名残の桜を愛でていて飛んでしまいましたけれど、時を戻して4月7日、
子供が使い残した青春18きっぷで紀伊田辺に行ってきました。
闘鶏神社から南方熊楠顕彰館・旧邸を出て向かった辻の餅でおけし餅を買い、
駅に向かいますが、ここは街道なのでしょうね、こんな石碑が立っています。
右きみゐ寺、左くまの・・・何でしょうか? 路の略字?
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もう少し先にあるのが、蟻通神社(ありとうしじんじゃ)
変わった名前ですが、説明板によりますと・・・
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蟻通しの由来
橋本觀吉(文)
むかしのことです。
ここ紀州田辺に外国の使者がやってきました
その死者は「今から出す問題を解いてみよ もし解けなければ 日本国を属国にしてしまう」といいました
そして 持ってきた法螺貝を出して その貝に一本の糸を通すことを命じました
日本の神がみは この難問にたいへん頭を痛めました
その時 ひとりの若い神様が前に進み出て「私が法螺貝にその糸を通してみせましょう」といって貝の口からどんどん蜜を流し込みました
蜜は 貝の中の複雑な穴を通り抜けて 貝尻の穴へと流れ出しました。
そしてこの若い神様は蟻を一匹捕らえて 糸で結び 貝の穴から追い込みました。
蟻は甘い蜜を追って 複雑な貝の穴を苦も無く通り抜けました
蟻の体には 糸が結ばれていますから 法螺貝には完全に糸が通ったのです
これを見た外国の使者は「日の本の国は やはり神国である」と恐れ
その知恵に感服して逃げ帰りました
日本の神がみは たいそう喜んで「我国にこれほどの賢い神があるのかを知らなかった」といって その若い神様の知恵をほめました
そして 蟻によって貝に糸を通したことにより蟻通しの神と申し上げるようになりました
今では知恵の神とあがめられています
日本第一知恵の神
紀州田辺湊
蟻通神社
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境内にあるクスノキ(樟)、「霊樟」とされています。
安政元年の大地震によって大火が発生、西風に煽られ湊地区に迫ったとき、
幹や枝から白水が噴出し、同時に風の向きが逆転して湊地区を守った、
そんな伝説が残っているそうです。
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いろいろと霊験新たかな神社であるようで、調べてみると、
天平神護元年(766年)に勧請したと伝えられる古社であるようです。
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そんなに大きな神社ではありませんが、
江戸時代より使われていたお神輿が飾ってあったり、
やはり江戸時代に立てられた鳥居の裏には「御武運長久」と彫られてます。
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ここも時代を感じさせてくれる神社です。
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2013年04月27日
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