2022年03月01日

(壬寅2月の雑感)一月往ぬる二月逃げる三月去る

一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、のとおり2月も行ってしまいました。

無職となって早やひと月、毎日大阪の実家通いをしていることもあって、退屈などする暇もなくアレコレと意外と忙しい日々を過ごしています。

世間は新型コロナのオミクロン株の猛威、やや新規感染者は少なくなっているようですが、高止まり傾向ですね。 2日、弟よりメールが来て、一家3人がコロナ罹患したとの連絡あって驚きました。 幸いにも軽症だったので自宅療養して、14日より職場復帰したそうです。 また26日朝、母親が通うデイサービスよりコロナ陽性者が出たとの連絡あり、デイサービスは急きょお休みとなりました(28日に再連絡あって母親を含め対象者全員PCR陰性とのことでデイサービスは28日より再開、よかったよかった)。 でもどんどんと新型コロナが身近になってきていますね。 ほんと良い時期に会社を退けた思います。

こんな御時勢なので高知に行けず、上述したとおり、奈良の自宅と大阪の実家を連日行ったり来たりの毎日ですけれど、連日歩き回っています。 2月で一番少ない歩数は 22日の 16,379歩、最高は 12日の 38,101歩でした。 平均 24,000歩。 歩きすぎですよね。 そして体重も先月比 1Kg減、会社に行かなくなって 1.5Kg減。 グダグダな怠惰な生活となって、会社に行っていた時のように朝5時前に起床はしませんけれど朝もちゃんと起き、よく歩き回っているのでブクブク太るようなことはないでしょう。 なお現在の体重は 64Kg台、OMRON の体組成計の体年齢は 45-48才であります。

感染防止のため人混みを避けているので、演奏会やイヴェントなどには行かず繁華街(難波)にもほんとど行っていませんが、今月はご近所で会員となっている大和文華館には2度(4日、20日)行きました。 そして会員の継続もしておきました。 展示内容に興味が薄い会期もありますけれど(18日からの「東アジア文人の肖像−書画と文房具−」もそうでしたが)、この時期は庭を散策し、梅の花を愛でるのも良いものですね。 何より歩いて行けるのが一番かもしれません。 とにかく今月のルーティーンで回っている所以外は大和文華館のこの2回だけでした。 3月には松柏美術館に行かなくては。

読書は、NHKラジオの聞き逃し配信で聴いた「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史〜半藤一利」」5回シリーズで感銘を受け、半藤一利「日本の一番長い日」「昭和史 1926-1945」「昭和史 戦後編 1945-1989」そして手元にあった千田夏光「ドキュメント 明仁天皇」で昭和の歴史を掘り起こし中。 これまで受験の世界史(学校では習わなかったけれど得意科目だったので個人的に深堀してました)や、最近では吉村昭や山崎豊子の小説などで触れていた昭和史を今また読み進めるのは面白いですね。 3月も継続して半藤史観に触れてみるつもりです。

なおNHKラジオの聞き逃し配信では「カルチャーラジオ 芸術その魅力 美と感性を考える」(上智大学大学院教授:佐藤啓介)も面白いですね。 いわゆる美学の講座。 学生時代にこんな文科的な学問を習いたかったのですけれど、地方の実学系学校に進んだこともあり(理系の方が手に職つけて食いっぱぐれないとの思惑で、その思惑どおり勤め上げましたけれど)、これからは先の昭和史もそうですが歴史や文化財など文科系の勉強を進めたく思います。

そのためにも、新型コロナに感染しないよう充分に注意し、3月もまたこんな駄文が書けるようにしたいと思います。 では皆さまもくれぐれもご注意ください。

posted by fronte360 at 01:00| Comment(6) | 22-雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
柏の下に露汲みて、
岡山の大島です。ご無沙汰しております。
小生、長らく岡山に住んでおりましたが昨年めでたく退職し、現在福山(備後に属するそうですが広島県)に住んでおります。
時折、貴ブログを拝見しておりましたが、コメントを書くこともなく数年経ちました。それにしても世相に影響されず淡々とマイペースの更新を続けられる様は読む者にしばし寛ぎの時間をもたらし、さながら職人芸のようです。
今日のブログに安田さんも退職されたとのこと、フリーの時間の使い方が書かれており、興味をそそられ久方ぶりにキーボードを打ってます。陸上トラックに例えるならば人生の第四コーナーに突入した今、大事なのは健康だな、と思い立ち退職後(2021年6月)は早寝早起き、鈍った体を絞るためのウォーキングで体重を83kgから75kgに減らしました。
豊富な手持ち時間を何に使うか、私が辿り着いたのは、これまで漠然とした疑問を感じていた歴史について調べることです。
発端は、なぜ米国は日本に開国させる原動力であったにもかかわらずその後長く直接の関与をしなかったのか。日本を主体とした見方ではなくその国からの視点で捉えていくと、今更ながら高校時代とは違った理解が得られるようです。
寒さも山を越しましたが、この時期は北の大地に思いを馳せます。
Posted by 大島 at 2022年03月06日 21:32
四年の夢を育みし  北の都ぞ柏陵に

大島さん、コメントありがとうございます。

大島さんは退職されて福山にご在宅とのこと(福山は90歳を過ぎた母の姉の叔母さん、母の兄弟の末っ子の叔父さん、姉の子供で最年長の従弟での住む土地なのです)、それに歴史にも興味をお持ちとは、奇遇ですね。 帯広は文化にはちょっと乏しい土地柄でしたので、その反動でしょうか。

ところで「十勝の話題と音楽」というNHKラジオR1の番組があります(昨年12月には当方も電話出演させていただきました)。

今月は3月10日(木)16:05より生放送されますが、聞き逃し配信で、1週間ですけれど全国で聴けます。
この年齢になると、十勝までなかなかいけませんけれど、最近はこれで十勝の雰囲気を楽しんでいます(録音もしていてここ1年程のストックはありますので、よろしければご連絡ください)。

桎梏の綱を解き放ち


Posted by 安田裕隆 at 2022年03月06日 22:58
自治に目覚めし若人が ハイデルベルヒの香を求め 柏ヶ丘に決起せり


「十勝の話題と音楽」はたまたま帯広放送局の番組が全国に流れる、ということなんですね。
何か、ハワイのFM放送を聴くような気分ですね。
10日は自分で聴くとして、是非ともストックをください。
高校時代、朝の天気予報番組で札幌の画像で雪が降っていたりすると大騒ぎしておりました。最低気温がマイナス10度になると、我が事のよういばったり、バカ丸出しですねえ。
その一方で受験勉強が盛り上がらなかったのは、、、。
謎です。

受験のことを書いていましたね。
私は、
1973年 一期 札幌 二期なし(なぜ受験しなかったのか、謎です)
1974年 一期 札幌 二期東京(大東文化大で受験)
結局、帯広に初めて行ったのは入学式の前日でした。
もう半世紀近く前のことになってしましました。
僕を含めて人類は進歩も調和もすることなかったんだよとは半世紀前に思わなかったよなぁ、、、。

流れて清き十勝川

Posted by 大島祥裕 at 2022年03月07日 22:35
吾が喜びに舞い踊る 友の情けは胸をうつ

逍遥歌、懐かしいですね。
体育会系クラブといっても、いちばん軟弱な自動車部だったので、あまり覚えていませんけれど・・・

「十勝の話題と音楽」は、NHKラジオR1で帯広放送局より月1回程度、不定期に放送されています。 が、聞き逃し配信サービスの対象となっていて、放送後1週間は聞き逃し配信サービスより聴くことが出来るのですね(当方は、その間にPCで録音してストックしていたりします)。

最新の「十勝の話題と音楽」については、以下を参照ください。
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-nb51212ddd8a7
ちなみに当方は、以下の「畜力噴霧器」で採りあげられて、電話取材を受けました。
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n41088f84987a
また1年前の「かちんこちんとかち」のコーナーで「過冷却コーラ」のことを投稿し、採り上げられたのが最初でした。
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n0327abe92423

ところで、
1974年 一期 札幌 二期東京(大東文化大で受験)

とありましたが、1976年は当方も大東文化大で受験しました。 でも翌年1977年より東京での試験会場はなくなったので、帯広まで受験しに行っていました。
1977年は、女優の平淑恵の実家の旅館(十勝屋旅館、現在は十勝インに)宿泊したように思います。

1978年はどこに泊まったか覚えていませんが、受験後は、夜行の「からまつ」に乗って札幌まで出て、普通列車を乗り継いで函館、青函連絡船で青森に渡って、盛岡、そして東京からは大垣夜行の乗って、名古屋で途中下車、名古屋城を見てから大阪まで戻ってきました。

この時、すでに高知のに合格していたので、帯広は物見遊山的な受験でしたけれど、リラックスしていたのがよかったようで、帯広にも合格したのでした。 合法的な家出ならば、四国よりも北海道ですよね、そして帯広に進学したのでした。 そんなこともあったと思い出させていただいた懐かしい思い出です。

覚めよ迷いの夢さめよ

Posted by 安田裕隆 at 2022年03月08日 00:24
ご無沙汰してます。
平井です。

メールを差し上げたいのですが、会社のアドレスしか出てこなくて。
お手数ですがご連絡いただけますでしょうか。

よろしくお願いいたします。ささやかにお祝いをさせていただきたいなと思っています。
Posted by 平井厚子 at 2022年03月08日 12:58
平井さん

お祝いは不要ですが、メールしましたのでご確認ください(^^)v

Posted by 安田裕隆 at 2022年03月08日 22:43
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。