思いもかけず母親が脳梗塞で救急搬送という事態に陥ったのが2022年5月。
実家リフォームなどを経て、同年9月末より実家で母親の介護となり(世間では老々介護の範疇になるみたい)早や1年3ヶ月。 母親も9月で90歳を迎え、同居を始めた頃よりも足腰の衰えはいかんともしがたく、徐々に退行しております。 筋肉は、いくつになっても鍛えられるようですが、何ぶん面倒なことが嫌いな本来の性分(昔はそう思わなかったけどなぁ)が出ているみたい。 この年齢ですからね、我慢したり努力する気力も衰えているのでしょう。 反面教師にしたいと思います。
そんなことやらで、自分の時間が作りやすくなりました。
同居当初みたいに夜更かししたり、早朝にTVを見たいと言って起きてくることはほぼ皆無。 夜8〜9時には床に入り、デイサービスのない日なら昼まで寝るのが常態化しています。 同居を始めた前後より、奈良大学の勉強は滞ってしまいましたが、またこの頃にやっていたのが難解な教科書の「シルクロード学」。 理解を進めるための参考書がいま手元3冊残っていますけれど、これらも読み込んでのレポート作成には難渋しました。 これを過ぎてからスクーリング(コロナのためにリモート開催)ではずみをつけて勉強再開、春先からテキスト科目で単位習得にまい進しました。
思い返して面白かった勉強は「西洋史概論」ですね。
レポート課題がテキストのギリシア・ローマ史のなかから章を選んで「自由に述べよ」。 これで 6,400文字を埋める必要ありましたが、アテナイの民主政をテーマとし、現代日本の地方議会にも抽選制で議員を選出することを提案するレポートを作成。 国政は憲法改正が必要だとか、裁判員裁判も抽選制なのですよね、とても良い勉強をしたと思いました。
あと「西洋史特殊講義」も面白かったなぁ。
英国の近代史より転換点を述べなさいという 3,200文字のレポート作成。 イギリス二大政党政治の転換と戦間期社会をテーマとしました。 欧州社会では、第一次世界大戦で受けた影響の大きさは計り知れないものがあるのですね。 この学習中、日本ではこれが無かったことより無謀な第二次大戦に突き進んだ、との司馬遼太郎さんも指摘していて、レポート範疇外ですがこちらも勉強になりました。 テキストや参考書を纏めるレポート作成は得意なので、これらには面食らいましたけれど、自分の考えを纏めるために調べることから始めるので、ほんと勉強したなぁ、という実感も持てた良い時間でした。
そして極めつけは「卒論」。
じつは入学前から卒論におののいていました。 会社員を辞める1年前、奈良大学通信教育部の事を知って在職しながら奈良大で勉強したい、と思いましたけれど、ネックは卒論を書かないといけないということ。 テーマが浮かびません。 現役時代は理系なので、研究室でやる実験などがテーマになるので、テーマを何にするかなんて考えなかった。 でも通信教育でもあるし、自分でテーマを見つける必要があります。 このため1年間(入学前から)卒論テーマを悩んでいたのでした。 ようやく不空羂索観音像をテーマにしょうと決めたのは、退職直前だったかな。 それから図書館で借りる事ができる参考資料、ネットで拾える論文を読みはじめていたのでした。
紆余曲折があって、入学時点に決めたテーマは「文化財学演習T」での先生の講評より法華堂像に絞り込みましたが、「文化財学演習V」の事前課題提出で構成変更の必要性を感じ、講義後も仮説提示を加えるなど、介護を終えた夜にウィスキー片手に目を輝かせて「草稿」を書いていました。 そして提出した「草稿」は、指導教官(主査)より好意的な講評を頂いて戻ってきましたけれど、しばらくして副査の先生より、普段はないという講評が届いて、「喝」を入れられました。 ご指摘ごもっと。 自分でも気付いてはいたのですけどね、史料にまで踏み込む能力が足りないのです。 しかし普段はないという講評を頂けたということは、期待もされているのだと受け取りました。 おののいた「卒論」ですが、やりがいあるものだなと、この年齢になって認識したしだいです。 現役時代、卒業手段くらいにしか思っていなかったけれど、いま卒論を書いてよかったなぁ、つくづく思います。 とにかく、あと少し頑張ります。
最後に2023年を振り返ってみると、3月に大きな出来事がありました。
1984年3月、帯広を離れてから約40年ぶりとなる北海道帯広は、まず釧路空港に悪天候のなかからくも到着。 懐かしの十勝川温泉・大平原で一泊したのち母校に行きました。 そして研究室の先輩(訪問時は教授)や同期たちとも約40年ぶりに会ってきました。 そして卒論テーマとしていた畜力噴霧器チャンピオンとも、川西「とかち農機具歴史館」を訪問し、特別に開館していただいて再会することもできました。 さらに六花亭やクランベリーのスイーツも堪能でき、幸せな時間でした。 今年は2月、極寒の帯広再訪を計画中です。 1年に一度くらい青春の地を訪れて我が人生を振り返り、残り少なくなった明日への活力を得たいと思います。
時間は何もしないでも過ぎ去ってゆくので、新年を迎えることが楽しいことだとは思いませんけれど、これを一つの区切りとして、これまで以上の何かを得ることができる1年にしたいと思います。
そして何より、身体が資本、コロナやインフルその他感染症にも細心の注意を払って乗り切りたいと思います。 この年齢、帯状疱疹や肺炎球菌ワクチンなども対象になるようですけどね、コロナワクチンも未接種で切り抜けてきていますので、注意を怠らずこの新しい1年もまた、このような駄文がまた書けますようにと思っています。
最後にこのような駄文を読んでくださった皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとりましても、幸多き一年となりますことをお祈りいたします。
2024年01月01日
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