いつもながらの高知の話題が続いたので、お正月に戻って大阪散歩。
今年の元日は6年ぶりに奈良の自宅で迎えました。
早朝より東大寺大仏殿に初詣に赴いたのち、大阪の実家にて新年のご挨拶。
ひとしきり飲んで食ってうたた寝した後、ご近所散歩で腹ごなし。
氏子である玉造稲荷神社はお参りの人で長蛇の列、
東側の参道より境内に入りました。 境内末社が並んでおります。
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左より、厳島神社。
ここのお社は池の中にあって、弟が小学生の頃に落ちたこともありました。
そのころ裏手にある玉造小学校とのコンクリートの壁に大きな穴が開いていて、
小学校よりイケイケになっていたんですよね。
中央が万慶稲荷神社と新山稲荷神社の共同のお社、右側に豊臣秀頼公胞衣塚大明神。
小学生の頃にはあったのかな? あまり記憶にないんですけどね。
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豊臣秀頼公と母・淀殿を結ぶ卵膜・胎盤などの胞衣(えな/よな)が鎮まる。
玉造の地を数々遷座したが、地元の政・財・文化界有志により、大坂城鎮守神である当神社へ鎮座された。
縁≠ノは家族の縁、親子の縁、男女の縁、主従の縁、仕事の縁など様々存在する。縁のひも≠ヘ豊臣秀頼公に仕えた武将・真田幸村ゆかりの真田紐≠ナ作られ、その願いを記し、縁のひも掛け≠ノ結び祈願する。
また、「子の悩み」や「夜泣き」にも霊験あらたかとされる。
(玉造稲荷神社ホームページより)
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境内には秀頼公の彫刻も増えてますね。
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そしてこちらは子ども頃よりお馴染みの秀頼公が奉納した石の鳥居ですが・・・
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阪神大震災で基部に被害が出たことより参道よりこちらに上部のみ引越し。
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大坂夏の陣や第二次世界大戦の空襲被害も乗り越えたのですけれど、
自然災害には勝てなかった・・・ということですね。
2017年01月24日
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