昨年は和倉温泉だった社内旅行、今年は京都と決まりました。
石川地区・東京地区よりそれぞれ集まって来た社員は修学旅行以来の京都・・・
そんな人もいますが、関西勤務者6名は少々白け気味ですけどね。
とにかく新都ホテルでの昼食を済ませたあとは宿まで自由行動。
懸念していた雨も上がったので、せっせと宿まで歩くことにしました。

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京都駅を渡ってから地下街に潜って七条でまた地上。 そこから東山へ。
京都国立博物館は改装中、東山七条の智積院(ちしゃくいん)の前を左折。

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東山のこの通りを歩いても面白くないので、京女の方に登ってから、
多少道を間違えつつも北上、路地の奥に見つけました。 三嶋神社。

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かつては現在地に広い社地があったそうですが、負債で境内や社殿を失い、
最近になり、土地所有者の好意でマンション敷地角に社殿が建てられたとか。
しかしこの神社の歴史は、平安時代末期にまで遡ります。

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後白河天皇、中宮(皇后)である平滋子建春門院が子宝に恵まれないことを嘆き、
摂津国嶋下郡三島江村に子授けにご利益がある三嶋大明神へ参拝したところ、
夢の中に現れた白髪の翁のお告げにより男子が生まれたことより、
ここに三嶋大明神をお祀りしたそうです。

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よってここは、安産・子授け・夫婦和合にご利益のある神社なんだそうです。
そしてうなぎを神様のお使いとし、絵馬もうなぎが描かれています。
うなぎは夫婦和合の象徴、最初に2匹のうなぎが描かれた絵馬に願いを書き、
成就した際には3匹の絵馬を奉納するとのことです。
そして下の写真は「揺向石(ようこうせき)」

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源義経(牛若丸)、祈願を行うために三嶋神社に籠った際、夢の中に翁が現れ、
「汝志久しく可からず、早々に奥州に下る可し」との御神託があったとか。
夢からさめて再度参拝すると、翁の立っていた所に「揺向石」があった・・・
そして妊婦さんがこの「揺向石」に触れ、その手でお腹を次になでると、
牛若丸のような立派な子ども(男の子)が授かるのだそうです。

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話は戻ってこの神社、後白河天皇が世継ぎの高倉天皇が授かったことから、
ここに三嶋大明神をお祀りした社殿を造営するよう命じられたのは、
永暦元年(1160年)、平重盛であったとのこと。
そしてここは、京都市内で唯一平氏ゆかりの神社であるそうです。
その平氏の神社に牛若丸伝説・・・
軽い疑問を抱きながら、先に進みましょう。
【関連する記事】
夫婦和合は知りませんでしたが
鰻業者の神社で、祭礼に全国から業者が集まって来るのでその為に宿泊施設が作ってあって。
普段は空いている宿泊施設を泊まりだけの民宿?風に貸していました。
安くて清潔だったから、お金持ちでない外人観光客の間では
以外と知られていた神社で。
20年くらい前でしたが私も一度泊まったことがありましたよ。
「三嶋神社 負債」で検索すると出てくるのですが、2000年頃に地域開発のために土地を手放して移転する予定だったのが、移転先の山科で造成許可が下りず負債を抱え行き場を失ったようです。
瀧尾神社境内に間借り・仮住まいしたのち(現在も祈願所は瀧尾神社内にあるそうです)、2002年に現在地のマンション土地所有者のご厚意で敷地北側一角に社殿が建てられた、とのことです。
fuskさんが泊まられたときは、広い敷地であったろうと想像します。
なお、鰻については、2011年7月〜10月にかけて東京大学総合研究博物館で「鰻博覧会」というのがあり、当時は東京単身赴任中だったので、観に行きまして、三嶋神社のこともここで知りました。
この博覧会を紹介した以下の記載にも三嶋神社の絵馬が載っていたります。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v16n2/v16n2_kuroki.html