2013年07月05日

石切散歩・石切劔箭神社上之宮

6月29日、爪切地蔵尊より夢観音堂の前を通って石切劔箭神社上之宮へ。
石切さんと呼ばれて信仰を集めている石切劔箭神社の奥の院になります。

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P6294754 posted by (C)fronte360

夢観音堂の脇の参道を進みますと、本殿への階段が見えてきました。
本社の賑わいと違って、ここは森閑とした落ち着きを感じますが、
ここは本社よりも歴史的に古く、約2660余年前(神武天皇2年)創建。

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江戸時代には上之社・下之社が「河内名所図会」に記載されるなど
2社が存在していたようですけれど、明治40年に本社に合祀されてしまい、
昭和47年(1972年)になって上之宮として再興されたそうです。

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石段を上ると拝殿、ほんとど参拝者もおらず、
「石切上ノ宮」と書かれたお百度石も寂しく立っております。
本社だと何人もの方がぐるぐるとお百度石をまわっておられますが・・・

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なお社殿の前にある四角の石段ですが、御神輿台であるようです。

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上之宮、一種猥雑なエネルギーを感じる石切さん本社とは違った雰囲気です。
少々驚きながらも、以下の看板があったので行ってみることにしました。

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そのために回廊をくぐって本殿を振り返ったら、
アクリルでしょうかパネルに囲まれてますね、壁画を守っているようです。

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2013年07月04日

石切散歩・上之宮への道

6月29日、爪切地蔵尊を拝んだだけで帰るのも勿体ないので散策を続行。
まずは爪切地蔵尊のある坂道をちょっと上ってゆきますと・・・道路脇に祠。

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祠には石仏が置いてあるようですけれども、脇にある看板がいいですなぁ。
お出かけはカギかけ 声かけ たのみ合い

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そして祠の中の仏さま、
比較的新しいものですが、右側は地蔵菩薩、左側は・・・如来さんでしょう。
掃除も行き届き、お茶やお花も手向けられて、信仰を集めております。

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さて、ここから先の坂道をさらに上ってゆきますと・・・
石切劔箭神社上之宮への参道、こちらに行くのですけれども、
写真で、木立の向こうに見えるでっぱり、近鉄電車からも見えますが、
ここまで近づいたのは初めてです。 これが、石切夢観音堂。

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毎月1日と日曜・祝日の昼間だけ開いているようですね。
今日は土曜日なので閉館、もっとも開いていたとしても興味ありませんが・・・

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写真で見えたでっぱりは、天女が舞っているのでした。

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P6294753 posted by (C)fronte360

目的地は、このお隣。 石切劔箭神社上之宮。 こちらへ行きます。
しっかし夢観音堂のペガサス、なんかしっくり来ないんですけど、
このごちゃごちゃ感が石切さんらしいといえば、らしいところですねぇ。

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2013年07月03日

石切散歩・爪切地蔵尊

6月29日、買い物に出たついでに先日見損なった爪切地蔵尊にリトライ。
近鉄奈良線石切駅より坂道をのぼって、すぐに発見(2度目ですしね)。

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P6294734 posted by (C)fronte360

前回、坂を登って見えている側のお堂の扉より中を覗いただけでした。、

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今回、回り込んで山側のお堂の扉より覗いてみましょう。

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お隣の民家のブロック塀との間に入り込みますと・・・おおっ!! 磨崖仏。

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爪切地蔵  石切町
この道は辻子(ずし)越と呼ばれ河内から生駒山宝山寺に通ずる重要な交通路であった。
この小堂の中にまつられている地蔵は花崗岩の自然石の面を平らにし、中央に地蔵菩薩の立像、左右下に十王の倚座像を線彫りにした珍しいもので室町時代ごろの作品であろう。 弘法大師が一夜に爪(つめ)で刻んだという伝説がある。


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P6294739 posted by (C)fronte360

上の写真は左下の十王です。
下の写真はお地蔵さんのお顔ですね。 手には宝珠を持っているのでしょうか。

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P6294745 posted by (C)fronte360

ようやく拝むことができてスッキリしました。

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2013年07月02日

天満橋〜大阪城散歩・大手口

6月22日、天満橋から大阪城の散歩、天守閣・本丸御殿跡を出て桜門、
豊國神社を出てから大手門に戻ることにしました。

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大手口枡形の巨石
枡形とは白の主要な出入口に設けられた四角い区画のことで、敵の進入を食い止める役割を果たした。 築城技術の進歩にともなって強固な石垣造りのものがあらわれ、大阪城の大手口枡形では城の威容を誇示する巨石が数多く使用されている。 大手門をくぐって正面に位置する大手見付石【おおてみつけいし】は、表面積が約29畳敷(47.98平方メートル)で城内第4位、左の大手二番石【おおてにばんいし】は約22畳敷(35.82平方メートル)で第8位、いずれも採石地は瀬戸内海の小豆島【しょうどしま】と推定されている。 現存する大阪城の遺構は豊臣時代のものではなく、元和6年(1620)から約10年にわたった徳川幕府再築工事によるもので、石垣は将軍の命令を受けた諸大名が分担して築いた。 この箇所は当初肥後熊本藩主加藤忠広【かとうただひろ】が築き、のちに筑後久留米藩主有馬豊氏【ありまとようじ】が改築した。

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大手口の枡形を抜けて

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P6224706 posted by (C)fronte360

大手門をくぐると大阪城ともさようなら。

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P6224711 posted by (C)fronte360

すでに18時を回っているので、影が長くなっていますけれども、
日差しがまだあって、いい散歩を楽しめました。

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P6224712 posted by (C)fronte360


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2013年07月01日

天満橋〜大阪城散歩・桜門より豊國神社

7月になってしまいましたが、天満橋〜大阪城散歩の続き・・・
6月22日、天満橋から大阪城の散歩、天守閣・本丸御殿跡を出て桜門へ、
ここにも巨石がありました。

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P6224688 posted by (C)fronte360

桜門枡形の巨石
桜門の内側には、本丸の正面入口を守るため、石垣で四角く囲まれた「枡形」とよばれる区画が設けられ、上部に多聞櫓【たもんやぐら】が建てられた。 この枡形は、徳川幕府による大坂城再築工事の第2期工事が始まった寛永元年(1624)、備前岡山藩主池田忠雄【いけだただお】の担当によって築かれ、石材は備前(岡山県)産の花崗岩【かこうがん】が用いられている。 正面の石は蛸石【たこいし】と呼ばれる城内第1位の巨石で、表面積がおよそ36畳(59.43平方メートル)、重量は約108トンと推定される。 向かって左手の巨石は振袖石【ふりそでいし】(袖石【そでいし】)とよばれ、表面積はおよそ33畳敷(53.85平方メートル)で、城内第3位である。 なお、上部の多聞櫓は慶応4年(=明治元年、1868)、明治維新の大火で焼失した。

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P6224689 posted by (C)fronte360

こんな感じで本丸正面入口を守っているのですね。

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P6224690 posted by (C)fronte360

桜門を出て内堀を渡った正面にあるのが、いかにも大阪らしい、売店・・・
看板に書かれているのは、ラーメン、とうもろこし、フランクフルト、
お好み焼き、やきそば、からあげくん、たこ焼、スノーボール
左の提灯に、酒・ビール。 右には氷のビニールと、ソフトクリームの人形2体、
右端の看板は、いか玉焼。 屋根の上にはソフトクリームも載ってますね。

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P6224705 posted by (C)fronte360

お目当てはここではなく、もちろん左側の鳥居のところ。
太閤秀吉を祀った豊國神社(ほうこくじんじゃ)です。

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P6224694 posted by (C)fronte360

境内には、太閤秀吉の像も建っております。

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P6224695 posted by (C)fronte360

御由緒によると豊臣秀吉公、豊臣秀頼公、豊臣秀長卿を奉祀する神社とのこと。
明治元年、明治天皇大阪行幸時、太閤秀吉を大阪の清浄な地に奉祀するように、
との発願をされて、最初は中央公会堂のあたりにあったようです。
その後大正元年の中央公会堂建設で府立図書館の西側に移って、
市庁舎拡張に伴って現在の大阪城内には昭和36年に移ってきたとのこと。

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P6224701 posted by (C)fronte360

ということで、社殿もコンクリート製でちょっとなんですけどね、
社殿脇に詰まれた酒樽・・・右の赤丸のついた3つ
銘柄が「天下統一」とあり「大坂城の酒」と書いてます。

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P6224703 posted by (C)fronte360

こんなんあったんやね、知らなんだ。




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2013年06月28日

天満橋〜大阪城散歩・大阪城本丸

6月22日、天満橋から大阪城の散歩、天守閣を見上げて天守閣前の広場、
ここは本丸御殿のあったところ。

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本丸御殿跡
城の中心部を本丸といい、大坂城の本丸には天守のほか、政治を行うための御殿があった。 豊臣時代の本丸御殿は大坂の陣で焼失し、その後、徳川幕府によって本丸に盛土をほどこし再び築かれた。 幕末には十四代将軍徳川家茂が徴収戦争の指揮をとるなど、重要な歴史の舞台にもなっている。 慶応4年(=明治元年、1868)、明治維新の動乱の中で全焼し、明治18年、跡地に和歌山城二の丸御殿の一部が移されたが(紀州御殿)、これも昭和22年(1947)に焼失した。 ここは江戸時代の本丸御殿の玄関付近にあたる。

紀州御殿は陸軍第四師団が使っていたそうで、
昭和5年に天守閣とともに建てられた師団本部がコレですね。

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P6224676 posted by (C)fronte360

大阪市立博物館として利用されていましたが、
大阪歴史博物館が開館することにともなって2001年に閉館となったまま・・・

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P6224682 posted by (C)fronte360

軍需施設らしい重厚さがありますね。

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P6224677 posted by (C)fronte360

あと本丸跡にあるのが、タイム・カプセル。

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タイム・カプセル EXPO70
「人類の進歩と調和」をテーマとした日本万国博覧会を記念して毎日新聞社、松下電器産業株式会社の両社は同じ内容のカプセル2個を完成し、この地下15mに埋設しました。
日本をはじめ世界各国の人びとの協力を得た選んだ20正規の文化所産2098点が、最新の保存技術によって特殊金属容器に収納されています。
私たちは限りない世界の平和と繁栄を信じて、5000年後の人類にこれをのこします。
上部のカプセルは毎世紀初頭に、下部のカプセルは6970年に開封していただくことをここにお願いします。
1971年3月15日


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P6224679 posted by (C)fronte360

2000年の第1回開封の際、カプセルから取り出したマツやヒノキの種子を
試験栽培したところ、みごとに芽を出して育っているそうで、
アカマツ3本が吹田市の万博記念公園に移植され公開されているそうです。



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2013年06月27日

天満橋〜大阪城散歩・大阪城天守閣

6月22日、天満橋から大阪城の散歩、
極楽橋を渡って天守閣へと向かう途中にあるのがコレ

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秀頼・淀殿ら自刃の地
慶長20年(=元和元年、1615)の大坂夏の陣では、旧暦の5月8日、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母余語殿が、山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えている。
それにちなんで平成9年(1997)、現在の山里丸の一画に大阪市の手によりこの記念碑が建てられた。


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山里丸は、大阪城天守閣の裏側(北側)にあたり、
その名のとおり山里の風情を持ったところのようだったそうです。

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P6224670 posted by (C)fronte360

坂を登って天守閣を見上げます。

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見慣れていることもあるけど、やはりカッコ良い城です。

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昭和天皇の即位記念事業として昭和3年より整備が進められ、
大阪市民の募金によって天守が鉄筋コンクリートで昭和5年着工、6年に完成。
大阪で最初のエレベータが設置されたのもここだったはずです。



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2013年06月26日

天満橋〜大阪城散歩・大阪城内堀

6月22日、天満橋から大阪城への散歩、外堀を京橋口より城内に入り、
内堀にむかうと、見慣れない形状のこま犬さんがいます。

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P6224654 posted by (C)fronte360

ちょっと見難いですけど、木立の向こうには天守閣も見えています。

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こま犬
この一対の「こま犬」は中国・明【みん】の時代の文化遺産で、それぞれ高さ約3メートル、重さ約2.9トンある。 日中戦争の最中に日本へ運ばれ、当時陸軍第四師団司令部のあった大阪城内に置かれた。 戦後も長らく山里口出枡形【やまさとぐちでますがた】の東付近に置かれていたが、昭和59年(1984)、中国政府により改めて大阪市に寄贈されることとなり、現在の場所に移された。 以来この「こま犬」は、両国人民の友好関係を促進し、友誼を深める象徴となっている。 脇に建立された記念碑には、変わらぬ中日友好への願いをあらわした「中日友好 萬古長青」の文字が刻まれており、これは当時の宋之光中華人民共和国中日本国特命全権大使の筆になる。

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さあて内堀に沿って歩きましょう。 天守閣が綺麗ですね。

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内堀
本丸を取り囲む堀で、南側を空堀とするほかは水堀となっている。 寛永元年(1624)開始の徳川幕府による大坂城再築第2期工事により、豊臣時代の本丸に盛り土をほどこして石垣が築造された。 幕府の命令によって動員された大名は豊前小倉藩細川家・加賀金沢藩前田家・因幡鳥取藩池田家・筑前福岡藩黒田家をはじめとする59家で、総延長は約2.7キロメートル、東側石垣の高さは水面から約24メートルに達する。 本丸内には堀に面する石垣の角を中心に3層の櫓が11棟、2層の櫓が2棟そびえていたが、明治維新の大火による全て消失した。

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P6224663 posted by (C)fronte360

22倍ズームの威力を発揮してみました。

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極楽橋を渡っていよいよ天守閣へと向かいます。

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2013年06月25日

天満橋〜大阪城散歩・大阪城へ京橋口より入る

6月22日、所用あって天満橋へ、所用も果たしたので散歩です。
このところ所用先よりよく見ている大阪城
ここに行くしかないですね。

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P6224645 posted by (C)fronte360

さあてどちらに行くか・・・

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大手門方面は中学時代の通学路でもあったので、
写真上の京橋口にしましょう・・・と歩き始めて、振り返って大手門を遠望。

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右から、大阪府庁、大阪府警本部で
府警本部の後ろの背の高いのがNHK大阪放送局で
その左にちょっと湾曲しているのが大阪歴史博物館であります。

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P6224650 posted by (C)fronte360

京橋口が近づいて天守閣も見えてきました。
外堀を渡って京橋口より城内に入る、巨石があります。
説明板を読んでみましょう。

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P6224652 posted by (C)fronte360

京橋口枡形の巨石
京橋口枡形の内、京橋口を入って正面に見えるのが、表面積が畳約33畳敷(54.17平方メートル)にもなる城内第2の巨石「肥後石」である。 築城の名手加藤清正が運んできたと伝えられてきたが、実際は徳川幕府による大坂城再築時に、この区域の石垣築造を担当した備前岡山藩主池田忠雄によって運ばれた。 肥後石の左手が京橋口二番石で、表面積が畳22畳敷(36.00平方メートル)の、城内第7位の巨石である。

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2013年06月24日

天満橋〜大阪城散歩・母校界隈

6月22日、所用あって天満橋駅に降り立ちましたが、
ちょっと時間があったので、所用を果たす前にちょっと寄り道散歩を敢行。

地下鉄の4番出口を出て西へ・・・あれっ、様子が違う。
以前ここに来たのは10年くらい前かしら、角をくるっと回って一筋南へ

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P6224633 posted by (C)fronte360

ここのグラウンドは、自転車置き場が付け加わってますけど同じやなぁ〜
ほいでもって向かい側の建物・・・ビルになってますけれども、
現在は、大阪市立中央高等学校、単位制の高校ですね。
これは母校ではありませんが・・・

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P6224631 posted by (C)fronte360

ビルの手前(写真左下)にある石碑

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P6224632 posted by (C)fronte360

大阪市立東中学校、我が母校がかつてここ天満橋にありました。
今は船場中学と合併して谷町4丁目に移転、東中学の名前は残りましたけど、
校歌なども変わってしまったので、もうまったく別の学校ですね。

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P6224635 posted by (C)fronte360

中央高校の正門(かつてここは通用門、プールがありましたね)。
グラウンドがわずかに面影を残しています。

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P6224634 posted by (C)fronte360

当時、50m走の計測は、グラウンドを斜めに走らないと出来なかったけど
今なら自転車置き場があるので、50m走が出来るかのかな・・・
なんて思いながら、谷町筋に出た角を右に曲がりますと、
このお寺は同級生の家だったりします。

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P6224636 posted by (C)fronte360

以前ここに来たのは6〜7年前になるでしょうか、
同級生のお葬式でしたねぇ・・・若くして癌で逝ってしまいました。
その時に参列した同級生の一人も単身赴任中に糖尿病で亡くなりましたし、
そんな年齢になってしまったのですね。

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P6224638 posted by (C)fronte360

道路を渡って、天満橋に戻ります。

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P6224643 posted by (C)fronte360

天満橋の松坂屋は今はもうありませんけれども、
実家の母など地下のデリスタで買物をしても松坂屋で買ったと今も言います。

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そしてOMMビル、大阪マーチャンダイズ・マートビル
これでマーチャンダイズが商業なんだと覚えた中学時代でありました。
ここも古いですね、竣工した1969年当時、大阪で一番高いビルでしたものね。
1989年にマジックミラーガラス張りに改装されて見栄え良くなりましたけど。

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