新型コロナの緊急事態宣言、大阪などが解除された週末、
いつもの大阪の実家に向かう前に大阪城公園に寄り道しました。
大阪日日新聞の「戦跡を巡る 戦渦を超えて75年」で、大阪城公園の戦跡を実際に見ておきたくなったのでした。
今は綺麗な公園として整備されている大阪城ですけれど、まだ戦争の傷跡がいくつか残っていること、平和が維持されている今こそ見ておきたいと思ったのでした。
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刻印石広場を抜けた反対側、石垣の上に祠がありますね。
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誰が祀ったか知りませんが、聖観世音菩薩。
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淀君並殉死者三十二名忠霊塔 と書かれた木がありますね。
大野治長、真田幸村、毛利勝永、幸村の息子・真田大助の名前もあるようです。
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独特の空気感です。
ここから見ろしたら、戦跡を見つけました。
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石垣のところに説明版立ってますよね。
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機銃掃射の跡が石垣に刻まれてます。
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山里丸石垣の機銃掃射痕
石垣の表面に残る傷は、第二次世界大戦の空襲による被害の痕跡で、機銃掃射によってついたものと推定される。昭和20年(1945)3月から終戦前日の8月14日まで、大阪は8度におよぶ大空襲を受け、陸軍の中枢機関や軍需工場があった大阪城も標的となった。山里丸ではこのほかにも爆弾によって南側石垣上部が吹き飛ばされ、北側内堀に面した石垣も数か所ひずんだが、現在はいずれも修復されている。
(現地説明板より)
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2020年06月04日
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