近鉄主催のハイキング倶楽部「あみま倶楽部」への参加記録。
2019年の6回目は、「酒蔵みてある記」で初めて行く酒蔵・久保本家酒造。
榛原駅より宇陀川沿いを約6Km歩いて「うだアニマルパーク」
ここを出て宇陀松山地区に入りました。
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古い町家が並ぶ風景を楽しみながら目的地へと向かうのですが・・・
マップに書かれた「松山西口関門(黒門)」が見つかりません。
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きちんと地図を見れば分かったのでしょうが、
なんとなくのあてずっぽうで右往左往・・・
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結局は最終目的地へと急ぎました。
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それにしてもタイムスリップしたようなお家が多数ありますね。
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松山地区の南端、ようやく最終目的地を発見!
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こちらが母屋
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その前に向かい側の倉庫?で試飲させていただきます。
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特別純米と純米酒だったかな、気さくなおばちゃんに勧められるまま
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一息ついて母屋に入りますと・・・。
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見事なディスプレイ!
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東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月かたぶきぬ
『万葉集』巻第1-48 柿本人麻呂
久保本家酒造のある大宇陀は『万葉集』の歌人にも愛された風光明媚なところとしても知られております。
ここは飛鳥の都からも近く、『古事記』や『日本書紀』の神話にも登場する日本発祥の地であります。また中世には織田信長の子孫が所領する城下町でもありました。その後近世の頃にも熊野古道や伊勢街道につながる宿場町として人や物が行き交いとても賑わっておりました。
このころ初代久保勘兵衛が吉野の奥山より出でて、江戸元禄時代に現在の場所で酒造りを始めました。大宇陀という当時の先進の地で一旗揚げてやろうという志があったのだと思います。それ以来久保家は300年余り酒造を続けてまいりました。
今この歴史ある風土の下で酒を造ることはとても夢のある仕事と感じています。こんな酒造りにたずさわるにはプロとしての妥協のない姿勢が常に求められます。酒造りの技術を磨き蔵人としての道を極めていく中で、人格がつくられ成長していくことを目指しております。それがひいては地元の町づくりにもつながり、さらにはお酒を飲む方々にも物心両面における豊かさを感じていただければと願っております。
蔵元 久保順平
(「久保本家酒造ホームページ」より)
2019年02月28日
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