紫と白色の藤の花が咲いていました。
僕が小学生の頃からある藤棚ですが、小学生の頃には藤の木はなくて、棚だけでした。
何も無い藤棚によじ登って遊んでいたものですけどね。
2025年04月17日
2025年04月16日
2025年04月04日
松伯美術館のしだれ桜、ほか
「上村三代の恩師たち」を観に行きました。
展示館前のしだれ桜が藤棚のようになっていて綺麗。
しかも青空に映えてました。
また展示館の中庭越し、お庭の築山の桜も見えて清々しかったな。
今回の展覧会、上村三代それぞれの恩師の解説に、その恩師への各上村さんの言葉、
その恩師の絵画と並べ、その上村さんの絵画も展示する見ごたえのある展示内容でした。
次回の展覧会は、5月からとなりますけれど、
5月よりここの会員ともなることに(学生会員ですけれど)しました。
(昨年までの、野立てお茶券が無くなったのが、本当に残念ですけれど)
展示館前のしだれ桜が藤棚のようになっていて綺麗。
しかも青空に映えてました。
また展示館の中庭越し、お庭の築山の桜も見えて清々しかったな。
今回の展覧会、上村三代それぞれの恩師の解説に、その恩師への各上村さんの言葉、
その恩師の絵画と並べ、その上村さんの絵画も展示する見ごたえのある展示内容でした。
次回の展覧会は、5月からとなりますけれど、
5月よりここの会員ともなることに(学生会員ですけれど)しました。
(昨年までの、野立てお茶券が無くなったのが、本当に残念ですけれど)
2025年03月29日
大和文華館のしだれ桜、ほか
しばし休館となり、当方も慌ただしくで足が遠のいていた大和和文華館
ちょっと時間が空いて、会員なので行かないともったいない精神も発動して
行ってみたら、しだれ桜の満開に出会えました。
しかも天気もよろしく、清々しい気分で展示「春の訪れ −梅と桜− 」を鑑賞。
梅園も訪れましたが、さすがにさすがに梅の花はほとんど落ちていましたけれど、
足元にはタンポポが咲いて、春の訪れを実感しました。
ちょっと時間が空いて、会員なので行かないともったいない精神も発動して
行ってみたら、しだれ桜の満開に出会えました。
しかも天気もよろしく、清々しい気分で展示「春の訪れ −梅と桜− 」を鑑賞。
梅園も訪れましたが、さすがにさすがに梅の花はほとんど落ちていましたけれど、
足元にはタンポポが咲いて、春の訪れを実感しました。
2025年03月24日
2025年03月19日
2025年03月07日
2025年03月06日
はりまや橋交差点
マンションを退去したので今宵のお宿は、はりまや橋の西鉄イン
ここは、路面電車が見下ろせるロケーション!

チェックインしたのち、下を見ていると・・・
ちょうど桟橋方面から鏡川橋・いの方面への電車が曲がってゆきました。
この景色もありますが、何より朝食バイキングが魅力的だったのですけどね。
ここは、路面電車が見下ろせるロケーション!

チェックインしたのち、下を見ていると・・・
ちょうど桟橋方面から鏡川橋・いの方面への電車が曲がってゆきました。
この景色もありますが、何より朝食バイキングが魅力的だったのですけどね。
退去準備完了
高知大学、当方は行かなかったものの、長女長男が通うことになりました。
じつは当方は高知大に合格していましたが、帯広のほうも合格したので(1期・2期校時代の最後)、合法的家出ならより遠い方に行ったのでした(関西人にとって北海道も魅力的ですものね)。
しかし、2006年だったかな、高知大学でのお仕事を担当することになりました。
それで足掛け約半年、高知に通うことになって、高知愛に目覚め、自宅でも高知愛を語っていたら、なんと子供が二人とも高知大に行くことになってしまったのでした。
そんなことで高知に借りていた部屋、子供が卒業した後は当方の隠居部屋として住むつもりで、乏しい年金を工面して維持していました。
しかし、いろいろとワケあって、大家さんから退去しては・・・ との言葉があり、悩みましたけれど、背に腹は代えられない年金生活を鑑みて、これを機として高知の部屋をたたむことを決心したのでした。
高知での生活は14年となり、家財道具は多くなりました。
処分するもの、持ち帰る物、仕分けや処分・配送も大変でしたけれど・・・
何も無い部屋は気持ちいいねぇ…
南向き、陽当りの良さは当然ながら、夏などは昼下がりまで、海方向からの涼しい風が吹き抜ける気持ちの良い部屋でした。
あとは、大家さんとの引き渡し。。。
もっとも今回、大家さんからの退去依頼があり、モメる要素はないはずです。
高知を離れるのは残念ですけれど、ここ以上に良い所が探せませんでしたので、
いったん仕切り直しをすることにしたのですね。 高知LOVEは不変!!
じつは当方は高知大に合格していましたが、帯広のほうも合格したので(1期・2期校時代の最後)、合法的家出ならより遠い方に行ったのでした(関西人にとって北海道も魅力的ですものね)。
しかし、2006年だったかな、高知大学でのお仕事を担当することになりました。
それで足掛け約半年、高知に通うことになって、高知愛に目覚め、自宅でも高知愛を語っていたら、なんと子供が二人とも高知大に行くことになってしまったのでした。
そんなことで高知に借りていた部屋、子供が卒業した後は当方の隠居部屋として住むつもりで、乏しい年金を工面して維持していました。
しかし、いろいろとワケあって、大家さんから退去しては・・・ との言葉があり、悩みましたけれど、背に腹は代えられない年金生活を鑑みて、これを機として高知の部屋をたたむことを決心したのでした。
高知での生活は14年となり、家財道具は多くなりました。
処分するもの、持ち帰る物、仕分けや処分・配送も大変でしたけれど・・・
何も無い部屋は気持ちいいねぇ…
南向き、陽当りの良さは当然ながら、夏などは昼下がりまで、海方向からの涼しい風が吹き抜ける気持ちの良い部屋でした。
あとは、大家さんとの引き渡し。。。
もっとも今回、大家さんからの退去依頼があり、モメる要素はないはずです。
高知を離れるのは残念ですけれど、ここ以上に良い所が探せませんでしたので、
いったん仕切り直しをすることにしたのですね。 高知LOVEは不変!!