大村益次郎の碑からまっすぐ東に進むとカトリック玉造教会。ここから通っていた小学校の校区ですね。
細川越中守忠興の屋敷のあったところで、子供の頃は、この辺りは越中町と言ってました。
この聖堂の左側の道を進むと、越中井戸があるんです。細川ガラシア終焉の地らしいですが、小学生のころはこの井戸を囲むように木造長屋が建ってました。
2022年11月13日
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