新型コロナの緊急事態宣言、大阪などが解除された週末、
いつもの大阪の実家に向かう前に大阪城公園に寄り道しました。
大阪日日新聞の「戦跡を巡る 戦渦を超えて75年」で、大阪城公園の戦跡を実際に見ておきたくなったのでした。
今は綺麗な公園として整備されている大阪城ですけれど、まだ戦争の傷跡がいくつか残っていること、平和が維持されている今こそ見ておきたいと思ったのでした。
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大阪城天守閣前の本丸広場。 天守閣前に「残念石」が置いてます。
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こんなん、いつからあったっけ?
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「残念石」
両横に鎮座しているこの石は元和六年(1620年)から始まる大阪城修復の時、天領小豆島(香川県)で割られたまま、用材石としての念願がかなわず、いまなお数多く残されていることから「残念石」と呼ばれている。
この大きな石は、筑前黒田長政の石切丁場でみつかり、小さな石は豊前細川忠興の手になるものである。
これらの石を、小豆島青年会議所が創立五十周年記念事業として、「島は一つ」の社会活動の実践に、大阪青年会議所は商都大阪の復権を願い「なにわの知恵」の再考にと、両会議所が共同事業として当時を再現し、小豆島よりこの地に運び据えたものである。
昭和五十六年七月十九日
(社)大阪青年会議所
(社)小豆島青年会議所
そして振り返ると、こんな石碑もありました。
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「大阪城・上田城 友好城郭提携 記念碑」
大阪城は豊臣秀吉によって創築され、上田城は豊臣方の武将として大坂冬の陣・夏の陣で、奮戦した真田幸村の父昌幸によって創築され、両城は真田幸村を通じた深い関係があり、共に広く市民に愛され親しまれている。
今後、両市の歴史・文化に基づいた幅広い友好関係を築き、ますますの発展をはかるため、ここに「友好城郭」としての提携することを宣言する。
平成十八年十月十日
大阪城管理者 大阪市長
上田城管理者 上田市長
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天守閣の入口には「検温所」が設けられていました。
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2020年06月15日
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