新型コロナの緊急事態宣言、大阪などが解除された週末、
いつもの大阪の実家に向かう前に大阪城公園に寄り道しました。
大阪日日新聞の「戦跡を巡る 戦渦を超えて75年」で、大阪城公園の戦跡を実際に見ておきたくなったのでした。
今は綺麗な公園として整備されている大阪城ですけれど、まだ戦争の傷跡がいくつか残っていること、平和が維持されている今こそ見ておきたいと思ったのでした。
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機銃掃射痕のある山里丸の石垣の脇はスロープになって天守閣に続きますが、この手前には「刻印石広場」です。
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徳川時代の大阪城の石垣に使われた石に彫り込まれた刻印を確認することができます。
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この広場、以前だと大道芸人さんもいたりしたんですけどね。
そんな広場ですけれど、ここも戦跡のひとつでした。
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「真心」と書かれた石碑、その脇の説明板を読むと・・・
大阪国防館跡
この付近に、第二次世界大戦のさなかに陸軍が設置した「大阪国防館」があった。 戦地の兵士をしのび国防意識を高めることを目的として昭和15年(1940)3月に開館し、木造2階建ての内部には、戦地や防空施設のジオラマ、兵器や戦闘機・戦車などの体験型展示、戦没者の遺影や遺品などが9室にわけて陳列されていた。 戦局悪化にともない同17年ごろに閉鎖され、同18年からは中部軍司令部女子防空通信隊の宿舎として使われた。 昭和20年の空襲によって全焼し、姿を消した。
(現地説明板より)
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ちなみに、ここに来るまでに見た「こま犬」は、天津市庁舎前のこま犬を略奪したもので、戦意高揚のために大阪国防館跡玄関口である山里丸出桝形石積の上に置かれていたそうです。
2020年06月08日
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