電話交換機リプレースの運用初日は戸惑いもありましたが大きな混乱はなく
なんとか移行できたようで一安心。
さて次は私的な課題をクリアせねばならない12月ですが、
定例的な会社イベント2つに加えもうひとつ仰せがありました。
もう引退間際なんで勘弁してほしい気分なんですけどね・・・
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7月は絵金まつり、8月はよさこい、9月は台風のため行かなかったけど
秋のお城まつりがあったりしたのですが、10月は特にイベントはなし。
10月の高知は、特に用事もなく行くべきところも決めておらず骨休めです。
10月7日早朝着で昼前より市街に出ましたが、9日手元不如意となりまた市街へ。
鏡川沿いを歩いて石立八幡宮へ寄り道したあと、また鏡川を下って歩きます。
ここは上町2丁目から1丁目あたりかな、川沿いの集落の小径を歩くと・・・
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何やらガイド風の人が学生さんみたいな人に説明していらっしゃいますね。
入れ替わりのようにその場に立ちますと、これがありました。
「水丁場の標柱」だそうです。
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この石柱は、江戸時代、鏡川流域の洪水による災害を防ぐために設けられた受け持ち区域(丁場)の境界を示す標柱です。
西は、上町の観音堂より、東は雑喉場(ざこば)に至る鏡川沿いの堤防に、この丁場を示す標柱が立てられ、出水時には武士、町人らが協力して、十二に沸かれた丁場を十二の組が出動して水防にあたりました。 各組の長には家老があたり、その下に組頭がおり、組を率いていました。
水丁場には、目盛りをつけた標木も建てられており、これで増水状態を確認しながら、その程度に応じて、出動の人数を決めていたといわれています。
他に同様の標柱が、鷹匠町二丁目・上町五丁目に残っています。
高知市教育委員会
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そしてここは「日根野道場」があったところでもあるようです。
日根野弁治が築屋敷に開いた道場で、坂本龍馬もここで14〜19歳まで修行し、
「小栗流和兵法事目録」一巻も伝授されておりますね。
2016年11月29日
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