2012年11月16日

阪急服部・服部天神宮訪問

11月10日、会社の所用のため、土曜日なのに阪急服部に行ってきました。
用事は10時から約1時間で終了、駅の近くにある服部天神宮へと向かいました。

大阪・梅田方面への改札口のある駅東側、ちょっと歩いたらご覧のアーケード。
梅鉢の紋、いかにも天神さんへの参道への入口です。

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PB102294 posted by (C)fronte360

アーケードをくぐり、次の角を右折すると、先に鳥居。 あっという間。

PB102296
PB102296 posted by (C)fronte360

あとで分かりましたが、こちらは裏口にあたるようです。

PB102297
PB102297 posted by (C)fronte360

鳥居の上部は新しい石材にて修復されていますが、
石灯篭とともに、年季の入った時代物のようなので近くで確認すると・・・
石灯籠は、安政四年丁巳正月(1857年)、鳥居は文政八乙酉三月(1825年)
との刻印がありました。

PB102298
PB102298 posted by (C)fronte360

社殿の脇を抜けて境内へと向かいます。

PB102301
PB102301 posted by (C)fronte360

七五三ともあって、着飾った親子連れが沢山いらっしゃいます。
お子さん向けでしょうか、ご近所の幼稚園で作った(?)お神輿が出てました。
オリンピックの旗と日の丸を持った龍でしょうか。 かわいらしいですね。

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PB102302 posted by (C)fronte360

境内を抜け、正門への参道入り口と思しきところまで行って、撮影します。
でかでかと「足の神様」。 先のアーケードにも書かれていましたね。

PB102306
PB102306 posted by (C)fronte360

大宰府に左遷される途中の菅原道真公、このあたりで持病の脚気により、
足がむくんで歩くことが出来なくなったそうです。
村人に少彦名命をお祀りしてある天神祠に詣でるよう勧められて来てみると、
100年程前、大宰府に左遷された藤原朝臣魚名公がここで病により亡くなられ、
その五輪塔があったとのこと(いまでも境内に残っていました)。

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PB102317 posted by (C)fronte360

「昨日は他人の身、今日は吾が身にふりかかる定めか」
と嘆ぜられて自身の脚気平癒とともに魚名公の霊も弔われたところ、
病がいえ、大宰府に赴任されたとのこと。

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PB102324 posted by (C)fronte360

その故事に由来して「足の神様」。
この神社の絵馬は小判ではありません、藁草履の形になっていたりします。

PB102326
PB102326 posted by (C)fronte360

さて、正門の参道入り口ところに戻って・・・ここの石灯篭も立派なものでした。
刻印を見ると元治元甲子年五月(1864年)。
この年の3月には水戸天狗党、6月に池田屋事件 8月に下関戦争などなど、
幕末ですね。

PB102307
PB102307 posted by (C)fronte360

面白くなってきました。 正門より境内に再度入ってみましょう。

posted by fronte360 at 05:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 12-大阪散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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