2019年の6回目は、「酒蔵みてある記」で初めて行った酒蔵・久保本家酒造。
「道の駅 宇陀路大宇陀」より奈良交通バスで榛原駅まで430円で戻るのですが
まだ陽もあるし、晴れてきたし、430円ケチって歩いて戻ります。

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町中を散策しながら、まだ見ていない松山西口関門(黒門)を探しますが、
この奈良漬の樽の看板、迫力ありますね。

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裏側は「こうじみそ」の文字がありました。

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街道筋、今は静かですが往時の反映を偲ばせるのに十分ですね。

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文化財に指定されている住宅がいくつもありました。

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地図をよく見て、松山西口関門(黒門)は恵比須神社の後方みたい・・・

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ありました・ありました!

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表に回ってみます。

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松山西口関門は、宇陀松山城の城下町の要をなす出入口であり、ここから春日門へと至る街路は、城下町の大手筋にあたります。門口の橋詰めで道路を直角に曲げ、西口開門を通ってからも道路が直角に右折れします。門が黒塗りであることから「黒門」とも呼ばれています。
門の造営は、門周辺部の発掘調査の結果から16世紀末〜17世紀初頭と推定されています。関ヶ原の戦い後、福島高晴が当地に封じられ、宇陀松山城の改修と城下町の整備も進んだと考えられており、門はこの頃の造営と思われます。
門の構造等は、角柱を2本を立て、その止に冠木、腕木、桁をおいて本瓦葺の切妻屋根をのせます。また、後方に控柱を立て、同様に切妻屋根をのせます。扉は石の軸受けによって両開きとし、鉄金具を打った格子戸につくります。正面の柱間は4.1m、軒高3.7mを測ります。
当門は、当時のまま原位置にある城下町の門としては希少であり、往時の数少ない建造物でもあることから、道路敷地を含む224uが昭和6年に国の史跡に指定されています。
(奈良県公式HP「いかすなら」より)

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黒門の脇に、琴平神社と愛宕神社が鎮座しておりました。

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常夜灯には宝暦7年と刻まれておりました。
このあとまた黒門をくぐって街道に戻って、来た道を引き返しました。

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おまけ・大宇陀町のマンホールです。

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おしまい