2012年09月19日

東大阪市立郷土博物館前・山畑22号墳ほか

15日朝、瓢箪山稲荷神社を経由、1.1Km歩いて東大阪市立郷土博物館に到着。

こう書くとあっという間、日頃歩いているので1.1Kmはちょろいもんですが、
坂道を延々と登った生駒山の中腹にあり、最後の坂道がちょいとキツくて、
なんでこんな所に博物館を・・・そんな疑問もわきますが、来てみて納得。

P9151726
P9151726 posted by (C)fronte360

この写真を撮った位置から、目を転じると・・・古墳の石室が見えます。
山頂一帯に「山畑古墳群」と呼ばれる古墳群が発見されたので、
この地に博物館を建設されたそうです。

P9151727
P9151727 posted by (C)fronte360

山畑22号墳、直径15m、高さ4.5mの双円墳ですが東側墳丘は既に壊れ、
西側墳丘の石室の中へ入ることが出来ます。 さっそく入ってみました。
ちなみに博物館の外なんで入場無料。

P9151729
P9151729 posted by (C)fronte360

石が敷いてあって、ゴツゴツとしててちょっと歩き難いのですが、
中に入ってみるとけっこうな広さで堅牢そうですね。
足元の岩肌が見やすいので頑張ってシャッター速度1/2sの手持ち撮影ですよ。

P9151730
P9151730 posted by (C)fronte360

天井も割合と高いですね。 大きな石が天井に載っているのが分かります。
同じくシャッター速度1/2sでも写真が撮れましたが、こちらはフラッシュ撮影。
周りの石の輪郭が影になって浮き出て見やすと思うので(興味ないですか)・・・

P9151732
P9151732 posted by (C)fronte360

石室から出口(入口)付近を見るとこんな感じ。
蚊がブンブンとうるさいので、とっとと出ることにしました。

P9151734
P9151734 posted by (C)fronte360

この22号墳より約1500年前の須恵器・鉄鏃・馬具などの副葬品が見つかり、
一部が博物館にて展示されていることなども説明板に書かれてます。
これから博物館をゆっくりと見学。


博物館内を見学したあと、
22号墳のちょっと奥(横)にある古墳群も探索することにしました。
こちらの案内板には「山畑38〜41号墳」との記載があります。

P9151735
P9151735 posted by (C)fronte360

石段を踏んで林の中に入ると、すぐにありましたよ。 山畑39号墳。

P9151738
P9151738 posted by (C)fronte360

小型の円墳だったそうで、石室の天井石は残っていません。
石室と玄室(死者を埋葬する墓室)の幅が同じの無袖という形態だそうで、
石室内の出土遺物から約1600年前に造られた古墳と推定されているそうです。

こちらは山畑38号墳で、ほとんど崩れてしまってますね。

P9151739
P9151739 posted by (C)fronte360

これはまだ積み上げた石が分かる山畑40号墳。
これも小型の円墳だったそうで、やはり石室の天井石は残ってませんが、
ここからも須恵器や木棺に使われた鉄釘が出土したとのこと。

P9151741
P9151741 posted by (C)fronte360

いずれも小型の古墳で山畑古墳群のなかで最後に作られた古墳らしく・・・
そんなことに思いを馳せようにも、ここも蚊が多くて閉口。 ブンブンと煩いなあ。
あわてて古墳群を飛び出しました。

.
posted by fronte360 at 03:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月18日

瓢箪山稲荷神社・再訪

15日朝、東大阪市立郷土博物館に行く途中、「瓢箪山稲荷神社」に寄り道。
日本三稲荷の一つ、辻占総本社ですね。 6月17日以来の再訪となります。

P9151704
P9151704 posted by (C)fronte360

一段と高い位置にある社殿、おじさんが一心にお祈りされていたので
今回は、下から見上げるのみで失礼いたしました。

P9151708
P9151708 posted by (C)fronte360

社殿への石段を登らず、右手に回り込んだところにお社がありました。
鳥居の扁額が、達筆すぎてうまく読めませんが、最初の文字は「牛」ですね。
調べてみると氏神「牛頭天王(ごずてんのう)」でしょうか。

P9151710
P9151710 posted by (C)fronte360

牛頭天王は、京都祇園社(現八坂神社)の祭神であるそうですが、
神仏習合によって仏教の薬師如来が化身し、日本の地に現れたのが牛頭天王、
というのを調べて知りました。 神仏習合ってやっぱ面白いですねぇ。

P9151711
P9151711 posted by (C)fronte360

でもね、ここはキツネさんワールドと化してしまってます。
おまけに狛犬さんのキツネもなんとシュールなこと。
薬師如来とは、想像もつきませんねぇ。

P9151712
P9151712 posted by (C)fronte360

社務所の脇を通って、博物館への道へと向かいますが、
社務所の裏木戸でしょうか、獅子の彫り物が面白くてカッコ良いな。

P9151715
P9151715 posted by (C)fronte360

境内を出て、博物館への道を確認しました。

P9151716
P9151716 posted by (C)fronte360

写真に沢山の鳥居が見えます。 琴平稲荷などあちこちの稲荷社の石碑で、
この鳥居の裏手、こんもりとした竹林が墳丘、古墳ですね。

P9151717
P9151717 posted by (C)fronte360

「瓢箪山古墳」と呼ばれる「双円墳」で、「ひょうたん」に似ているので、
この地を瓢箪山と呼ばれる由縁。 今風に言えば「ランドマーク」です。

この辺りは「山畑古墳群」と呼ばれる古墳の密集地で約60基ある古墳のうち、
ここは古墳群の西端で、最古最大の「山畑52号墳」とのことでした。

瓢箪山古墳(山畑五二号墳)
鬼塚と大塚からなる双円墳で瓢箪の形に似ているところから瓢箪山と称する所以である。これより東、山手側に展開する山畑古墳群(約六0余基)の西端に存し、最古最大の古墳である。墳丘の南北の主軸の長さは五0米、高さ四米で本殿に向って右側を鬼塚、左側を大塚という。大塚の横穴式石室の玄室は巾ニ米・長さ約三米蒼ケは巾四米・長さ五米で後期古墳時代、前期(六世紀初め)の古墳である。この大塚は狐塚と呼ばれるように以前に神狐が住まわれていた。鬼塚南端には蒼ケ入口の天井石が露出している。
寄贈 東大阪ライオンズクラブ


じりじりと熱い陽が射してますが、ここから1.1Km歩きます。

.

posted by fronte360 at 05:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月16日

東大阪市立郷土博物館に行ってきました

15日朝、良い天気ながら台風接近にて天候が乱れるかも・・・、との予報。
案の定、夕方には激しい雷鳴を伴う夕立がありましたが(今年は多いですね)、
天気が崩れる前に、かねてより行ってみたかった博物館に行ってきました。

東大阪市立郷土博物館
ホームページは手作り感満載ですけれども、充実した内容、のめりこみました。
1時間弱たっぷりと勉強させてもらいました。

近鉄奈良線・瓢箪山駅より徒歩20分ですが、
途中の瓢箪山稲荷神社から、坂道を延々と登った生駒山の中腹。
道標があるので迷いませんが、最後の坂道はちょいとキツかったですね。

P9151719
P9151719 posted by (C)fronte360

ようやく到着しました。 ここから下界を見ると、こんな感じ。
今朝は夏雲がとても綺麗です(昼過ぎから黒雲に一転、雷鳴轟きましたけど)。

P9151721
P9151721 posted by (C)fronte360

これでは分かりにくいですが、手前の住宅の屋根の左端、
ここから目を大阪平野の地平線に転じたところにある突起物のようなビル
22倍望遠の威力を発揮すると、この建設中のビルですが・・・

P9151725
P9151725 posted by (C)fronte360

あべのハルカス」8月30日に高さ300m到達、日本一高いビルになりました。
ちなみに「ハルカス」は平安時代の古語「晴るかす」から名づけられていて、
「晴らす、晴れ晴れとさせる」という意味なんだそうです。 雅ですね〜


寄り道はここまでとして、肝心の東大阪市立郷土博物館に入ります。
入館料は・・・ なんと50円。 

P9151726
P9151726 posted by (C)fronte360

しかし50円では勿体ないほどの内容ですよ。
何より常設展示、見応えありました。 常設展示が素晴らしいのが基本ですね。

P9161770
P9161770 posted by (C)fronte360

旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良・平安時代、
鎌倉・室町時代、江戸時代、明治時代以降 常設展示室をこの8つに分け、
それぞれに、東大阪の遺跡などから発掘された物などで構成されています。

石器や土器などを単に陳列しているだけでなくて、
墳墓から発掘された人骨、貝塚などを土ごと剥ぎ取った土壌など、
大型の展示物も多数あり、何より分かりやすい解説、発掘地点の地図など、
興味をそらせない内容に感嘆しました。

このような郷土博物館、往々にして常設展示は並べて解説しただけ・・・
みたいなのが多くて飽きてしまうのですが、ここのはインパクトあります。
それだけ、一つ一つ丹念に考えられた展示をされている証拠でしょう。

東京での単身赴任時代、文京区や品川区の同様の施設にもよく行き、
お金をかけた模型や陳列で見やすく分かりやすくした展示も良いのですが、
ここは展示室にはお世辞にもお金かかっているように思えませんが、
内容はとても充実しています。

もっとも東京は、展示物が、縄文・弥生から一気に鎌倉になって、
その後も江戸時代に飛んで、江戸・明治以降がすばらしく充実している・・・
真ん中が無いんですよね、これは致し方ない事なんですけども。

東大阪が充実していると、個人的に思えるのは、都ではなかったことかな。
庶民の暮らしがベース、人間の営みを永続的に追いかけることが出来ます。
だから身近で興味が持てるのではないかな。

明治以降の所では、大軌(大阪電気軌道、現在の近鉄の前身)の路線図など
思わぬ駅があったりして、食い入るように見てしまってましたしね。


なお常設展示室と、入口の小展示室の間に平成24年度コーナー展示として
「古墳からみつかる馬具」をやってました。

馬具の種類、出土する古墳、特徴、数など、出土品とパネル展示でしたが、
馬具は4世紀末〜7世紀前半の生駒山中腹の古墳から出土されるらしく、
学生時代に読んだ江上波夫の騎馬民族征服説を勝手に思い出してました。
(大陸から渡った騎馬民族が5世紀頃に日本を征服し大和朝廷になった説)

P9161771
P9161771 posted by (C)fronte360

たっぷりと堪能。
受付にあったカゴの中より、来館記念のお土産をご自由に1個、とのこと。
頂いたのは「杏葉(ぎょうよう)」という葉っぱの形をした装飾馬具でした。

粘土で作った手作りお土産もいただけて50円。 嬉しい博物館、また来よう!

.

posted by fronte360 at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月14日

堺筋(さかいすじ)

8日土曜、休日出勤の帰り、道修町の少彦名神社を出て堺筋に出ました。

堺筋との角には、漢方薬店のショーウィンドウが存在感ありますね。
さすがクスリの街といった感じ。 道修町漢方薬局だそうです。

P9081684
P9081684 posted by (C)fronte360

よく見ると、黄色い缶は「八ッ目鰻キモの油」って書いてますね。

P9081685
P9081685 posted by (C)fronte360

疲れ目・かすみ目 運転・パソコン・読書 目が疲れたら…要注意
八ッ目鰻キモの油
スタミナ ドリンク 八ッ目鰻キモ油付き ¥157

なんていう貼り紙もしてありますよ。
いわゆる「肝油」ですね、子供の頃、学校で飲まされたような・・・

この角から向こう側を見ると、黒塀の商家、小西家住宅・旧小西儀助商店。
1900-3年(明治33-36年)に建てられた商家で、重要文化財となっています。

P9081686
P9081686 posted by (C)fronte360

建築当初は堺筋沿いの歩道の辺りまでだったそうですが、
1911年(明治44年)の堺筋拡張工事に伴い道路用地として収用されたそうです。
当時まだ御堂筋は拡張されておらず、大阪のメインストリートは堺筋でした。

このまま進路を南、少し歩くと生駒時計店があります。
登録有形文化財の生駒ビルヂング。 1930年(昭和5年)の建造です。

P9081688
P9081688 posted by (C)fronte360

この角度からは見えませんが、時計塔があります。
スクラッチタイル(手掻きの縦縞模様タイル)とテラコッタ(素焼きの陶片)
これらを活用したアールデコ調のビルです。

P9081689
P9081689 posted by (C)fronte360

2階の出窓や丸窓には、獣神像の彫刻による装飾が施されています。
今の建築には見られないものですね。 嬉しいな。

P9081692
P9081692 posted by (C)fronte360

1945年(昭和20年)大阪大空襲では堅牢なコンクリート壁に守られ戦災を免れ、
1995年(平成7年)阪神淡路大震災も近隣ビルの窓が半分以上破損する状況下
このビルには被害がなかったそうです。

P9081690
P9081690 posted by (C)fronte360

1983年(昭和58年)に外壁大改修、1991年(平成3年)に1-2階店舗改修、そして
2002年(平成14年)には耐震補強・水道配管・電気設備も入替えたそうです。
今後も長くこの地にあり続けて欲しい建築物ですね。

もう少し南に歩いて見える高層ビルは、りそな銀行本店ビル。
旧大和銀行本店ですね。

P9081693
P9081693 posted by (C)fronte360

メガバンクと呼ばれる都市銀行で、唯一東京以外に本店を構えてますね。
お仕事で数回中に入れてもらいましたけれど、セキュリティ万全です。
でもなぁ、何年経っても生駒ビルヂングのような愛着は湧かないだろうな・・・

道路を渡って東側歩道に移り、本町通りを越えて少し南下すると・・・
ローソンの入っているビルが・・・これ、明治屋が入っていたビルですね。

P9081696
P9081696 posted by (C)fronte360

明治屋からローソンとは・・・時代の流れ、と言えばそれまででしょうが、
道路を渡って西側歩道に戻って確認、「明治屋ビルディング」のプレート!!
ちゃんと残っていて、ちょっと安心しました。

P9081697
P9081697 posted by (C)fronte360

1924年(大正3年)に建てられたビルだそうですが、角にアールをとっていて、
瀟洒なこのビルが明治屋のハイカラなイメージに良く似合ってましたけどね。

更に南下し中央大通り、船場(せんば)に到着。
道路拡張・阪神高速道路の建設で、船場の繊維問屋さんは高速道路下、
船場センタービルに入り、中でも1〜3号館は「大阪舶来マート」。

P9081698
P9081698 posted by (C)fronte360

1階〜地下2階に、輸入雑貨・服飾・食品などを扱うお店が集まってて、
珍しいので学生時代からよく冷かして歩いてました。 懐かしい場所です。
今回は反対側4号館に入り、本町駅まで歩いて地下鉄で帰路としました。

堺筋、江戸時代この船場から船で堺に通じていたから、堺筋だそうです。

(おしまい)

.
posted by fronte360 at 03:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月13日

少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)

8日土曜日、あまり大した用事ではないけれど、朝から休日出勤。

10時過ぎには用事も終わって11時前に退社、そのまま帰ってもなぁ〜
と思って途中下車し、神農さんこと、少彦名神社に行ってきました。

P9081671
P9081671 posted by (C)fronte360

神農とは、古代中国の伝説上の帝王で炎帝とも呼ばれるそうです。
民に初めて農耕を教えたことから号を神農氏といい、農耕の神ですが、
神農氏は赤色の鞭で草木を打ち、百草をなめて医薬の基礎を創ったとされ、
医薬の神として祀られています。

少彦名命(すくなひこなのみこと)は「一寸法師」のモデルの神様ともいわれ、
大国主命(おおくにのぬしのみこと)とともに日本の薬祖神ですね。

P9081672
P9081672 posted by (C)fronte360

そう、ここは大阪市中央区道修町二丁目
道修町(どしょうまち)と、これを正しく読める人は大阪の子ですね。
そして大阪の子はここが製薬会社・薬問屋が並ぶ街ということも知ってます。
武田薬品工業、塩野義製薬、田辺三菱製薬などは今でも本店は道修町ですね。

P9081673
P9081673 posted by (C)fronte360

ビルの谷間、この路地の奥にいらっしゃいます。
wiki で調べてみると、カミサマは江戸時代にいらっしゃったようです。

P9081675
P9081675 posted by (C)fronte360

1780年(安永9年)10月、薬種中買仲間の団体組織である伊勢講が、薬の安全と薬業の繁栄を願うために、京都の五條天神宮(現在の五條天神社)より少名彦命の分霊を道修町にあった仲間会所(現在の少名彦神社所在地)に勧請し、すでに仲間会所に祀ってあった神農氏とともに祀ったことを起源とする。

P9081677
P9081677 posted by (C)fronte360

10日は会社を休んで検査受診予定だったので、お祈りしておきました。
休みの日ということもありますけど、静かな所ですね。
拝殿から入口付近を見ると、こんな感じ。

P9081678
P9081678 posted by (C)fronte360

入るときには気付きませんでしたが・・・

P9081682
P9081682 posted by (C)fronte360

谷崎潤一郎の文学碑「春琴抄の碑」がありました。
小説「春琴抄」、道修町が舞台です。 原稿の冒頭部分が描かれています。

P9081681
P9081681 posted by (C)fronte360

そしてこの文学碑の脇、赤いバラが咲いてましたよ。

P9081680
P9081680 posted by (C)fronte360

いいところでした。

.

posted by fronte360 at 05:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月12日

若江城跡、美女堂氏遺愛碑

9月1日朝、若江鏡神社より帰路とし、八戸ノ里へと道路(府道24号)を歩くと、
何やら狭い空間に所狭しと石碑が建っているお堂のある場所を発見。

P9011656
P9011656 posted by (C)fronte360

道路より見るとこの石碑、ああっ、ここが若江城跡なんですね。
もう少し北で、駅のあたりかなと勘違いしていました。

P9011662
P9011662 posted by (C)fronte360

若江城は、南北朝時代の争乱期(十四世紀末)に、幕府の命令により河内国内の武士の統率と取り締まりのため、河内国守護に任じられた畠山基国が、北朝方の拠点として築いた城郭と考えられ、永徳二年(1382)から天正元年(1573)までの約二世紀間、河内国守護の政庁の役割を果たしてました。
畠山氏は、満家・持国に継がれ、このあと政長と義就に義兄弟の家督争いは、有名な応仁の乱へと発展し、やがて支配は細川氏から三好氏へ移り、永禄十一年(1568)には畿内を平定した織田信長が三好義継を若江城主に、畠山高政を高屋城主としました。
城は石山本願寺攻撃の拠点として使われましたが、和議が成立し、城の役割を終えて廃城となり、歴史から姿を消すことになりました。
若江城の跡は、昭和47年以来の発掘調査で、次第に明らかになってきており、若江公民館分館を中心として、周辺から二重の堀や土塁・各種建物・溝・井戸などの跡や、瓦類・土器類・武器類など、多数の城跡の存在を裏付ける資料が出土しています。
(平成8年1月 東大阪市)


P9011661
P9011661 posted by (C)fronte360

ここの道路を挟んだ北側にも説明板が立っているので、行ってみました。

P9011667
P9011667 posted by (C)fronte360

この四角い石碑は、美女堂氏遺愛碑(びんどうしいあいひ)でした。

P9011664
P9011664 posted by (C)fronte360

この碑は、平成4年4月に、東大阪市若江北町の杉山一彦邸内あったものを、同氏の申し出によって、この地に移されたものです。
碑の高さは105cm、幅65cm、厚さ31cmで、用材は和泉砂岩です。文面を見ると、天保二年(1831)4月に美女堂勝喜氏が、掛川の十東遠氏に文を作らせ、美女堂氏の系譜と懐古の情を禁じ得ず、建立したことが分かります。
碑の表面の文章を要約すると、若江北町には古くから美女堂氏という旧家が四戸あり、この頃(天保二年)には、既に二戸は転居し、吉左衛門の一家ののみが栄えていました。これに対し、勝喜の家の跡には老松だけが茂るだけで、懐古の情が湧き、この碑を建てた、と記されています。
大正時代に出版された「中河内郡誌」によると、摂津源氏として活躍した源満仲が、四男美女丸のために、若江北町にある美女山薬師寺(巨摩堂ともいう)を建立し、子孫は美女堂と名乗った、と記されています。また、子孫は改姓して藤原氏となって、大阪に移住したとも書かれています。
このように美女堂氏の由来が書かれた名族由来の顕彰碑は、貴重な資料であり、若江に関する資料として大切にしたいものです。
(平成5年12月 東大阪市)


P9011666
P9011666 posted by (C)fronte360

なおこちらに若江城跡の説明板がありまして、
上記文書はこの説明板のものなのですけれど、道路拡張で分断されたみたい。

P9011659
P9011659 posted by (C)fronte360

平城ながら旧大和側水系を巧みに堀のように使って固めた要塞だったそうで、
調べてみるとけっこう面白いですね → ココ

とうことで勉強にもなった9月1日の散歩はこれにて。
(おしまい)

.

posted by fronte360 at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月11日

若江鏡神社

9月1日朝、河内花園をスタートして若江岩田まで歩いた先に目指したのは・・
若江鏡神社であります。

P9011637
P9011637 posted by (C)fronte360

創建年代は不詳ながら延喜式内の古社で、
斉衡元年(854年)に記された書物に『河内之国大雷火明之神従五位下』とあり、
少なくとも1200年近くこの地に鎮座されているようです。

P9011640
P9011640 posted by (C)fronte360

神社及び数多くの宝物は、大阪夏の陣の兵火で焼失したとのことですが、
石灯籠など見て回ると、江戸時代のものが多数残っていることより、
以降もまた地元の崇敬を集めていたものと考えられます。

P9011645
P9011645 posted by (C)fronte360

これは拝殿脇にある末社・天照皇大神社の狛犬さん

P9011646
P9011646 posted by (C)fronte360

これもまたいいお顔しておられますね。

P9011647
P9011647 posted by (C)fronte360

でもここに来たかったのは、大阪日日新聞の記事を読んだからでした。

その昔、雷が誤ってご神前に落ちてしまった。神の前に落ちるとは何事か、と怒りにふれ、雷は天に返してもらえなくなった。そこで今後、決してこの村には落ちない、という約束をし、その印として手形を残したのがこの石=写真=である。

IP120807TAN000090000.jpg

ここは、東大阪市若江南町にある若江鏡(わかえかがみ)神社。伝説によると神功(じんぐう)皇后の御世(201〜269在位)の出来事というからあまりにも古い。
奇石「雷の手形石」、この写真も大阪日日新聞からリンクしました。

ちょっとは覗けるかな〜、と思って、神社をぐるっと一周しましたが・・・
やっぱりダメでしたね。
でも一周すると、懐かしい感じのする住宅にまたまた妙に感じ入りましたよ。

P9011650
P9011650 posted by (C)fronte360

帯広での学生時代、こんな感じの2階屋ではありませんが、
こんな鉄の階段がついた家の2階に間借りしていたことを思い出します。

P9011651
P9011651 posted by (C)fronte360

このような平屋、棟割り長屋の路地もまた懐かしいですね。

P9011652
P9011652 posted by (C)fronte360

細い路地、子供の頃にかくれんぼや鬼ごっこで走り回ってましたよ。

P9011654
P9011654 posted by (C)fronte360

神社をぐるっと一周したので、これで帰路とすることにしました。

P9011638
P9011638 posted by (C)fronte360

横断した道路(府道24号)に戻り、八戸ノ里方面に向かって歩きましたが・・・
そこで発見したものは、また次回ということで。

.

posted by fronte360 at 03:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月08日

若江岩田を歩く

9月1日朝、河内花園駅の踏切を渡ってラボモールを抜け、若江岩田に移動。
途中道間違えてたりしましたが、タツタ電線大阪工場の塀そいに歩いて到着。

駅南には高層マンションが建ってますが、そのふもとの住宅とのコントラスト。
妙に感じ入りました。

P9011626
P9011626 posted by (C)fronte360

いわゆる戦後の建売住宅、棟割り長屋みたいですね。
自分も小学生の頃まで、こんな棟割り長屋に住んでいたこと思い出します。

P9011627
P9011627 posted by (C)fronte360

今では住まわれなくなった建物がほとんどのようですが、
まだ住まわれているお家もあるようです。 青いゴミペールも懐かしいな。

P9011628
P9011628 posted by (C)fronte360

この路地を進んで駅前からの商店街に入り、駅の方向、北側を見たところ。
自転車に傘を付けて走るおばちゃん、大阪にはたくさん生息しています。

P9011629
P9011629 posted by (C)fronte360

さて、ここから駅から離れるように南に向かって道なりに歩きます。
地図を持たず、事前に見た頭の中の地図の記憶だけで歩いていますので、
大きな道路にぶち当たるはず、どんどん不安になってきましたけれど・・・
ようやく10分ほど歩いて、目標の道路(府道24号)を渡りました。

道路を渡ってちょっと進んだ郵便局の前、またもや延命地蔵尊を発見。

P9011631
P9011631 posted by (C)fronte360

このあたり 延命地蔵尊、多いですねぇ。
冒頭に書いた、道を間違えた時にも別の延命地蔵尊を見つけていたので、
本日これで4つめ。 こちらは「福徳延命地蔵尊」と書かれていますね。

P9011632
P9011632 posted by (C)fronte360

しっかしこのホトケサマ。 とってもアバンギャルドですねぇ。
突起のある自然石なんでしょうか、それともこうやって彫ったのかしら、
はたまた風化してこうなった・・・??

P9011633
P9011633 posted by (C)fronte360

でもこうやってちゃんとお祀りされているのは地元の崇敬を集めている証拠。
この先の無事をお祈りし、もう向こうに見えている次なる目的地へ、
進みましょう。

.

posted by fronte360 at 05:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月07日

河内花園点景

9月1日朝、河内花園の吉田春日神社を出て、河内花園駅に戻る途中の点景。
往くときには見えなかったものが見えてきました。

P9011613
P9011613 posted by (C)fronte360

駅から西昌寺へと向かう道路端の廃屋? 軒先に色々なものが・・・
信楽の狸、兎は干支の飾り物かしら、マリアさまに、招き猫もありまっせ。
ミツバチとテントウムシの花の飾が彩になってますわ。

P9011612
P9011612 posted by (C)fronte360

商店街を抜け、駅前再開発ビル「パザパはなぞの」の角に延命地蔵尊を発見

P9011615
P9011615 posted by (C)fronte360

この角を曲がったはずなのに、往きには気付かず素通りしてました。
すみません、お参りしておきました。

P9011616
P9011616 posted by (C)fronte360

P9011617
P9011617 posted by (C)fronte360

こちらも丁重に祀られておりますが、風化でお姿がはっきり見えません。
もっともそれだけ大事にされているということでしょう。

P9011618
P9011618 posted by (C)fronte360

扁額は龍の彫り物がある新しいもの。
梁も、古い木材と新しいものが組合されていて、手がかかってますね。

P9011622
P9011622 posted by (C)fronte360

線路を渡った駅南側にも「ラボモール」のアーケードがあります。

P9011624
P9011624 posted by (C)fronte360

特急が通過したあと、踏切を渡って、来年には無くなる地上駅を見て、
ラボモールを抜けて次の目的地へと進みました。

.

posted by fronte360 at 04:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月06日

吉田春日神社(通称ラグビー神社)

9月1日朝、河内花園の西昌寺を回り込んだ北側が目的地・吉田春日神社。

創建は不明ですが、奈良の春日大社、元春日と称される枚岡神社と同じく
春日四神が祭神の神社です。

P9011591
P9011591 posted by (C)fronte360

明治5年の神社整理統合令で枚岡神社に合祀されたそうですが、
村民の強い願いによって明治12年氏神復旧願いが認められて復帰したという
地元の崇敬を集めている神社です。

P9011592
P9011592 posted by (C)fronte360

拝殿の奥にある本殿は、説明板によりますと・・・
享保5年(1720年)に再興建立された建造物にてその様式が「二間社入母屋比翼造」桧皮葺の春日造で全国の神社建築の中でも非常に珍しい構造とされ、彫刻・彩色の非凡さも併せて貴重な建築物として昭和49年に東大阪市有形文化財に指定されています。

P9011593
P9011593 posted by (C)fronte360

という神社ですが、この神社は花園ラグビー場に最も近い神社であるため、
通称「ラグビー神社」とも呼ばれているそうです。
拝殿の左側には・・・

P9011599
P9011599 posted by (C)fronte360

ラグビーボールとラグビーボールの形をした絵馬が奉納されています。
必勝・安全祈願と書かれた絵馬は、
旧花園ラグビー祭り実行委員会による展示協力と書かれていました。

P9011601
P9011601 posted by (C)fronte360

絵馬にに描かれているキャラクターは、右から、
東大阪市のメインキャラクター「トライ君」、地元花園の「らぐびーらっこ」
JAの「らっぴーくん」、そして地元の「ラボちゃん」のようです。

P9011607
P9011607 posted by (C)fronte360

狛犬さんも江戸時代のもののようですが、愛嬌ありますな。

P9011608
P9011608 posted by (C)fronte360

なお毎年10月15,16日の秋祭りでは、各地区よりだんじり、太鼓台が出て
岸和田よりも熱いお祭りになるようです。
なかなかに興味深い神社でした。

P9011610
P9011610 posted by (C)fronte360

さて、足を戻して次に進みましょう。

.

posted by fronte360 at 05:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする