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2023年01月07日

玉造稲荷神社

気づいたら、今年まだ玉造稲荷神社に行ってませんでした。
落ち着いたようなので、買い物帰りに寄ってみました。

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ここは実家の鎮守社でありますので、子供ころからよく来てました。
というか、この神社の裏手が母校の玉造小学校なんですよね。
そして、稲荷神社、というと伏見稲荷の赤い鳥居を思い浮かべますけれども、
ここの社殿には赤い鳥居は、ありません。
何故かというと、ここは伏見稲荷さんを勧請したお稲荷さんではなく、
それよりも古く「もといなり」とも記されている神社なんですね。

聖徳太子とも関係のある神社・・・
というか、太子は仏教を国の基本として広めようとしていたので、そこは神仏混淆なのですね。 明治初期の廃仏毀釈で仏事は配されたようで、国家神道として明治期に府社に列せられる神社となりました。
自分が子どもの頃(昭和年代)は「府社」と書かれた窪みにコンクリートが埋められた「府社稲荷神社」という石柱になっていて、なんで「府社」がつぶされるように埋められているのかが不思議でした。
現在は石柱の「府社」の部分に石板で「玉造」が貼られ、「玉造稲荷神社」になってますよ。
とにかく、由緒は古い、ということですわ。

でもって、ここは上町台地。
その後、蓮如による大坂本願寺から、豊臣秀吉による大坂城となって、ここは大坂城の三の丸にあって、稲荷信仰のあった秀吉より大坂城の鎮守社となったとのこと。 それは徳川時代も続いたようですね。 歴代の城代はまずここにお参りしたとのこと。

で、ここには秀吉の息子である秀頼が生まれたとき、その胎盤などを納めた胞衣塚があって、胞衣塚大明神(よなづかだいみょうじん)として祀られています。
自分が子どもころにも祠はあったとは思ってましたが、こんな立派やったかなぁとちょっと記憶はあいまいですけれど・・・

20230107_115656.jpg

秀頼公奉納の鳥居は、阪神淡路大震災までしっかりと参道に立っていたので、こちらはお馴染みです。

20230107_115632.jpg

でも、地震では倒れなかったけれど損傷があったそうで、耐震性なども考慮されたのでしょう。
このように境内に上部と脚部の一部が置かれていますが、いつも見上げていた鳥居が、見下げるような位置で手に触れる位置に置かれているのは、ほんとしっくりこないのですけれどね・・・

とにかく興味ある方は、詳細を公式HPでご確認ください → 玉造稲荷神社


posted by fronte360 at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | mobile | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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