2月9日(日)は、近電電車の東花園駅長お薦めフリーハイキング
「こんなところに歴史発見!石切散策巡り」に行ってきました。
旧生駒トンネル、思ってもみなかった孔舎衛坂駅フェンスの中に入ったあと、
大龍寺より日下集落常夜灯、旧河澄家、善根寺春日神社、大坂城残念石を見て
今度は生駒山を左手に見ながら南下、根津家石灯籠より更に南下して石切神社。
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いつもながら、たくさんの方がお百度を踏んでおられますね。
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石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)
「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入り口にある百度石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名。創建年代は、火災により社殿及び宝庫が悉く消失したため詳らかではないが、代々の社家「木積」家には、皇紀2年に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを神社の起源とし、崇神天皇の御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる。現在確認できる文献では、日本三代実録(巻十一)に「貞観7年(865年)9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられ、延喜式神名帳にも「石切劔箭命神社二座」とみられる。
室町時代末期に兵火にかかり、神宮寺であった天台宗法通寺とともに社殿を焼失する。
その後復興したが、宮山の地にあった祭祀の場はいつの頃か現上之社の場所に遷された。1905年(明治38年)には饒速日尊が現在の本社本殿に合祀された。その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、いよいよ再興の気運が高まり、1932年(昭和7年)に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に移し、1972年(昭和47年)に往古の姿を取り戻した。
(Wikipedia「石切劔箭神社」より)
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信心の薄い当方は場違いな感じもするので境内を出ましょう。
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2020年03月18日
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