2021年11月01日

(辛丑10月の雑感)神無月は去った

10月になった初日(1日)夜8:00過ぎ、帰宅前にご近所スーパーで食材を求めようとしていたら携帯が鳴りました。 今頃誰、とけげんに電話に出てみると、大阪に住むけれど普段特に連絡も取り合わない従弟から。 彼の弟(従弟)が癌で亡くなったので、土日(2-3日)に通夜・葬儀を執り行うとのこと。 驚きました。 自宅に戻って弟に連絡(弟の方が年齢が近く従弟と連絡とりあっているようですが行き違いで当方からの連絡が先になりました)、弟の自動車で母親も連れて参列できるようにと頼みました。

10月はこんな事件での幕開け。 広島より亡くなった従弟の両親(我が母からすると弟夫婦)と母親との再会も果たすことができましたけれど、辛い再会でありました。 前立腺癌が肺から肝臓にも転移したようで、通常は10年以上持ちこたえるホルモン療法が1年も持たずに急激に進行したそうですが、享年54歳はあまりにも若過ぎます。 さぞかし心残りもあったでしょうし、なんで自分がとの心の乱れもあったと想像しますが、特に苦しむこともなかったそうで、両親の到着を待ち、数日後にあの世に旅立って行けたのがせめてものことでしょうか。 

そのような事があり、また会社では9月に行った事業所統合によって生じているオフィスの各種懸案事項とその対応によるせめぎあいなど、目先の事柄にとらわれてあくせくするのではなく、もうちょっと人生を大切に生きないといけないのではないか、と感じたしだい(今さらながらですけれど)。 希望が通るかどうかはあるでしょうが、現在の仕事の切れ目となる年内いっぱいを出社したのち、来年1月よりフリーとしていただけるよう上司に伝えました。 この1年、いつお暇するか迷っていたのですけれど、残り少なくなった限りある命。 それが多少でも多く残っているうちにと気持ちが固まりました。 さあて上手くお暇できますやら・・・

さて話変わって、10月になっても30℃以上の日が続く夏の様相でしたけれど、中旬を過ぎると一気に気温が急降下。 冬支度を大急ぎで進めましたけど、気持ちの良い爽やかな秋らしい秋は少なくなって、よく言われますが、四季ではなくニ季の様相ですね。 そんななか、23日(土)はちょうどいい感じの秋日和でしたので、吉野の金峯山寺に行ってきました。 蔵王堂の秘仏である蔵王権現、今年も秋のご開帳(10月22日(金)〜11月30日)となりました。 吉野は桜が有名ですが、紅葉シーズンも人出も多くなるので、早めの訪問としました。

今年は、七曲り坂を登らず、吉野温泉・如意輪寺方面のハイキングコースを歩きました。 途中、如意輪寺への山道(左)へは行かず、ここで右に折れる初めてのコースを選択しましたけれど、多少の登り坂はあったものの、けっこう楽に勝手神社のあたりへと出ることができました。 今年で3年連続、秋の吉野に来ていますが、来年もまた来るとしたらこのコースで決まりですね。 勝手神社の境内で持ってきたおにぎりを食べ、土産物屋などを覗きみしながらゆっくりと歩いて蔵王堂へ。 蔵王堂は鉄のフレームで覆われていて、防災施設整備工事が行われてましたが、拝観には問題なし(時おり工事の音が堂内に鳴り響いていたのには閉口しましたけど)。 現在(観音菩薩)・過去(釈迦如来)・未来(弥勒菩薩)の三体の蔵王権現さまとも3年連続、1年ぶりの再会です。

権現とは、神仏が姿を変じた仮のお姿(平たくいうと変身(ヘンシーン)ですね)。 釈迦・観音・弥勒が、柔和なお姿を捨てて忿怒の形相となって世の中を救うのであります。 仏教と自然を崇拝する日本の山岳宗教に中国の道教や陰陽道などもミックスされた修験道。 吉野大峰がその修験道の根本道場であり、金峯山寺が金峯山修験本宗の総本山です。 このあたりも詳しく勉強すると面白そうですね。 よい秋の休日を過ごせました。

ご近所美術館について、先月伺えなかった大和文華館には 16日(土)に行ってきました。 「天之美禄 酒の美術」。 酒は天からの素晴らしい授かりもの、酒は神と人を繋いで神事や宴などで人々のつながりも深められます(コロナ禍では微妙ですけれど)。 酒器を始めとし、絵画や様々な酒にまつわる美術品の展覧会です。 土曜14時をめがけて行ったのは、学芸員の方によるスライドを使った説明が聴けるから。 講演会や日曜美術講座も予定されていますので、そちらの日に行けば良いのでしょうが、密を避けつつ解説も聴けるので、興味深く展示品を鑑賞できました。 これから日本酒の燗が美味しくなる季節。 酒器を愛でながら(といってもロクな徳利や猪口などありませんが)秋の夜長を楽しめたら、と思ったしだいです。

読書について、仏像や文化財メインなのは今月も変わらず、先月より続いて西岡常一さんによる「木のいのち 木のこころ [天]」。 法隆寺の大工棟梁を務めた氏による代々棟梁家に伝わる口伝、それを解説そして実践するなかでの出来事などなど、棟梁としてかかわった薬師寺伽藍の再建はこのようにして成ったのかと感じ入りました。 初めて薬師寺に行ったのは中学2年(1971年)だったかな。 伽藍はおろか金堂も再建前の仮金堂で、薬師如来と日光・月光菩薩に拝したことも思い出しました。

西村公朝「仏像の再発見 鑑定への道」は、いやはや凄い本でした(単純な表現ですみませんが)。 国宝や重要文化財などの仏像1,300体の修復に携わった氏の鑑定眼で各時代の仏像の特徴について、体型・表情・衣紋のみならず台座・光背・持物に至る細部まで、時に時代背景なども交えた解説は本当に凄いとしか言いようがありませんでした。 しかも仏像は美術品ではなく信仰の対象として扱われていることが氏らしいところですね。 凡例を見ながら読み進めるので結構時間がかかったわりには、脳ミソの許容量が乏しいので知識として定着しないのが残念なところ・・・

西村公朝「ほけきょう − やさしく説く法華経絵巻 −」は、氏が僧侶であり画家でもあったことを示す興味深い本でした。 新潮文庫ながら横向けで見開きの上がイラスト、下が法華経の広大な物語が展開されています。 徳のない自分には法華経はこれでもまだ理解しがたいものがありますけど、入門書には良いように思いました。

ここまで読んでいたら2ヵ月前にご近所図書館に予約していた本が届きました。 原田マハ「キネマの神様」。 映画のシナリオを元に再構成された同作者によるディレクターズカット版を読んだのは9月でしたね。 映画版とは基本的な配役は同じ、同じく家族再生の物語としているものの、全く違う作品として良いと思います。 そしてどっちが面白かったか。 やはり2時間の枠内にエピソードを捻出して詰め込んだ映画版はエンターテインメントでしょう、文字の作品としては物語の奥行・展開など原著の方が面白かったというのが率直なところ。 読む順番が違っていたなら、映画版ももうちょっと違った感想になったかも、とは思いましたけれど。

ご近所図書館に予約していた本が立て続けに到着、続いて「ここまで変わった日本史教科書」(高橋秀樹、三谷芳幸、村瀬信一)に移りました。 最近の日本史研究の進みは大きく、自分が学生時代に習った事柄が変わっているとは耳にしていましたが、実際にどんな風なのか知りたくなりました。 使われなくなった用語や1192年鎌倉幕府成立ではなかったことなど、目から鱗の事項も多くありましたけれど、旧石器から平成まで46のテーマに分け、各テーマ見開き2ページ(4ページ)に写真も添えられていて、日本史を概観しなおす良い機会になりました。 大学受験では世界史を選択していたこともあり、日本史をこうして続けて追いかけたのは高校生時代以来でしたので。

音楽について、芸術の秋、コロナ禍となる前ならば演奏会シーズン真っただ中であちらこちらの演奏会場へ足を伸ばしていましたけれど・・・ そして今でもお誘いのお葉書やメールも頂いて有難いことなのですが、高齢な母親のもとに連日通っていることもあって、人の集まる場所やイベントはパスさせていただいています。 演奏会場での感染防止対策の徹底、追跡システムの導入、座席数の削減はもとより、練習場所においても感染防止のために不自由な思いをされながら練習を積まれ、やっとのことで演奏会を開催されているのは分かっているつもりですけれど・・・ごめんなさい。

30日(土)、選挙の期日前投票を済ませて深夜バスで高知に来ました。 今回もいつも通り火曜(2日)朝のバスで戻ります。 高知の部屋も冬支度を済ませて、昼すぎより一人鍋でチビチビとやりながら早々に落ち着いていたのですけれど、トイレの床が濡れている・・ タンクからの水漏れを発見。 配管の継ぎ目をレンチで締め上げてみたけれど、タンク底のの付け根の部分から漏れていて、いくら締めても止まらないのでギブアップ。 大家さんに連絡して水道屋さんの手配をお願いしました。 酔いも醒めたので飲みなおし、酒量も増えて、あ〜疲れましたわ。

いつまで続くコロナ禍、自粛の緩和で飲み屋にも人が戻っていますけれど、第6波に用心。 これからもコロナに罹らないよう注意し、またこのような駄文が書けますように。

posted by fronte360 at 09:12| Comment(0) | 21-雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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