2024年01月01日

初詣は大仏殿

介護の合間を縫って、早朝より大仏殿に初詣
元日の午前0時から8時まで、大仏殿の中門が開放。
初詣として、無料で入ることが出来るのですね。

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廬舎那仏、『華厳経』による究極の本尊、
宇宙も含む世界(精神世界をも含む)中心です。
当時は雑部密教(雑密)と言われていたころですが、空海によって体系化された密教(純密)が導入されると、この存在は大日如来となるそうです。

卒論の資料集めをして知りました。
卒論の対象としている法華堂本尊不空羂索観音像は、『法華経』「観世音菩薩普門品」による現世利益の追求による造仏と考えられ、廬舎那仏は宇宙をも含む世の中全体の平穏を願った『華厳経』による造仏。 いまこちらにも興味が魅かれています。

『華厳経』「十地品」は、菩薩が悟りを開く10段階のプロセスが説かれています。
6段階までは自分の利益「自利」の追求について、7段階からは他者の恵みを与える「他利」が説かれますが、そして最後の10段階。 最高の境地に至ることはスーパーマンになるのではなく、「ありのままに見る」「真実の姿、世界に目を開く」ことができる存在になるということ。 仏教の基本的な姿勢が描かれているようで、とても奥深いなぁ、と感じます。

聖武天皇はこの『華厳経』を重んじました。
飢饉や地震などの天災、疫病が蔓延していた天平時代にあって、疲弊していた国力を注いでもなお建立したかった廬舎那仏(大仏)。
『華厳経』を知ることでそのことも理解できるような気がします。 

しかも鍍金が始まったばかり、完成していない状況下でありながら、天平勝宝4年(752年)大仏開眼法要を行っています。
この年は仏教伝来200年という節目であったと言われていて、いかに仏教を頼りとした国造りをしたかったのか、そう考えていたことの証左としての廬舎那仏なのでしょう。

卒論の勉強を始めてから、単にデカイ大仏を造りたかったのではなく、なぜ作りたかったのかの造像背景(社会情勢など)も知るようになり、今年はちょっと違った気分でお詣りをしました。
posted by fronte360 at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | mobile | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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