3月9日(土)、歴史の道にそって法円坂住宅脇の坂を下ると越中井戸。
坂を下りきってから振り返ってみた写真。 全貌。
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植え込みや横断歩道あたり、小学生の頃、井戸に向けて、
時代劇のような木造長屋が左右両脇に並んで建っていたように記憶してます。
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細川忠興公の屋敷跡、台所の井戸だそうです。
徳富蘇峯の筆により、以下のように書かれています。
越中井 細川忠興夫人秀林院 殉節之遺址
細川忠興夫人とは、明智光秀の三女・珠(玉)で、細川ガラシャ。
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関ヶ原の戦いの前、細川忠興が徳川方に加勢、上杉討伐で不在となった隙、
石田光成がこの玉造の屋敷を包囲、彼女を人質に取ろうしたけれども・・
ガラシアはそれを拒否、キリシタンは自害できないため側近に命を絶たせ、
屋敷に火を放った・・・貞女の鑑として、戦前は教科書にも載っていたそうです。
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側面には由来を記した文字がびっしりと彫り込まれています。
この文書は、京都帝国大学文学部長だった新村出が昭和9年に記したもので、
のちに広辞苑の編纂・著者としてお馴染みとなる新村出。
石碑左下、文学博士 新村出 の下に 大阪市婦人連合会 と彫られてます。
これはガラシアが貞女の鑑とされていた時代の証左ですね。
この越中井戸より更に少し下ると、大阪カテドラル聖マリア大聖堂。
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東京カテドラル聖マリア大聖堂は、文京区の丹下健三の建物で有名ですが、
1900年設立に比し、ここ大阪カテドラルの設立のほうが1894年と若干古く、
細川邸という歴史的にも由緒ある地に建っています。
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聖堂前には高山右近、細川ガラシヤの石造が両脇に配され、
大聖堂内内陣には堂本印象による細川ガラシャを描いた画も掲げられています。
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そしてここには、大きなパイプオルガンが設置されており、
先日亡くなったマリー・クレール・アランによる演奏会もありましたね。
1987-8年頃だったでしょうか、こんな所にも来るんや、と思ったものでした。
ここから徒歩数分、実家に寄ってきました。 おしまい。
2013年03月22日
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