近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録。
2019年の10回目は、橿原神宮前駅長お薦めフリーハイキング
「春の土佐街道を歩く 壺阪寺の大雛曼荼羅と町家の雛めぐり」のために
高取町の土佐街道を歩き、町家の雛めぐり、壺阪寺の大雛曼荼羅を見て、
また高取町に戻ってきました。
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169号線より市街に入ります。
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ここにも町家の雛人形の展示ですね。
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古い町並みが郷愁を誘います。 そして信楽寺に到着。
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ここにもお雛様が飾ってありますが・・・
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壷坂霊験記のお里・沢市のお墓があるのですね。
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こちらはお里のお墓かな
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壺坂の 月に杖ひく 夫婦かな
「日本感霊録」に9世紀初めの弘仁年中、盲目の沙弥が壺阪観音の信仰で開眼治癒したという話があり(『壺坂寺古老伝』に記されている。)すでにこの頃から本尊の十一面千手観音は民間の信仰を集めていたことがわかる。これは後世のいわゆる盲人開眼『壺坂霊験記』の原形になったものである。 この『お里沢市』の物語は今より300年以上も昔(寛文年間)壷阪寺のふもと、大和国高取郷土佐町に住む沢市という盲人と妻里の夫婦愛をテーマにした『観音霊場記』に二世豊沢団平と妻の千賀女が加筆したものであり、浄瑠璃・歌舞伎に浪曲にとこの夫婦愛物語は日本国中さらに海外にまで知れ渡っている。
(なら旅ネット<奈良県観光公式サイト>より)
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古い町並みをのんびりと歩いて、児童公園まで戻ってきました。
これより土佐街道を歩いて駅に戻ります。
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金剛力酒造、ここでの酒造りはやってなくて販売しているだけだそうです。
しかも小さな町らしくタカラみりんとかも売ってました。
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土佐恵美須神社
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何故このあたりが土佐なのか・・・
前回来たときは分かりませんでしたが、見つけましたよ。
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土佐町由来
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六世紀の始め頃、大和朝廷の都造りの労役で、古里土佐国を離れこの地に召し出されたものの、任務を終え帰郷するときには朝廷の援助なく帰郷がかなわず、この地に住み着いたところから土佐と名付けられたと思われる。
故郷を離れて生きていく生活を余儀なくされた人達のたった一つの自由な意思は古里の名を今の場所につけることであった。
古代、中世を経て近世に入り植村氏が高取城に入部するに伴い土佐はその城下町として政治、経済、産業の中心となり、町筋には商家が立ち並び伊勢屋、池田屋、観音寺や、さつまや等が名を連ねた。細長く続く道筋は、往時の面影を残し、せせらぎの音は訪れる人の心を癒してくれる。
毎年開催されるお城まつりには、高取土佐時代行列保存会による奴行列が当時の模様を再現し好評を博している。
ここ土佐町は有史以来の全時代に関わってきた町として数少ない貴重な歴史を秘めている。
(古里高取より抜粋改変)
望郷の想ひむなしく役夫らのせめて準らふ土佐てふその名
(「現地案内板」より)
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大雛曼荼羅と町家の雛めぐりは、3月31日まで。
おしまい
2019年03月20日
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