2012年09月05日

河内花園を歩く

9月1日朝、河内花園駅に降り立ちました。
駅北側の商店街を抜け、延命地蔵尊にお祈りしてから、先を進みます。

こ洒落たパーマ屋さんの角を左に折れて進むと西昌寺にぶつかるのですが、
この手前に斜めに立つ石碑を発見。

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P9011586 posted by (C)fronte360

「右 のさき」と書かれているようですね、野崎観音のことかしら。
で左は・・・?と、回り込んでみると、また「右」でしょうかね???

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P9011587 posted by (C)fronte360

でもコレいいですね。 瓢箪の形に「山」、瓢箪山、すぐ判ります。
この下には「吉田村 忠」「世話人 ○左」などと書かれているようです。

ところで河内の花園といえば、花園ラグビー場、ラグビーの聖地です。
水道仕切弁には、東大阪市のメインキャラクター「トライ君」

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P9011585 posted by (C)fronte360

マンホールも、他の東大阪地区の標準的なものとは違いました。

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P9011590 posted by (C)fronte360

前日の雨で少し濡れてますが、ラグビーをしている意匠になってますよ。
まさに聖地にふさわしいですな。

ということで目的地は、西昌寺の北側に回りこんだところにありました。
ラグビー場ではありません・・・

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2012年09月04日

河内花園に降り立つ

9月1日土曜日、朝8時半すぎ、近鉄奈良線・河内花園駅に降り立ちました。
毎日の通勤では通っていますが、実際に降りたのは初めてだと思います。

上り線はまだ地上ホームですが、来年にはここも高架になるらしいですね。
改札を抜け、地下道をくぐって北口へと回り込みました。
駅前再開発ビル「パザパはなぞの」を更に回り込むと・・・

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P9011577 posted by (C)fronte360

派手な看板がかかったアーケードがちょっと不釣合いにも思える商店街
「HANAZONOGATE」と書かれてますが、
中に入って分かりました「花園商店街」ってことなのですね。

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P9011579 posted by (C)fronte360

アーケードの幌が、なんとなく嬉しいですね、蛇腹になってますよ。
照明も雰囲気あるし、看板がまたいいね。「新文化用品の店 エビスヤ」

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P9011580 posted by (C)fronte360

ただ土曜日の朝8時半を少し回ったところなので、シャッター下りてます。
でもって、この商店街抜けると「HANAZONO ラボモール」とな・・・

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P9011581 posted by (C)fronte360

キャラクターが描かれてますが、これが地元キャラクターの「ラボちゃん」
それにちなんで「ラボモール」らしいです。

で、ここを出た脇に地蔵堂を発見。
朝日でちょっと白くなってますが、三体の石仏が祀られていました。

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P9011582 posted by (C)fronte360

三体いらっしゃって
一番大きな右側のは光背から不動尊のように見えますがどうでしょう。
左のは目鼻は分かりますが中央のは風化が激しいのかよく分かりませんね。

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P9011583 posted by (C)fronte360

そして扁額には「延命地蔵尊」と右から書かれてます。

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P9011584 posted by (C)fronte360

ともかく、これから先、今日の徒歩行の無事をお祈りいたしました。

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2012年09月01日

中小阪愛宕社

ネタ切れとなったので、7月15日に東大阪・中小阪界隈を散歩したことなど。

15日、中小阪北向延命地蔵尊を出て、少し歩くと小さな祠を発見、
これが先の案内板に書かれていた、愛宕社、ですね。

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P7151025 posted by (C)fronte360

ここにも詳しい説明板があり、とても参考になります。
この辺りは「環濠集落」(社会科で習いましたね)だったそうです。

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P7151026 posted by (C)fronte360

中小阪村の地形は、東西に長く、西は長瀬川(大和川本流)が流れ、彌栄神社のすぐ西に支流(大雨時に川になり、いつも水が流れている川でない)が流れていました。
東は府道八尾枚方線です。彌栄神社から西の村内は、川の土砂の堆積作用で土地が高く綿畑になっている所が多かったようですが、東(居村部)は、土地が低かったので、東、北、南に堀をつくり、土堤で囲み、またその内容に神社から少し東まで、二重の堀をつくり、洪水を防ぐ村づくりをしていました。
このような村を環濠集落といいます。


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P7151027 posted by (C)fronte360

愛宕社は、村の東入口に位置し、他所からの火災及び盗難など、村への災害を防ぐ神としてまつられています。
江戸時代には、各地で火の神として愛宕社はまつられていますが、ここでは、農耕守護神として、また地蔵信仰と結びついた形でまつられています。
愛宕社には、東大阪市の文化財指定を受けている中小阪地蔵堂の「斗帳」(地蔵の前に懸けるたれぬの)と同じ布地で作られた「うちしき」(神具・供物の敷物)が保存されています。
これらは、伝承によると、中小阪の森田氏の千太郎が、京都の織屋へ養子に行き、文久2年(1862)皇女和宮が、徳川14代将軍家茂に降嫁の際に織り納めた端布で作って、故郷の中小阪の地蔵堂や愛宕社へ寄進したものだといわれています。


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P7151031 posted by (C)fronte360

なるほど・・・と、
格子戸に近づいてみると、防犯カメラ、アクリル板でガードされてますが、
カメラを当てて中を覗いて見てみましたら、石造が3体安置されてました。
でも、この石造にかけられた布は「うちしき」ではないようですね。

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P7151030 posted by (C)fronte360

ここの香炉は六角形、三つ巴の紋が入ってますね。
愛宕社はカミサマですが、お香を焚く・・・石像、ホトケサマ・・・??

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P7151028 posted by (C)fronte360

よく分からなくなってきましたが、神仏習合、何でもええですやん。
助けてくれり、護ってくれるんなら。。。そんな感じでしょうか。

ということで、ここから足を八戸ノ里へと進め、小阪界隈を後にしました。

(おしまい)

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2012年08月31日

中小阪北向延命地蔵尊

ネタ切れとなったので、7月15日に東大阪・中小阪界隈を散歩したことなど。

15日、彌榮神社(いやさかじんじゃ)を出て、気の向くまま歩きますが、
このあたり、適度に古い家屋があって、とても懐かしい感じがします。

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P7151010 posted by (C)fronte360

白壁の土蔵の角を曲がるとこんな路地があったり・・・

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P7151011 posted by (C)fronte360

この板塀のお家は、散髪屋さんですね。

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P7151012 posted by (C)fronte360

そしてここで見つけたのが、中小阪北向延命地蔵尊

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P7151013 posted by (C)fronte360

ここの地蔵尊は、鎌倉時代のものと推定されているそうです。
江戸時代、旧大和川床跡(長瀬川)から発見され、
享保十二年(1727年)、彌榮神社にお堂を建てて祀られた後(神仏習合ですやん)
神仏分離で明治時代に近隣の寺院、現在この地蔵堂にいらっしゃるそうです。

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P7151016 posted by (C)fronte360

地蔵堂には閻魔大王が描かれた絵図がありますが・・・
閻魔大王には失礼して、近寄って格子戸よりお地蔵様を激写しました。

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P7151019 posted by (C)fronte360

柔和なお顔ですね。 真っ先にお顔を見てしまいますけれどもよく見ると・・
座って右足を組み、左手を左膝の上に置き、コレ、半跏像ですね。
石仏でしかもお地蔵さまの半跏像って珍しいと思いますが、どうでしょうか。

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P7151015 posted by (C)fronte360

お堂の前におかれた香炉もおだやかな丸いフォルム
お堂の横にはこんな椅子も置いてあり、お爺ちゃんお婆ちゃんの社交場かな。

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P7151017 posted by (C)fronte360

この珍しい石仏は、大阪府の文化財に指定されているそうです。
お堂もまた江戸時代に建てられたもので、戦災にあわなかったのですね。

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P7151021 posted by (C)fronte360

なおこの地蔵堂には、皇女和宮が14代将軍家茂に嫁入りした時に織られた
菊の紋と三ツ葉葵の紋をあしらった衣装の端布64枚で作られた斗帳、
像の前にかけられた布、が伝えられていて、東大阪市の文化財だそうです。

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P7151014 posted by (C)fronte360

地蔵盆などで使われていたそうですが、今は保存されてレプリカを使っている、
そんなことも書かれていました。

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2012年08月30日

彌榮神社(いやさかじんじゃ)

ネタ切れとなったので、7月15日に東大阪・下小阪界隈を散歩したことなど。

15日、小坂神社を出てから、彌榮神社(いやさかじんじゃ)を再訪。
この木は、馬立(うまんたて)の堤防跡。 ガレージに取り囲まれていますが、
彌榮神社の御神木にもなっているようですね。

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P7150997 posted by (C)fronte360

彌榮神社北側で一段高く、村落を洪水から守るために築かれた堤の跡です。

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P7150998 posted by (C)fronte360

大坂夏の陣のとき、若江で陣を張っていた豊臣方の武将木村重成、
大坂城の救援に向かいここまで来たとき、大坂城が炎に包まれていたため、
馬の上に立って大坂城に別れを告げ、再び若江に戻って戦死しました。
このことからここを馬立(うまんたて)と呼ぶようになったそうです。

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P7151001 posted by (C)fronte360

この拝殿の右側にある社務所(?)、新しい建物ですが、
扉の上の彫り物が立派だったので記念撮影、何かの物語でしょうか・・・

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P7150999 posted by (C)fronte360

幟もはためいて綺麗、緑も多い彌榮神社では日陰もあって、ほっとします。

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P7151005 posted by (C)fronte360

さあて、先へと足を進めましょう。

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P7151002 posted by (C)fronte360

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2012年08月29日

小坂神社

ネタ切れとなったので、7月15日に東大阪・下小阪界隈を散歩したことなど。

15日、3連休の中日に生駒の聖天さん(宝山寺)に登ったあと
近鉄奈良線に乗って生駒山を抜けて大阪へ、降り立ったのは河内小阪駅。

前回散歩のとき、彌榮神社のご近所に面白そうなものがあったけど
時間切れなったので、今回は余裕をもって、まず小坂神社

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P7150981 posted by (C)fronte360

説明板によると、
江戸時代の元禄年間、下小阪の原野を開拓した移住者達が水利至難の為、
大和の国吉野の水分大神と袖振山の受のり神を祀ったのに始まる神社だとか。
明治5年小坂神社に改称されたそうです。

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P7150992 posted by (C)fronte360

明治23年(1890年)に建てられた鳥居、
この横に寛政五年(1793年)と享和二年(1802年)銘の燈籠一対があります。

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P7150985 posted by (C)fronte360

水利至便、五穀豊穣を祈願する為、水分(みくまり)大神を祀ってます。
水分(みくまり)とは、水を配り与える、すなわち潅漑を司る神さまとのことで、
「みくまり」が「みこもり(身籠)」になり、更に「こもり(籠)」となって、
妊婦、安産、子授け神となっていったようですね。

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P7150987 posted by (C)fronte360

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P7150990 posted by (C)fronte360

「小坂こもり宮」として崇敬を集めたと神社の説明板には書いてました。
言葉遊びみたいで、面白いですね。

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P7150993 posted by (C)fronte360

しかしこの日は暑くて・・・ 日陰のない神社をそそくさと後にしました。

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2012年07月16日

枚岡神社・再訪

海の日、祝日でお休みですが、月曜日・・・ 町内会のゴミ当番ですわ。
朝7時までにカラス除けシートをゴミ置き場に張っておかないとなりません。
当番なんで、これを張ったあと、久しぶりの早朝散歩へと出ることにしました。

散歩、とはいっても単身赴任時代と違い、徒歩圏は限られているので、
電車で枚岡駅へ移動、思わぬ徹夜明けとなった4月15日以来の訪問です。

枚岡神社
「元春日」、奈良の春日大社に祭神を分祀しているという由緒ある神社で、
創建は神武天皇の即位の3年前、西暦にすると紀元前663年でしょうか・・・

「なで鹿」がやさしくお迎えしてくれました。

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P7161063 posted by (C)fronte360

弘化3年(1846年)名工日下の小平次作といわれるものだそうです。
健康と家族の平安、子どもの幸せ、旅行の安全等を念じて撫でてください。
と書かれてあります。 

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P7161052 posted by (C)fronte360

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P7161057 posted by (C)fronte360

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P7161062 posted by (C)fronte360

鈍感な自分でも、境内に入ると「気」のようなものを感じるところです。

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2012年07月06日

難波八阪神社

四ツ橋から難波に出て、大相撲三月場所が開催される大阪府立体育館、
ここから四ツ橋筋を西へ渡って一筋入ったところにあるのが・・・
難波八阪神社。

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P6300775 posted by (C)fronte360

東の鳥居から境内を覗いてみると、巨大獅子舞台が見えますね!
高さ12m、幅7m、奥行7m、インパクトたっぷりの獅子殿であります。

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P6300776 posted by (C)fronte360

境内は夏祭りの準備を始めているらしく、テントなどが沢山建ってますが、
近寄って下から、見上げると・・・ おおっ、すごい迫力ありまっせ。
夜になると目が光り、鼻の穴がスピーカになってるとか・・ほんまかいな?

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P6300783 posted by (C)fronte360

天井の牙もリアルなら、床から生えた牙も立派ですよ。

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P6300781 posted by (C)fronte360

できたのは意外に古く昭和49年(1974年)、本殿落成と共に完成したとのこと。

なお、この難波八阪神社の由緒は古く、後三条天皇の御代(1034〜1073年)
つまり平安時代中期にはあったそうですね。

よく京都の八坂神社の分社とか、難波八坂神社と書かれていますが、間違い。
大阪日日新聞の記事に詳しいですよ → ココ

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P6300779 posted by (C)fronte360

なかなか面白いスポットでした。

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2012年07月05日

四ツ橋

土佐稲荷神社を後に、長堀通りを心斎橋に向って歩きました。

実は行きも地下鉄ではなく、歩いてました。
まるでまだ単身赴任時代みたいにせっせと歩き、四ツ橋です。

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P6300769 posted by (C)fronte360

左側のビルがあったところに、大阪市立電気科学館がありましたね。
同年代以上の方ならば、生まれて初めてここでプラネタリュームを見た・・・
そんな方が多いでしょうね。 当方もそうでした。

1989年5月に閉館、その月にも見に行きましたけれども、
上映が終わって天井が白々と明ける夜明けに流れていた曲が、
メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」第1楽章。 いい選曲でした。

それはさておき、中央分離帯に石碑と、四ツ橋のモニュメント

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P6300774 posted by (C)fronte360

長堀川と西横堀川がに交差するこの地、「ロ」の字型に架けられた4つの橋
 上繋橋(かみつなぎばし)
 下繋橋(しもつなぎばし)
 炭屋橋(すみやばし)
 吉野屋橋(よしのやばし)
ここがかつての大坂の中心だったところですね。

小西来山の句
涼しさに 四ツ橋を四ツ わたりけり

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2012年07月04日

土佐稲荷神社(その2)

三菱の楚を築いた岩崎彌太郎
明治3年、長崎から大坂藩邸の責任者となり、
藩の政務のほか蔵屋敷や開成館大阪出張所の活動を取り仕切っていました。

しかし土佐藩大坂藩邸は鴻池など豪商の抵当に入っていたようですね。
明治政府によって藩による商売が出来なくなるのを見越して九十九商会を発足、
これが藩の借金を肩代わりして返済したことで、藩邸の大半が払い下げられ、
これが三菱の源流となります。 三菱の創業は明治3年です。

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P6300747 posted by (C)fronte360

岩崎彌太郎始め岩崎家もこの土佐稲荷への信仰篤く、社殿の造替を行い、
弟の岩崎彌之助が明治26年に寄進した青銅の狛犬もありますね。

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P6300745 posted by (C)fronte360

この台座には、正四位岩崎彌之助謹識と書かれた銘文が刻まれてますよ。

明治6年三菱商会と改称、翌年本店を東京の日本橋の南茅場町に移します。
大半の地所・建物を大阪府に譲渡しますが、土佐稲荷だけは手放さず、
岩崎家が所有し続けたそうです。

三菱グループのサイトが詳しいです → - 岩崎彌太郎物語 - 藩邸と土佐稲荷

これらのとおり三菱と非常に縁の深い神社ですので、
神紋にはスリーダイヤが入っているのですね。

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P6300763 posted by (C)fronte360

境内にいくつかある末社のなかの石宮社、
なんでも海上安全の守護神だそうですが、ここの銅灯篭にもスリーダイヤ

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P6300755 posted by (C)fronte360

なかなかに興味深い神社でした。

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P6300750 posted by (C)fronte360

ちなみに6月30日に訪れたので、茅の輪が飾られてました。
夏越の祓」ですね。

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