2020年05月28日

大阪散歩20200523_大阪城公園の戦跡巡り・大阪砲兵工廠化学分析場跡

新型コロナの緊急事態宣言、大阪などが解除された週末、
いつもの大阪の実家に向かう前に大阪城公園に寄り道しました。

大阪日日新聞の「戦跡を巡る 戦渦を超えて75年」で、大阪城公園の戦跡を実際に見ておきたくなったのでした。

大阪城公園、小学校1年生の時(1964年)、最初の遠足が歩いて行ける大阪城公園でしたし、中学生だった頃(1970-72年)には、当時天満橋にあった中学校へと通う通学路としても利用するなど、とても身近な場所です。
また小学校低学年の頃まで、今の大阪城ホールのあたりにはまだ大阪砲兵工廠の焼跡が広がり、残骸も残っていたのを大阪環状線の中から見ていたことも覚えています。
今は綺麗な公園として整備されている大阪城ですけれど、まだ戦争の傷跡がいくつか残っていること、平和が維持されている今こそ見ておきたいと思ったのでした。

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P5232805 posted by (C)fronte360

東洋一の軍需工場・大阪砲兵工廠の正門だった筋鉄門より中に入ります。

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P5232806 posted by (C)fronte360

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P5232807 posted by (C)fronte360

正面に煉瓦が崩落して、今にも朽ちようとする煉瓦造りの建物があります。

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P5232808 posted by (C)fronte360

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P5232810 posted by (C)fronte360

大阪砲兵工廠の守衛詰所跡
過去に建物の一部が改修され、大阪城公園の倉庫などにも使われていたそうです。

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P5232809 posted by (C)fronte360

そして、寝屋川橋東詰より見えていた建物が、これです。

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P5232811 posted by (C)fronte360

大阪砲兵工廠化学分析場跡
旧鳥取県立図書館や宮崎県庁舎などを手掛けた置塩章氏(1881-1968年)の設計で、1919(大正8)年に建設。
赤れんが2階建(一部地下1階)で、1964-94年まで自衛隊大阪地方連絡部(現・地方協力本部)庁舎として利用されていたと、大阪日日新聞が伝えています。

posted by fronte360 at 01:00| Comment(0) | 20-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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