このお盆も高知に行ってましたけど、写真を撮りながら散歩する余裕なく、
与えられたミッションをこなすのに精いっぱい。 7月の出来事が続きます。
●
高知橋からはりまや橋への電車道をはさんで東側の一帯がはりまや町ですね。
はりまや橋小学校もはりまや町2丁目の東側となってました。
八幡宮への参道に入らず、北側の江ノ口川にかかる山田橋
そのたもとが「山田橋番所跡」である旨の掲示板が立っていました。
P7217756 posted by (C)fronte360
この橋にむかって右側、かなり引いて写真撮ったので、白い建物あたりかな、
「山田町牢跡」になるのですね。
P7217774 posted by (C)fronte360
この牢屋には下士以下の身分の者が入れられることになっていて、
土佐勤王党の平井収二郎や、岡田以蔵もこの牢に入れられていたのでした。
そしてこの山田町番所から5軒目が、なんと岡田以蔵の家だったそうです。
そして付近を散策していると中古レコード店を発見しました!
マッシュルーム・レコード。
P7217759 posted by (C)fronte360
ブログによると70年代以前のUK、USロックをメインにしていて
ギターやエフェクターなども豊富にあるみたいですね。
P7217758 posted by (C)fronte360
クラシックは無さそうなんで、パスして県道沿いに出ました。
「刎橋(はねはし)」と書かれています。
P7217760 posted by (C)fronte360
川中に柱を建てることが出来なく、両岸より大木を刎ね出すようにし、
橋を架けたのでこの名があるのだと書かれていました。
P7217763 posted by (C)fronte360
兆民通り、中江兆民生誕地と書かれた標識。 あとで行ってみましょう。
向こうに見える橋が先ほどの「刎橋」
P7217764 posted by (C)fronte360
「大正橋」のプレートもありますよ。
大正2年、山田町の牢の町から北新町を結ぶ道を開いて架けたので大正橋、
なんてことが書かれていました。 大正橋の親柱や石碑も置いてありますね。
P7217768 posted by (C)fronte360
「雁木埋設の地」の標識とプレート
P7217769 posted by (C)fronte360
雁木(がんぎ)とは、川岸の船着場に石材で石段を組んだものだそうで、
江戸時代からの遺構をそのままここに埋めてあると書かれていました。
P7217770 posted by (C)fronte360
さていよいよ兆民通りへと回ってみましょう。
P7217771 posted by (C)fronte360
明治の思想家で自由民権運動の理論的指導者となった中江兆民。
東洋のルソーと評されたりもしますね。 この山田町で生まれていたのですね。
P7217773 posted by (C)fronte360
2014年08月21日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック