2012年10月30日

大阪ミナミ・赤土稲荷大明神

10月27日(土)、買い物ついでの散歩で黒門市場を通り抜け、
日本橋3丁目の交差点を西に越え、堺筋の1本西側の道路を南下しました。

パソコンのパーツを売るお店を冷やかし、メイドも何人かすれ違いましたが、
日本橋中学校を過ぎてから少し進み、道を西に折れて、見つけました。
赤土稲荷大明神

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ちょいと逆光で白っぽくなりましたが、正面から見るとこんな感じ。
朱の鳥居が連なって、いかにも稲荷社、といった面持ちです。

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拝殿にてお参りし、失敬して写真を撮らせていただきました。
中央に正一位赤土稲荷大明神、右は米倉稲荷大明神、左に楠稲荷大明神
三柱がお祀りされています。

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こじんまりとした境内ですが、掃き清められていて気持ちがいいですし、
境内に植わった柑橘類、ユズにしては堅そう?、スダチでしょうか?

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柘榴の木もあって、ちょうどいい具合に実を付けていました。
落着いた良いところです。

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あと、使われていませんが手水舎、これは年代物と見受けました。

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「陣幕」と彫られていますが、陣幕は戦の時に張る幕ですけれども・・・
土佐稲荷神社には、大相撲12代横綱の陣幕久五郎が寄進した狛狐があるので、
その繋がりを指摘するサイトもありました。 どうでしょうか。

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とにかく、ここは目的地の神社の末社になるそうです。
本来とは逆に、この先の鳥居をくぐって、お隣の神社に入ることにしました。
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2012年10月27日

大阪ミナミ・黒門市場

演奏会へのお誘いもありましたが、昼から買い物の予定もあったので失礼し、
買い物の前に大阪のミナミに出ることにしました。

難波は通勤で連日通過していますけれど、あまりウロウロすることはなく、
まして日本橋など、3月末に戻ってから、国立文楽劇場に1回行ったのみ。
朝11時前、近鉄・日本橋駅にて下車、まず向かったのは・・・

大阪の台所「黒門市場」

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江戸の文政期より鮮魚商人の市がたっていたようですが、1902年(明治35年)2月、
圓明寺市場として開設されたのが始まりです。
近くにあった圓明寺の山門が黒塗りであったことから通称・黒門市場。
今では黒門市場でないと通じないですね。

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まだお昼前というのに、お昼前やから? 人が多くいます。
この辻から東側のアーケードには大きなタイがぶら下がっています。
「黒門ええもんほんまもん」の横断幕といい、辻にあった提灯、
入口の写真をよく見るとクエがぶら下がっていますよ。 賑やかですな。

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ひときわ人が多くいる所を発見、近寄ってみると・・・
マグロの解体ショーをやっていました。

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しばし見学したあと、先を急いで進みますと・・・
「浜藤」(はまとう)にお客さんが沢山吸い込まれてゆきます。 
言わずと知れた、大阪のふぐ料理の老舗、うらやましい。

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しっかし、商店街やのに、自転車の乗ったおっさん、おばはんの多いこと。
これも大阪名物ですな。

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商店街も南になるほど人が少なくなってきました。

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この魚屋さん、ちょいと戻って、お魚を写真に収めました。
判りますかね、お魚が縦に並べてあります。 大阪の魚屋の並べ方です。

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東京では、お魚を泳いでいるごとく、横向きに並べていますけれど、
大阪では、鯉の滝登りのごとく、縦に並べているのがカッコ良い、とのこと。
ケンミンショウでやってましたよね。

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さて市場を抜けて、日本橋3丁目の交差点を西に越えて先を目指しますが、
東京で流行っている「焼き牛丼」のお店が、こんな所には出てますねぇ。
以前、ここに吉野家があったところでは?(5年位前の記憶ですが)

とにかく、先を目指して歩きましょう。

posted by fronte360 at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月26日

河内花園・玉串神社鳥居

13日(土)、境内に鳥居のない津原神社より参道を望みます。

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玉串川まで続くこの参道を「馬場」と呼び「河内三大馬場」の一つだそうです。
あと二つはどこか分かりませんが・・・ とにかくこの道を歩きます。
ずいぶんと歩いて振り返った写真。

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この馬場は六丁(600m余)あり、両側には老松、大杉、榎の巨木の並木・・・
との記載がありましたけれど、宅地化が進んでご覧のとおり。
もう少し歩くと、前方の府道24号との交差点の先に鳥居が見えてきました。

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ん、よく見ると、その手前この交差点の向こうの角に祠を発見。
まずはここを見ることにします。

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何地蔵さんでしょうか、扁額もなく、立札もありません。
失礼して、扉の隙間より中を撮らせてもらいましたが、やはり分かりません。
でも丁寧にお祀りされていることは分かりました。 合掌。 

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祠の前から鳥居を望みます。

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交差点で府道24号と交わったあとより生活道路の趣となります。
そして鳥居の向こうの道は更に狭くなってますよ。

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鳥居をくぐって向こう側、こちらが正面ですよね。

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「玉串惣社」の扁額が掲げられています。
この辺りは玉串荘と言われ、串が流れ着いた所を玉串明神として祀った、
とありますので、玉串惣社とは津原神社のことです。

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この立派な鳥居には、以下のように彫られていました。
元禄十二巳卯年十一月廾四日 玉櫛庄 市場村

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堂々たる鳥居を見上げて、帰路としまいした。
(おしまい)

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2012年10月24日

河内花園・津原神社

2週間前、10月13日(土)河内花園駅前の商店街抜けて南に約300m
津原神社の背後に到着、ぐるっと回って正面より入ります。

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この神社も創建は不明ながら延喜式内社、古社であります。
由緒はちょっと長いけれど、要約すると以下のとおり。

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古代この社の祖神 天玉櫛彦之命が兇賊を鎮圧した功により所領として賜わり、
その子孫がこの地を治めていました。
天平勝宝6年(754年)、河内郡一帯に風水害が甚だしく村人が窮迫するも術なく、
回復を祈るばかり。その時、可美村の八幡宮の祀部に神託があり、
「大和川の上流より橘の枝と櫛笥を流し、 その櫛笥の流れ止まる所に
神を祀ったなれば、風水の禍は自ら治まるであろう・・・」
その神託に従い、大和川の上流より櫛と橘を流すと、
橘は若宮八幡宮の辺り、櫛がこの地に留まったので、この地に社を建て、
天児屋根命ならびに玉櫛之荘の祖神 天玉櫛彦之命、天櫛玉命をお祀りすると、
すると風水はたちどころに治まり、甚だしい風水害を蒙る事がなくなった。

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そしてこの神社の背後にある「津原の池」は
この時の池が現在まで保存されていて、御神体とされているそうです。

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日照りの時には雨乞いをし、池の水を田んぼに汲み出した伝えられている
とのことです。

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なお、池の中では、カメさんが日光浴を楽しんでいました。

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拝殿に戻って、拝殿の狛犬さん、足元が風化しかかっていますが、
年代を感じさせる立派なものです。

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あいにく左側のは日陰になってしまいました。

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拝殿でお参りをし、拝殿奥を写させてもらいました。

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拝殿の上の龍の彫刻を立派なものですよ。

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拝殿脇に建つ納札所の看板が付けられた建物は絵馬堂でしょうか

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中には、古い額や写真などが貼ってありました。

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境内には摂社なども色々とあって興味尽きませんが、ちょいと用事もあるので、
ここを出ることにしましょう。

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ところで、この神社の境内には、鳥居がありません。
鳥居を見に行ってから戻ることにしました。

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2012年10月22日

河内花園・点景

2週間前になりますが、10月13日(土) 再び河内花園駅に降り立ちました。
東花園駅で乗り換えた阪神電車の普通電車を見送ります。

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この駅も木で造られた長ベンチが健在です。
向こうの自販機の更に向こうにまだ2つの長ベンチがあったりします。
人に優しい駅です。

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この駅も来年2月には高架駅となってしまうので、踏切からちょいと見納め。

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踏切を渡らず、駅南側に出ます。

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前回も通った花園商店街のアーケードがほんの少しあって、
これを抜けると、津原神社の例祭の提灯が飾ってありました。

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これを見て左折すると、花園本町商店街になります。
商店街に活気がある街はいいですね、歩いていても気分が浮き立ちます。

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駅の南口、奥に奈良方面行きの高架ホーム、その向こうは駅前再開発ビル。
手前も銀行などに挟まれて、ちょいと窮屈な感じです。

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さて、花園本町商店街を離れ、目的地に向かいましょう。

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2012年10月13日

若江岩田・猫橋地蔵

10月6日、猿棟を見てから河内街道を少し北に進んでから・・・
えいっこの辺りっと左折(適当です)、西に戻ってゆくと、ドンピシャ

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西光寺、ここが目的地ではありませんが、
石田神社の説明板に以下のように書かれていたお寺です。
神社の宮寺「善城寺」は石田神社の北側にあり、禅宗黄檗派で、江戸時代には村人の尊崇する寺であったが、明治初年の神仏分離の際廃絶した。寺に安置されていた不動明王像(室町時代作)と左右の制多迦 矜羯羅童子の二体も共に当地の西光寺に移され現存している。
西光寺の先、ここに目的地が見えてきました。
説明板もあります。

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猫橋地蔵
昔、石田神社の西側を南北に流れていた用水路に、一枚板の岩橋が架けられていましたが、形が猫に似ているところから猫橋と呼ばれていました。昭和のはじめ、道路と水路の改修のため、その橋を取り除くと下から数体の地蔵と五輪塔が出てきましたので、現在の場所に祀りました。この地蔵は、村人達が田畑の水辺の守り神として、また村を外部からの災害を防いで下さる村境の「賽の神」として、手厚く祀ったものと伝えられています。
この地蔵は、長年猫橋の下で、水に浸かっていたため摩滅が激しく、造られた年代は不明ですが、五輪塔に「大永七年丁亥十一月」と記されていることから、室町時代後期(1528)のものであると推定されています。
岩田町文化保存会
東大阪市


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お堂の扉が閉ざされていますが、鍵はかかっていないようだったので・・・
扉を開けてもよかったかもしれませんけど、格子戸より中を激写。
でもお堂にへばりついての撮影の方が怪しいかもね。

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お堂の中には・・・
角が取れてお顔の表情も分からなくなった石造が数体祀られていました。
六体の石仏がいらして、中央のが猫橋址地蔵だそうです(合掌)

お堂の脇にあった石塔、これが五輪塔のことでしょう。

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PA062013 posted by (C)fronte360

裏に回ってみると、大永七年と彫ってあるようにも思えました。
しかし他所の石造も見て回ってますけど、彫り物を解読するのが難しいなぁ。

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なお、堂の脇に立っているのは歌碑だそうです。

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PA062007 posted by (C)fronte360

右から「猫橋址」と書かれていて、達筆な字で歌が詠まれているのでしょうが、
こちらは学がないので何が詠まれているかサッパリです。

若江岩田駅の北側をちょっとぐるっと回った散歩でした。
(おしまい)

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2012年10月11日

若江岩田・猿棟(さるむね)

10月6日、石田神社(いわたじんじゃ)を出て、東側の鳥居をくぐって東進、
石田神社の参道であったようで、駅前再開発ビルの手前に石灯籠がありました。
さて、右折すれば駅に戻りますが、左折・北に向いて歩きます。

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PA061992 posted by (C)fronte360

ちょっと歩くと藁ぶき屋根の旧家があり、何やら説明板が掲げられています。

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猿棟(さるむね)
石田家住宅は、江戸時代中期の享保元年(1716年)に建築され、享保13年のサル年に瓦製のサル二匹を大屋根にすえつけ現在に至るといわれています。 当時、岩田村と御厨村が井路川の排水のことで争った時、庄屋だった新兵衛は、争いの解決と岩田村の繁栄を願い、村人とともに住吉大社に祈願しました。
争いは有利に終わり、この喜びを永く伝えるため、紀州(和歌山県)の瓦屋に注文して作らせたものだと伝えられています。
このサルは、かやぶき屋根の棟に載った高さ約30センチメートルのもので、東側のサルは玉を持ち、西側のサルは右手に御幣、左手に扇を持っています。これは悪魔が「去る」という意味でおかれたもので、サルは住吉大社の方向に向けられています。
昭和の中頃まで、三郷(岩田、西岩田、瓜生堂)の農民は、田植えが終われば住吉大社へのお礼参りをつづけていました。
岩田町文化保存会
東大阪市


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確かにお猿さんが載っているようで、近づいて望遠の威力発揮

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西側のお猿さんは、右手に御幣、左手に扇を持っており

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東側のお猿さんは両手で玉を持っています。

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後で調べると、この道は「河内街道」と言う八尾から枚方に続く街道とのこと。
道理でこのような旧家も残っているのですね。

posted by fronte360 at 04:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月09日

石田神社(いわたじんじゃ)

10月6日、若江岩田駅に降りて南側の線路沿いに八重ノ里方面に歩くと、
駐車場の向こうに見えてきました。
石田神社と書いて「いわたじんじゃ」と呼ぶそうです。

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通勤時の帰り、高架の上から眺めていると、外環状道路を過ぎたあと、
こんもりと茂った樹木に囲まれて落着いた神社、この神社が見えてきますので、
一度行ってみようと思ったわけです。 道路から入るとまず北向きの鳥居。

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これを回り込むようにして東側の鳥居へと周り込みます。
この神社も創始は古く、式内社で、欽明天皇の時代の創始とあります。
正面鳥居の脇には、岩船伝説にまつわる興味深い説明板が掲げられていました。

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PA061970 posted by (C)fronte360

石田神社と宮寺「善城寺」
平安時代の初め延長5年(927)に完成した「延喜式」の神名帳にのせられている古い神社で、帯仲彦尊(仲哀天皇)、息長足姫尊(神功皇后)、誉田別尊(応神天皇)の三座をまつり、後に天照大神、天児屋根命を合祀した。
欽明天皇の時代(500年代)にこのあたりの水田に岩船があって、三神がその上にあらわれそこで神社を築いておまつりをしたと伝えられる。
属に八幡宮と呼ばれ明治5年に村社と定められた。
また神社の宮寺「善城寺」は石田神社の北側にあり、禅宗黄檗派で、江戸時代には村人の尊崇する寺であったが、明治初年の神仏分離の際廃絶した。寺に安置されていた不動明王像(室町時代作)と左右の制多迦 矜羯羅童子の二体も共に当地の西光寺に移され現存している。
岩田町文化財保存会
協力 東大阪市教育委員会


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岩船の伝説・幸神塚と無名塚
現在は住宅地になっているが、石田神社の北側に昭和38年頃まで直径2mたらずの円錐形の二つの小塚が水田の中にあった。
東の塚を「幸神塚」といい、西の塚は「無名の塚」とよばれていた。
伝説によると「幸神塚」は「賽の神」(村への疫病などの侵入を防いだり道行く人を災難から守る神)をまつった旧地だといわれている。
またここを開拓したとき、船によく似た大きな岩石があり、その長さは東塚より西塚に達し全長50m近くもあった。これは古代大きな石の船がここで難破したもので二つの塚はその前後のものといわれている。石田神社の社伝によると欽明天皇(500年代)の御代の岩船に祭神が降りてきたと伝えられる。
岩田町文化財保存会
協力 東大阪市教育委員会


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狛犬さんも威厳を持っておられます。

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PA061978 posted by (C)fronte360

台座を調べてみると江戸時代のもののようです。

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首が無く肩からすっと腕が出ているようなフォルムが愛嬌あって印象的。

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PA061980 posted by (C)fronte360

なお境内社として、合祀殿が一棟建っていて、
ここの狛犬さんも同じフォルムなので、同時代ものでしょうか。

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PA061985 posted by (C)fronte360

天照大神、天児屋根命(アメノコヤネ命)、倉稲魂命(ウカノミタマ命)
を祀る合祀殿だそうですが、
明治期に天照大神、天児屋根命は本殿に合祀されたそうです。

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PA061989 posted by (C)fronte360

境内をうろうろしていると、七五三参りでしょうね、
ご家族連れが来られましたので、この神社を後にすることにしました。

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PA061972 posted by (C)fronte360

なお、八幡宮と書かれた石灯籠、
江戸時代には岩田八幡宮と呼ばれていたそうです。
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2012年10月08日

若江岩田・点景

10月6日(土)、近鉄奈良線・若江岩田駅に降り立ちました。
この駅もいつも通過するばかり、降りたのは始めてです。
東花園駅で乗り換えた普通電車を見送ります。

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PA061963 posted by (C)fronte360

奈良方面・下り線が高架となり、難波方面・上り線も来年には高架になります。
上り線に残っていた懐かしい木製の長ベンチ、河内花園にも残っていますが、
高架駅になるまであと少しの命となってしまいました。 温もりが有るのですが・・・

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地下改札を抜け、踏切を渡って高架線路沿いに八戸ノ里方面に歩きます。

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高架工事用のフェンスには、近畿日本鉄道奈良線・連続立体交差事業の看板。
看板によると、八戸ノ里〜瓢箪山を、第1〜第5工区に分けて工事されており、
ここは第1工区で、若江岩田駅を含む950mの高架工事とのことです。

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各工区には、それぞれキャラクターが居るようです。
東大阪らしくそれぞれラグビーの格好をしているキャラなんですけど、
特に印象に残ったのは第3工区担当の「アメノコヤネノカミ」(天児屋根神)
天の岩戸にお隠れになった天照大神、しかしあまりにも美しい声に聴きほれ、
ついに岩戸を開けさせたという美声の持ち主のカミサマであります。

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藤原氏(中臣氏)の祖先神で、春日大社を造ってお祀りされたことから、
この地にある吉田春日神社(通称ラグビー神社)にもおられます。
その縁で第3工区を担当されているようです。
しかし、どの工区も神話のカミサマが担当されているわけではなく、
単なる若者だったり、伏字になったキャラもいるようで、ちょっと謎・・・
ちなみに第4工区担当は「津原神社の亀」がイメージされていました。

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PA062017 posted by (C)fronte360

津原神社は、河内花園駅の南側にある式内社だそうで、今度訪問しましょう。
さて、そろそろ目的地に到着しますけれども、それはまた次回・・・

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2012年10月07日

長榮寺(ちょうえいじ)

29日、式内鴨高田神社を出て向かった先は北隣にある、百済山・長榮寺。

聖徳太子による開基と言われ、太子自ら本尊十一面観世音菩薩を刻んで安置、
百済からの渡来僧の入法をもって創建、よって山号を百済山と称されるお寺です。
考古学者には、聖徳太子が四天王寺と飛鳥寺を建立した後、
その中間にあたるこの地にも建立した説を唱えておられる方がいるようです。

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境内の中に入って真っ直ぐ先には護摩堂

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P9291940 posted by (C)fronte360

この手前、本堂前には立派な山門があります。
長栄寺の境内全体が大阪府文化財保護条例で史跡に指定されているそうです。

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中世に戦火で荒廃するも江戸中期・延享元年(1744年)高僧慈雲尊者により再興、
本堂を造営するも文政8年(1825年)に全焼し、同年に再建されたとのこと。
その本堂の前には、慈雲尊者の像が威厳正しく据えられております。

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P9291935 posted by (C)fronte360

慈雲尊者は、江戸時代後期、大阪が生んだ真言宗の高僧です。
若くして、顕教、密教、神道と宗派を問わず学び、密教の呪術的解釈を排し、
梵語の文法を研究、梵文で書かれた仏教教典を正しく読解することに尽くして、
戒律を重視する「正法律」(真言律)を提唱されました。
その初めて戒律の講義を行なったのが、この長榮寺であったそうです。

しかしながら、境内には色々な像が並んでおります。 厄除けもあれば

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水掛不動さんもおられますし、

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この方は、福禄寿でしょうか。 木彫りですね、それも立ち木で彫った??
北海道で見たらコロポックルと間違えられそうですよ(失礼)。

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涅槃堂の上には、優しそうなお顔ですが、不動明王でしょうか。

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ペット供養もされるそうで、多彩です。
あと、境内の奥に行かなかったので「雙龍庵」を見逃してしまいました。

「雙龍庵」は、慈雲尊者が宝暦8年(1758年)生駒山中・長尾の滝の上流に隠棲、
修行のために建てられた草庵で、ここに移築、保存されているのでした。
ここで千巻にも及ぶ梵語研究の大著『梵学津梁』を著されたとのこと。

なお境内に入ったすぐ脇に開山堂があります。

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失礼して扉の隙間より中を写させてもらいました。

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中央に慈雲尊者の像が据えられております(合掌)

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なお扉の脇には、こんな貼り紙もありました。

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P9291945 posted by (C)fronte360

http://twitter.com/jiunsonja
今流ですが、惜しむらくはガムテープで貼らないで欲しかったことかな。

長榮寺、慈雲尊者のことも勉強できて、色々と興味深いお寺でありました。
(おしまい)
posted by fronte360 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする