6月29日、爪切地蔵尊より夢観音堂の前を通って石切劔箭神社上之宮より、
石切の御滝、御礼池、婦道神社さらに奥に合掌造りのような建物があります。
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石碑に登美霊社と刻んであります。
この時はよく分からなかったのですが、ネットには以下のように書かれてます。
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石切劔箭神社登美霊社
饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)の御妃で、可美真手命(うましまでのみこと)の御母君である三炊屋媛(ミカシヤヒメ)(登美夜毘売(トミヤヒメ))をお祀りしております。三炊屋媛は、古代の河内・大和一帯を治めていた登美一族の長、長髄彦(ナガスネヒコ)の妹君です。この地に天降られた饒速日尊と兄の長髄彦の仲を取り持ち、お二人が互いに争うことなく力を合わせて国造りが出来るように努められました。「和解と協力」「平和と繁栄」の象徴として、その徳を崇め、お祀りされました。
(石切劔箭神社HPより、ただし読み仮名は当方による)
P6294786 posted by (C)fronte360
古事記や日本書紀、いわゆる記紀が編纂されて1300年ということもあり、
興味はあるのですけれども、読み仮名をつけないと読み難いし、
つけても意味がすっと落ちてこないのが、まどろっこしい・・・
ちゃんと本を読まないといけませんね。
でも登美霊社の正面扉、これは分かりやすいです。
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2013年07月11日
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