神池のほとりに龍神が祀られた幡龍宮

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梅園では老母娘のペアがさかんに記念撮影をしておられたので先を急ぎ
なで牛さん。 ここには狛犬のように左右2体いらしゃいます。

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それぞれクビに鈴を付けていますね。
参詣される方は、綱をゆすって鈴を鳴らしてから拝まれていました。
うしろの梅は、飛龍梅。

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拝殿
残念ながら太平洋戦争による空襲で焼失したので戦後の再建になります。

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菅原道真は、左遷されて大宰府に流されましたけれども、
その息子である菅原高視(たかみ)もまた土佐権守として左遷され、
この潮江に居住していたそうです。
そして邸跡のある山は高視(たかみ)の名前から「高見山」と呼ばれ、
(正式名称は皿が峰)現在も高見町という町名が残っているのだそうです。

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延喜3年(903年)に道真が没し、遺品(袍、剣、観音像)が高視の元へ届けられ、
それを祀ったのがこの神社の創祀となります。
由緒ある天満宮なのですね。

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この遺品を届けたのが、道真侍臣の渡会春彦(白太夫)という人で、
長岡郡大津村船戸(現 高知市大津舟戸)の霊松山雲門寺において病を発し、
延喜5年(905年)12月9日に高視に会うことなく同地で没したと伝わります。

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現在も岩崎山(大津北浦)に墓(奥津城)が残り、白太夫神社があるそうで、
「菅原伝授手習鑑」の白太夫のモデルなんだそうです。

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さぁ、ぐるっと一周回って参道へと戻ってきました。
この間にちゃんとお参りは済ませております。

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楼門前に建つ鳥居の影に入って再度楼門の記念撮影。
頭を垂れて、潮江天満宮を後にしました。