新型コロナに奔走された2020年、その12月師走、新型コロナは勢いは止まることを知らず各地に拡散。 東京は一気に 1,300名を超えました。 しかしながら、政府や自治体の対応は手探りの後手後手感の様相、街中もまた正常性バイアスからか危機感乏しく人出はいっこう減っていない感じ。 2021年はいったいどうなるのでしょうねぇ、といきなり暗い話になりました。
お正月となりましたが、かつては6年連続でお正月は高知で迎えていましたけれど、今年もまた実家詣で始まります。 年末休みは 26日より。 朝8:05発、13:29高知大学北口着のバスで高知に移動。 帰りは 29日10:11旭町3丁目発のいつものパターンで、高知の市街地には今回も足を踏み入れません。 かつては「青春18きっぷ」利用でしたが、このご時世ですからね、人との接触回数と移動時間を考えたバス利用です。 ゆっくりのんびりと移動していた頃、そして高知で何もすることなく、ぼっ〜と過ごしたお正月が懐かしい。
ところで12月は師走、師匠も走るという忙しい月、師匠ではないけれど、日々会社と実家と自宅のちょっといびつな三角形をくるくると回って終わった感じでした。
会社で初めて動画編集をすることになりました。 Windows10 標準ソフトのフォトを使って簡単な操作を覚え、タイトル画の挿入や不要部分の削除、動画を繋いだデモ版を作って感覚を覚えました。 次いで、フリーの動画編集ソフト shotcut をインストール、先の編集に加え、音声や映像トラックの追加も覚えて、12/18に地域限定で社員公開。 今後も月1回ペースで作る予定なので、徐々に技術を上げてゆきたいと思っています。 目指せ YouTuber !?!?!?
また会社では会社OB会組織の事務局でもあり、このコロナ禍で1年間活動が無かったものの、その会報作成も行いました。 本来お金を払ってグループ会社に出稿、印刷版下組んでもらってA3両面で印刷もお願いしていました。 けれど、今年は掲載する記事が乏しく自作となり、その制作も任されました。 WORD を使い、昨年の版下確認用PDFよりタイトル部分をイメージで抜き出し、画像加工して本年度版のタイトル作成。 記事はテキストボックスを多用、文字列の段落やインデントを調整して、色合いなども考慮、例年と同じイメージのA4両面ミニサイズ版が出来上がりました。 スタッフには完成度の高さで好評価を頂きました。
このほか、いつもやっている社内の健康関連のイントラページ制作。 親会社の健保組合にデータ提供の問い合わせを行いましたが、このとき自作した健保組合が提供する健康増進のためのシステム紹介ページを引用してのお願い。 肝心のデータ提供はかなわなかったものの、紹介ページが健保組合内で喜ばれていると連絡して下さる人がいました。 その人いわく、私達の仕事は中々認めてもらうことが少ないので、喜んでもらえることはよいですね、と。 引退間際、すでに放置扱いの人間ですから、喜んでいただけれたとあれば幸いです。
そんなことなど、今月は仕事仲間はいても上司より指示されることなどなく、コンテンツ屋さんと化していた一月でした。
読書は、これまでにも書いたとおりNHKラジオの聞き逃し配信より「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス・声でつづる昭和人物史 三島由紀夫」に端を発した三島由紀夫マイ・ブーム。 「青の時代」「永すぎた春」「美徳のよろめき」「午後の曳航」「英霊の聲」と続きましたが、ここでいったん打ち止めかな。
この他に読んだのは釈徹宗監修・多田修翻訳「ブッダの小ばなし 超訳百喩経」、これもNHKラジオの聞き逃し配信より「宗教の時間 選「百喩経(ひゃくゆきょう)の教え〜自分を見つめる」からの影響。 「百喩経」というお経に興味を持ったためで、現在、この番組で講師をされた宝泰寺住職藤原東演さんの著作(絶版らしい)も図書館で入手、ほぼ読了寸前であります。
あと読んだのが堀辰雄「美しい村・風立ちぬ」の後半「風立ちぬ」。 本年こそは堀辰雄もまた読みかえしたいと思っています。 現在、新潮文庫では「美しい村・風立ちぬ」「大和路・信濃路」以外は絶版。 「菜穂子・楡の家」「燃ゆる頬・聖家族」「かげろふ」の日記・曠野」「堀辰雄 妻への手紙」の新潮文庫は貴重です。 ただ学生時代に読んでいた実家書庫からの救出品なので、活字の小ささがネックなんですけれど。 チャレンジしてみたいな。
音楽は、今月も演奏会に行かず音源の捕獲もなく、大きなきな話題はありません。 でも強いて言えば、トーマス・ザンデルリンク指揮フィルハーモニア管によるブラームスの交響曲全集でしょうか。 時おり何ども繰り返して聴いています。 ちょっと遅めのテンポ設定、弦主体のアンサンブルで丁寧に音を重ね、次第に自然と熱くなってゆく、なかなか良い演奏ですね。 かつては、父親クルトの録音を至上と考えていたせいか、特に印象なかったのですけれど、こうして聴き込んでゆくと、今どき珍しい恰幅の良さに惹き込まれます。
それとともにトーマス・ザンデルリンク、今の大阪交響楽団、かつての(自分の中では今でも)大阪シンフォニカーの芸術監督となったころ、当時の特別会員となって年間15公演くらい聴いていました。 中でもザンデルリンクは、若い楽団を「幼稚園児」と呼びながらも奮闘し、若いオケも熱く応えて、この演奏の数々が自分にとってクラシック音楽の師匠でもありました。 その頃を思い出します。 そんな昔のことを思い出すのも馬齢を重ねたせいでしょうかね。
正月、その馬齢をまた一つ重ね、また棺桶に一歩近づきました。 これは致し方ないことなので、せめてその時まで息災でゆきたいものです。 そして日々丁寧に生きなければ、とは思うこのごろです。 2021年、本年もよろしくお願いいたします。
2021年01月01日
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