2011年11月20日

円空 こころを刻む

埼玉県立「歴史と民俗の博物館」に行ってきました。
今月27日(日)まで「円空 こころを刻む」と題した特別展をやってるのですね。
円空仏が50点以上も並んでいて、見応えのある展覧会でした。

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大阪人で、今では奈良に住み、日頃より仏像には慣れ親しんでいますけれど、
関西では円空仏をなかなか見る機会がありませので、興味深々・・・
ワクワクして大宮まで行ってきたのでした。

展覧会は構成も良く、よく考えられた展示内容、説明板も要領良くて、
回り込んで仏像の裏側も見えたりもして、面白かったんですけどね・・・
何しろ数が多かったのと・・ すべてガラスケースに入っていたのが、残念。

円空仏って、生活の中に根ざしたもの、と勝手に思っているので、
ガラス越しではなくって、空気越しに感じてみたかった、と思った次第です。
また数も多く、後半ちょっと疲れてしまって、贅沢なことでしょうけどね。

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2011年11月10日

池上本門寺

この前の土曜、天気は曇り空でしたけれど、
ちょうど1年ぶり、池上本門寺まで大森より歩き、蒲田まで歩いて戻りました。

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日蓮宗のお寺ですが、ここが日蓮が入滅、亡くなった所であること、
実は、こちらに来てから初めて知りました。 だからここは大本山なのですね。

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ここには力道山・・・ といっても判る人は同年代でしょうね。
そのお墓もあったりしますが、力道山が死ぬなんて子供心に衝撃でした。

昨年撮った写真を見ていると・・・
天気がよくないので、くすんで見えてしまってなんだかイマイチですね。
この週末もまた、天気がよくないのかなぁ〜

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posted by fronte360 at 05:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月09日

酉(とり)の市 について

単身赴任にこちらに来て、いまだによく分からないのが「酉(とり)の市」
wikipedia では以下のように書かれています。

酉の市(とりのいち)・酉の祭(とりのまち)・大酉祭(おおとりまつり)・お酉様(おとりさま)は、例年11月の酉の日に行われる「祭礼」。関東地方だけではなく名古屋市大須の稲園山七寺(長福寺)・大阪府大鳥大社など日本各地の鷲神社(おおとりじんじゃ)で行われている年中行事である。

大阪府大鳥神社など。。。と書かれても、まして、
酉の市の日に熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」を貰うお祭り・・・

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熊手に縁起物を付けるんやったら、
関西では1月9日〜11日の「えべっさん(恵比寿さん)」ですよねぇ。
しかも大森駅で見つけたのはテンコ盛りやし・・関西人には??な市ですわ。

なお大きな熊手は上野駅にもあるそうなんで、今度見てこようと思います。

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2011年11月08日

菊まつり、にて

この週末、そして文化の日と歩き回ってました。
さすがに菊の季節、至るところに菊が飾ってありました。

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菊といっても色々な種類があるのですね、
これらは湯島天神・文京菊まつりでのショットです。

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この湯島の菊まつりは、近隣の方々や、小中学校での菊も飾ってあって
なかなかに庶民的なお祭りなのがいいところですね。

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実はちょっと前から気になってましたが、
湯島の天神さんの真裏にも賽銭箱があるのですよね。

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恵比寿さま(関西では「えべっさん」ですね)
耳が遠いので、後ろからもお賽銭を入れてお参りするのは知ってますけど、
天神さん(菅原道真公)もそうなんですかねぇ・・・???

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2011年11月05日

池上本門寺・五重塔初層公開中

明日は天気が崩れるらしい・・・というので、今日は歩きましたよ。

大森から池上本門寺、そして蒲田まで歩いて戻ってきました。
詳細はまだいつかアップするとして

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今日と明日は、五重塔の初層が公開されていて、
折りよく、お坊さん(?)による解説までやっていました。
散歩のご利益でしょうか。

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帰りに東京駅で下車、八重洲の北海道のアンテナショップに寄り、
更に駒込まで山手線で移動、田端銀座を経由して帰宅したら 7,982歩でした。
月曜は決算最終日なんで、ちょいとこのあたりとしましょう。
なかなか 10,000歩にはなりませんな。

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posted by fronte360 at 15:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月04日

文化の日 「 坂道・ぶんきょう展」

本郷の文京区立「文京ふるさと歴史館」まで歩いて行ってきました。

いま、開館20周年記念特別展 「坂道・ぶんきょう展」をやってますが、
文化の日は、なんと入館料 300円が、無料公開日になっているのですね。

文京区は坂の街。
名前が付いている坂だけでも 115箇所もあって、
まして散歩をしているので、坂道はその中のスポットでもあるのですね。
今回も、この先の炭団坂を登って「文京ふるさと歴史館」へ向かってましたが

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足元でに、にやぁ〜 にやぁ〜 と、いい声がしたので、
思わず自分も にやぁ〜 にやぁ〜 と鳴きながら、記念撮影ですね。

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何故か坂道にはネコちゃんが多いような気がしますよね。
ま、それはさておき「文京ふるさと歴史館」

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写真のみならず、浮世絵、古地図、書籍など多角的にスポットライトを当て、
要を得た解説パネルに、日ごろ歩いている坂道がより豊かに感じる内容、
いつもながら力の入った特別展の展示内容に魅入ってしまいました。

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この内容が網羅されている「特別展図録」を購入しました。
カラー図版が満載されて 560円。 文化の日、これはいい買い物をしました。

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posted by fronte360 at 05:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月02日

小日向神社、服部坂

10月29日(土)の散歩の記録、
坂を登って小日向台を歩いてゆくと、こんどはまた下り坂・・・
文京区は坂の多い所なんです。 名前のある坂だけでも 115箇所もあります。

その坂にかかるところにあったのが、小日向神社
境内に自動車が停まっているのがちょいと気に入りませんが、散策

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狛犬さんが、居ないですね

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この上にあったのでしょうか、それだととても高い位置になりますね。

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調べてみたら、狛犬さんではなく、石灯篭が乗って写真を見つけました。
先の地震で落ちたのでしょうか??

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さてここから坂の下には神田上水が見えます。
その坂、服部坂をくだってから見上げると、こんな感じ。

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坂の上には江戸時代、服部権太夫の屋敷があり、それで「服部坂」と呼ばれた。 服部氏屋敷跡には、明治2年(1869)に小日向神社が移された。
永井荷風は眺望のよいところとして、『日和下駄』に「金剛寺坂荒木坂服部坂大日坂等は皆斉(ひと)しく小石川より牛込赤城番町辺を見渡すによい。・・・・」と書いている。
坂下にある旧文京区立第五中学校はもと黒田小学校といい、永井荷風も通学した学校である。 戦災で廃校となった。


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と、珍しく古地図も書かれたプレートがありました。

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決算対応中。
部屋に戻ったら0時20分でしたが、ちゃんと5時前に起床。
さすがに、疲れが抜けてなくて眠いけど・・・ とにかく行ってきます。 

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posted by fronte360 at 05:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月01日

茗荷谷、新渡戸稲造

10月29日(土)の散歩の記録、
深光寺の隣、縛られ地蔵で有名な林泉寺があったのを帰ってから知りました。
残念、今度チャレンジしてみましょう。
拓殖大学の前に「茗荷谷」のプレートがありました。

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江戸時代、このあたりに茗荷畑が多かったのでついた地名が茗荷谷・・・
そのままやね。 本当にここは谷ですよ。
ここを右にのぼってゆくと、地下鉄茗荷谷駅方面へと出ますが、
左手の坂を登ってゆきました。 振返るとこんな感じ。

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すると、プレートのある区画・・・ ここが新渡戸稲造の旧居跡だそうです。

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新渡戸稲造(1862-1933)は、農学者、教育家、国際人。 南部藩士の子として盛岡に生まれ、幼くして上京した。 明治10年札幌農学校第2期生として内村鑑三らと共に学んだ。 さらに、東京帝国大学に学び、またアメリカやドイツに留学して農政経済学や農学統計学などを学んだ。
農政学者・教育者として活躍し、国際連盟事務局次長として 「太平洋のかけはし」として知られる新渡戸稲造(1862〜1933)の旧居跡。 盛岡・南部藩士の子として生まれ、内村鑑三らとともに札幌農学校に学んだ。 その後、東京帝国大学に学び、アメリカ、ドイツに留学し帰国後は自由主義的、 人格主義の教育者として多大な影響を与えた。 この地には、明治37年から没するまで住んだ。
明治24年、メアリー夫人(アメリカ人)と結婚して帰国、札幌農学校で教えた。 後、京都帝大教授を経て、明治39年第一高等学校長となり、学生に深い影響を与えた。 その後東京帝国大学教授、東京女子大学初代学長となった。 また、地元拓殖大学の学監(学長)も務めた。
「太平洋の橋」になることを若い時から考え、国際的にも活躍し、わが国の思想や文化を西洋に、また静養のそれをわが国に紹介することに努めた。 大正9年には国際連盟事務局次長となり、”連盟の良心”といわれた。 昭和2年帰国して、太平洋問題調査会理事長となり、きびしい国際情勢のなか平和を求めて国際会議に出席してカナダで亡くなった。
ここは、明治37年から昭和8年まで住み、内外の訪問客を迎え、ニトベ・ハウスと呼ばれた旧居跡である。


プレートにはこのように書かれてました。
なるほどね、お札の人という認識くらいしかありませんでしたけど、
勉強になりました。

しかしこの旧居跡、ちょっと荒れた感じですよね、何とかなりませんかね。

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11月になりました。

昨夜は23時帰宅でしたが、今夜は23時すぎに退社予定・・・
特に大変な事態ではなく、逆に平穏な感じなんですけどもね、ふぅ〜

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posted by fronte360 at 05:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月31日

茗荷谷、深光寺・滝沢馬琴墓

10月29日(土)の散歩の記録、
丸の内線のガード下をくぐって拓殖大学の手前、急な参道のあるお寺を発見。
深光寺、参道の途中にあったプレートに「滝沢馬琴墓」と書かれていました。

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そのお墓は、本堂の前・左側、すぐ判るところにあります。

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滝沢馬琴 wikipedia では以下のように書かれています。

曲亭馬琴(きょくていばきん、明和4年6月9日(1767年7月4日) - 嘉永元年11月6日(1848年12月1日))は、江戸時代後期の読本作者。 本名は滝沢興邦(たきざわおきくに、瀧澤興邦)で、後に解(とく)と改める。号に著作堂主人(ちょさくどうしゅじん)など。

代表作は『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』。ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家である。

滝沢馬琴の名でも知られるが、これは明治以降に流布した表記である。 現在確認できる限り本人は滝沢(瀧澤)馬琴という筆名は用いていない。


それはともかく、お墓の台座部分のマーク、気になりました。
庵でしょうか、なかなかに現代的センスだと思います。

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馬琴のお墓の後ろにあった石仏も貼っておきましょう。
なかなか強そうながらも愛嬌もある明王さん(?)、光背の模様もいいですね。

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そして、参道の坂の途中には、沢山の石仏が並んでいて

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これらは、無縁さんでしょうねぇ・・・

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なかなか癒される空間でした。

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ブルー・マンデーなんですけどね、10月も今日でお終い、締日対応です。
明日から11月、1日も締日、そして2日は原価対応、決算対応が目白押し・・・
うつうつと言っている場合じゃないんですね。

今朝は久しぶりに麦御飯、しかも玄米も入れて炊きました。
しっかり食べて頑張りましょう。

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posted by fronte360 at 05:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月30日

茗荷谷、藤坂・藤寺(伝明寺)

このところサボってましたが、土曜日、久しぶりに歩きましたよ。
ということで、お散歩記録をこれから数回アップロードしたいと思います。

なんとなく護国寺へ行く予定でしたが、播磨坂を登りきって春日通りの交差点、
ここで通りを横切って、向こう側に急な坂道があったので、降りてみました。
ここは初めての道になります。

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IMGP6398 posted by (C)fronte360

降りきると「藤坂(富士坂・禿坂)」のプレートがありました。
以下はプレートに書かれていた内容です。

「藤坂は箪笥町より茗荷谷へ下る坂なり、藤寺のかたはらなればかくいへり、」(『改撰江戸志』)藤寺とは坂下の曹洞宗伝明寺である。
『東京名所図会』には、寺伝として「慶安三年寅年(1650)閏十月二十七日、三代将軍徳川家光は、牛込高田田辺御放鷹(鷹狩のこと)御成の時、帰りの道筋、この寺に立ち寄り、庭一面に藤のあるのを見て、これこそ藤寺なりと上意があり」との記事があり、藤寺と呼ぶようになった。
昔は、この坂から富士山が望まれたので、富士坂ともいわれた。
『続江戸砂子』い、「清水谷は小日向の谷なり。むかしここに清水が湧き出した」とある。また、ここの伝明寺には銘木の藤あり。一帯は湿地で、禿(河童)がいて、禿坂ともいわれた。
   藤寺のみさかをゆけば清水谷
      清水ながれて蕗の苔もゆ (金子薫園)


そして、脇には藤寺こと伝明寺が今もあって

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なんと立派な庚申塔が立ってますよ。 嬉しいなぁ。

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IMGP6400 posted by (C)fronte360

清水は、坂の上に高層マンションが建ったせいか、涸れてしまったようです。

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IMGP6401 posted by (C)fronte360

こじんまりとした境内には、いくつかの石仏が鎮座しています。

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IMGP6402 posted by (C)fronte360

なんとなく落ち着いた風情のあるお寺ですね。

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IMGP6404 posted by (C)fronte360

ここを出て地下鉄丸の内線のガード下をくぐり、
そうここは地上を地下鉄が走ってまして、拓殖大学方面へと向かいます。

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posted by fronte360 at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 08〜12-東京散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする