行ったことでお姉さんとお話ができて正解でした。
2017年10月12日
高知散歩20170924_岡御殿(二十三士展)
24日(日)、今回の高知散歩のメインイヴェント・東部の旅!!
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
一駅戻った田野町で「二十三士展」をやっている岡御殿を目指します。
P9248307 posted by (C)fronte360
案内板にそって近くまで来ましたが、ちょっと行き過ぎたことに気づいて、
発見しました、岡御殿。
P9248309 posted by (C)fronte360
岡御殿は、その名が示す通り、岡家により建てられたものです。 1844年、岡家当主米次郎の時完成しました。 江戸時代の田野はとても商業がさかんな場所でした。 米屋、福吉屋、蔦屋、常盤屋、虎屋などの豪商が存在し、田野五人衆と呼ばれました(ちなみに、蔦吉屋、綿屋を加えて七人衆とすることもありました)。 中でも米屋(岡家)は、最大の豪商で、藩の要請する多額の御用銀に見事に対応していました。 そんな功績が認められ、12代藩主豊資(とよすけ)、13代藩主豊煕(とよてる)が東部巡見を行った際に、休憩所や宿として使われました。
(「web高知」より)
P9248322 posted by (C)fronte360
誰も居なくて、呼び鈴を振ったらふくよかなお姉さんが出て来られました。
入館料払って見始めたら、説明しましょうか、と言われたのでお願いしましたが、
土佐弁のお姉さんがとってもアットホーム。 ファンになっちゃいました。
P9248310 posted by (C)fronte360
二十三士展を見に来たと言ったら「野根山二十三士、行動始末。」パンフレット、
ここに詳しく書かれているので、沢山持って帰ってもいいので興味ある人に
配ったらいいと言われました(が、なかなか知っている人いないのよね)。
P9248311 posted by (C)fronte360
観たあとにお茶をどうぞ、熱いのが良いか冷たいのが良いかと言われて、
いつもは飲まないけど冷たいお茶を所望、飲みながら興味を持ったのは
タレントの劇団ひとりさんが野根山二十三士の末裔であることを言うと・・・
P9248312 posted by (C)fronte360
川島総次さんね、と即答。
川島総次友利(かわしま そうじともとし)
享年41歳 岩佐番所番士頭 従五位・明治31年
妻は中岡慎太郎の長姉。 事前に阿波国の穴喰や牟岐などの情勢を10日余り探査した。
(「野根山二十三士、行動始末。」より)
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
一駅戻った田野町で「二十三士展」をやっている岡御殿を目指します。
P9248307 posted by (C)fronte360
案内板にそって近くまで来ましたが、ちょっと行き過ぎたことに気づいて、
発見しました、岡御殿。
P9248309 posted by (C)fronte360
岡御殿は、その名が示す通り、岡家により建てられたものです。 1844年、岡家当主米次郎の時完成しました。 江戸時代の田野はとても商業がさかんな場所でした。 米屋、福吉屋、蔦屋、常盤屋、虎屋などの豪商が存在し、田野五人衆と呼ばれました(ちなみに、蔦吉屋、綿屋を加えて七人衆とすることもありました)。 中でも米屋(岡家)は、最大の豪商で、藩の要請する多額の御用銀に見事に対応していました。 そんな功績が認められ、12代藩主豊資(とよすけ)、13代藩主豊煕(とよてる)が東部巡見を行った際に、休憩所や宿として使われました。
(「web高知」より)
P9248322 posted by (C)fronte360
誰も居なくて、呼び鈴を振ったらふくよかなお姉さんが出て来られました。
入館料払って見始めたら、説明しましょうか、と言われたのでお願いしましたが、
土佐弁のお姉さんがとってもアットホーム。 ファンになっちゃいました。
P9248310 posted by (C)fronte360
二十三士展を見に来たと言ったら「野根山二十三士、行動始末。」パンフレット、
ここに詳しく書かれているので、沢山持って帰ってもいいので興味ある人に
配ったらいいと言われました(が、なかなか知っている人いないのよね)。
P9248311 posted by (C)fronte360
観たあとにお茶をどうぞ、熱いのが良いか冷たいのが良いかと言われて、
いつもは飲まないけど冷たいお茶を所望、飲みながら興味を持ったのは
タレントの劇団ひとりさんが野根山二十三士の末裔であることを言うと・・・
P9248312 posted by (C)fronte360
川島総次さんね、と即答。
川島総次友利(かわしま そうじともとし)
享年41歳 岩佐番所番士頭 従五位・明治31年
妻は中岡慎太郎の長姉。 事前に阿波国の穴喰や牟岐などの情勢を10日余り探査した。
(「野根山二十三士、行動始末。」より)
2017年10月11日
高知散歩20170924_田野駅前
24日(日)、今回の高知散歩のメインイヴェント・東部の旅!!
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
次は 12:05発 オープンデッキの付いた「しんたろう号」にて一駅戻りました。
四国で一番小さな町、田野町の田野駅。
P9248385 posted by (C)fronte360
田野駅のマスコットキャラクターは「田野いしん君」
世間ではあまり知られていませんが「いしん君」は「野根山二十三士」
これをイメージされています。
P9248384 posted by (C)fronte360
野根山二十三士は、投獄された武市半平太を救い出そうと決起した23人。
清岡道之助をリーダーとして、16才から41才の若き23人が決起しましたが、
戦火を交えることなく捕らえれ、取り調べなく奈半利川で全員斬首されました。
詳細は wiki の「清岡道之助」をご覧ください。
P9248386 posted by (C)fronte360
そして今回の高知散歩の最大の目的こそ、この「野根山二十三士」です。
「志国幕末維新博」の企画の一環として「二十三士展」が催されている岡御殿。
道の駅・田野駅屋の探索は後に、まずは岡御殿を目指します。
P9248306 posted by (C)fronte360
「ごめんなはり線」を利用して終点奈半利より村営バスで中岡慎太郎館を堪能。
次は 12:05発 オープンデッキの付いた「しんたろう号」にて一駅戻りました。
四国で一番小さな町、田野町の田野駅。
P9248385 posted by (C)fronte360
田野駅のマスコットキャラクターは「田野いしん君」
世間ではあまり知られていませんが「いしん君」は「野根山二十三士」
これをイメージされています。
P9248384 posted by (C)fronte360
野根山二十三士は、投獄された武市半平太を救い出そうと決起した23人。
清岡道之助をリーダーとして、16才から41才の若き23人が決起しましたが、
戦火を交えることなく捕らえれ、取り調べなく奈半利川で全員斬首されました。
詳細は wiki の「清岡道之助」をご覧ください。
P9248386 posted by (C)fronte360
そして今回の高知散歩の最大の目的こそ、この「野根山二十三士」です。
「志国幕末維新博」の企画の一環として「二十三士展」が催されている岡御殿。
道の駅・田野駅屋の探索は後に、まずは岡御殿を目指します。
P9248306 posted by (C)fronte360
2017年10月06日
高知散歩20170924_奈半利駅前
24日(日)、今回の高知散歩のメインイヴェント・東部の旅に出発!!
「ごめんなはり線」を利用して奈半利より北川村の村営バスで中岡慎太郎館。
11:51 着のバスで奈半利駅に戻ってきました。
P9248295 posted by (C)fronte360
マスコットは「なはりこちゃん」、ここを 12:05発の列車に乗ります。
ちょっと時間あるので駅前で気になっていたスクリューを見に行きました。
P9248302 posted by (C)fronte360
P9248301 posted by (C)fronte360
戦艦か何かのスクリューかな、と思って見に行きましたが・・・
掲示物などなく何のスクリューかはわからずじまい。
P9248298 posted by (C)fronte360
P9248300 posted by (C)fronte360
駅に戻って駅に併設されている地元物産を扱うお店で仏手柑1袋100円で購入。
P9248304 posted by (C)fronte360
P9248303 posted by (C)fronte360
P9248305 posted by (C)fronte360
12:05発 オープンデッキの付いた「しんたろう号」にて
終点奈半利より次の目的地・田野に向かいます。
「ごめんなはり線」を利用して奈半利より北川村の村営バスで中岡慎太郎館。
11:51 着のバスで奈半利駅に戻ってきました。
P9248295 posted by (C)fronte360
マスコットは「なはりこちゃん」、ここを 12:05発の列車に乗ります。
ちょっと時間あるので駅前で気になっていたスクリューを見に行きました。
P9248302 posted by (C)fronte360
P9248301 posted by (C)fronte360
戦艦か何かのスクリューかな、と思って見に行きましたが・・・
掲示物などなく何のスクリューかはわからずじまい。
P9248298 posted by (C)fronte360
P9248300 posted by (C)fronte360
駅に戻って駅に併設されている地元物産を扱うお店で仏手柑1袋100円で購入。
P9248304 posted by (C)fronte360
P9248303 posted by (C)fronte360
P9248305 posted by (C)fronte360
12:05発 オープンデッキの付いた「しんたろう号」にて
終点奈半利より次の目的地・田野に向かいます。
2017年10月05日
高知散歩20170924_中岡慎太郎館・周辺(2)
24日(日)、今回の高知散歩のメインイヴェント・東部の旅に出発!!
「ごめんなはり線」を利用して奈半利より北川村の村営バスで中岡慎太郎館。
1時間があっという間に経ち、慌てて生家を見てから周辺を散策。
銅像のところにもどってきました。
P9248289 posted by (C)fronte360
この像は、幕莽の志士として維新の大道を歩んだ慎太郎の真の姿の再来を願い、
生誕百六十年を機に、全国の方々からの募金により建立されたものである。
P9248290 posted by (C)fronte360
また、この石碑の中には建立募金者名の記された建立記念誌、
平成十年度地元、北川小・中学校生徒の文集がタイムカプセルとして
埋蔵されており、生誕二百年(二〇三八年)の年に取りだされる。
(説明板より)
P9248252 posted by (C)fronte360
P9248253 posted by (C)fronte360
帰りのバスがやってきて発車時間待ちをしています。
あっという間の1時間半でした。
P9248275 posted by (C)fronte360
「ごめんなはり線」を利用して奈半利より北川村の村営バスで中岡慎太郎館。
1時間があっという間に経ち、慌てて生家を見てから周辺を散策。
銅像のところにもどってきました。
P9248289 posted by (C)fronte360
この像は、幕莽の志士として維新の大道を歩んだ慎太郎の真の姿の再来を願い、
生誕百六十年を機に、全国の方々からの募金により建立されたものである。
P9248290 posted by (C)fronte360
また、この石碑の中には建立募金者名の記された建立記念誌、
平成十年度地元、北川小・中学校生徒の文集がタイムカプセルとして
埋蔵されており、生誕二百年(二〇三八年)の年に取りだされる。
(説明板より)
P9248252 posted by (C)fronte360
P9248253 posted by (C)fronte360
帰りのバスがやってきて発車時間待ちをしています。
あっという間の1時間半でした。
P9248275 posted by (C)fronte360
2017年10月04日
高知散歩20170924_中岡慎太郎館・周辺(1)
24日(日)、今回の高知散歩のメインイヴェント・東部の旅に出発!!
「ごめんなはり線」を利用して奈半利より北川村の村営バスで中岡慎太郎館。
1時間があっという間に経ち、慌てて生家を見てから周辺を散策。
P9248278 posted by (C)fronte360
まずは「向学の道」
中岡慎太郎が島村策吾の塾や藩校・田野学館へ通学するときに通った道。
清岡道之助、その弟・半四郎らとも出会ったのは彼が17歳のとき。
P9248257 posted by (C)fronte360
階段を上ると公園となっていて、石碑があります。
P9248279 posted by (C)fronte360
贈正四位 中岡慎太郎先生碑
北川村の青年団が、中岡慎太郎の功績を称えるために建立した石碑。
石碑に刻まれた文字は近代書道の大家・川合尚亭が揮毫した。
裏面に刻まれた文章は、高知の歴史家・寺石正路の撰文。
(説明板より)
P9248280 posted by (C)fronte360
そして石碑の後ろには中岡の生涯が刻まれていました。
P9248283 posted by (C)fronte360
P9248284 posted by (C)fronte360
今度はここを下りて銅像のところに行ってみましょう。
P9248287 posted by (C)fronte360
「ごめんなはり線」を利用して奈半利より北川村の村営バスで中岡慎太郎館。
1時間があっという間に経ち、慌てて生家を見てから周辺を散策。
P9248278 posted by (C)fronte360
まずは「向学の道」
中岡慎太郎が島村策吾の塾や藩校・田野学館へ通学するときに通った道。
清岡道之助、その弟・半四郎らとも出会ったのは彼が17歳のとき。
P9248257 posted by (C)fronte360
階段を上ると公園となっていて、石碑があります。
P9248279 posted by (C)fronte360
贈正四位 中岡慎太郎先生碑
北川村の青年団が、中岡慎太郎の功績を称えるために建立した石碑。
石碑に刻まれた文字は近代書道の大家・川合尚亭が揮毫した。
裏面に刻まれた文章は、高知の歴史家・寺石正路の撰文。
(説明板より)
P9248280 posted by (C)fronte360
そして石碑の後ろには中岡の生涯が刻まれていました。
P9248283 posted by (C)fronte360
P9248284 posted by (C)fronte360
今度はここを下りて銅像のところに行ってみましょう。
P9248287 posted by (C)fronte360
2017年10月03日
高知散歩20170924_中岡慎太郎・生家
24日(日)、今回の高知散歩のメインイヴェント・東部の旅に出発!!
「ごめんなはり線」を利用して奈半利より北川村の村営バスで中岡慎太郎館。
1時間があっという間に経ち、慌てて生家を見に行きました。
P9248255 posted by (C)fronte360
銅像のところから奈半利川を眺めて左下の藁ぶき屋根が生家。
斜面を下ってゆくと、真新しい門と屋敷があります。
P9248260 posted by (C)fronte360
中岡慎太郎没後百年祭にあたって昭和42年11月17日(慎太郎の命日)に
復元公開されたものです。
復元にあたっては竹下内閣でのふるさと創生の1億円も使われたそうですね。
P9248261 posted by (C)fronte360
茅葺き屋根の肘屋建築。
庄屋には必ず勘定の間があり、玄関の式台を上り、次の間、客間は公の間。
その他の奥の間を私生活の間としたと言われ、
裏にあるナツメの木の切り株は慎太郎がよく登って遊んだ木と伝えられています。
(説明板より)
P9248264 posted by (C)fronte360
P9248265 posted by (C)fronte360
P9248262 posted by (C)fronte360
慎太郎館も生家訪問も実は2回目です。
P9248273 posted by (C)fronte360
初めて来たのは7年前かな、大河ドラマ「龍馬伝」をやっていたとき。
当時は、高知東部交通の半日観光バスツアーがあって利用しました。
で、その時に無かったもの、を発見しました。
P9248272 posted by (C)fronte360
「龍馬伝」で中岡慎太郎役をやった上川隆也さんが植樹された木。
ここにやって来られたのですね。 柚子の木のようです。
「ごめんなはり線」を利用して奈半利より北川村の村営バスで中岡慎太郎館。
1時間があっという間に経ち、慌てて生家を見に行きました。
P9248255 posted by (C)fronte360
銅像のところから奈半利川を眺めて左下の藁ぶき屋根が生家。
斜面を下ってゆくと、真新しい門と屋敷があります。
P9248260 posted by (C)fronte360
中岡慎太郎没後百年祭にあたって昭和42年11月17日(慎太郎の命日)に
復元公開されたものです。
復元にあたっては竹下内閣でのふるさと創生の1億円も使われたそうですね。
P9248261 posted by (C)fronte360
茅葺き屋根の肘屋建築。
庄屋には必ず勘定の間があり、玄関の式台を上り、次の間、客間は公の間。
その他の奥の間を私生活の間としたと言われ、
裏にあるナツメの木の切り株は慎太郎がよく登って遊んだ木と伝えられています。
(説明板より)
P9248264 posted by (C)fronte360
P9248265 posted by (C)fronte360
P9248262 posted by (C)fronte360
慎太郎館も生家訪問も実は2回目です。
P9248273 posted by (C)fronte360
初めて来たのは7年前かな、大河ドラマ「龍馬伝」をやっていたとき。
当時は、高知東部交通の半日観光バスツアーがあって利用しました。
で、その時に無かったもの、を発見しました。
P9248272 posted by (C)fronte360
「龍馬伝」で中岡慎太郎役をやった上川隆也さんが植樹された木。
ここにやって来られたのですね。 柚子の木のようです。