11月10日、会社の所用のため、土曜日なのに阪急服部に行ってきました。
用事は10時から約1時間で終了、駅の近くにある服部天神宮へと向かいました。
大阪・梅田方面への改札口のある駅東側、ちょっと歩いたらご覧のアーケード。
梅鉢の紋、いかにも天神さんへの参道への入口です。
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アーケードをくぐり、次の角を右折すると、先に鳥居。 あっという間。
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あとで分かりましたが、こちらは裏口にあたるようです。
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鳥居の上部は新しい石材にて修復されていますが、
石灯篭とともに、年季の入った時代物のようなので近くで確認すると・・・
石灯籠は、安政四年丁巳正月(1857年)、鳥居は文政八乙酉三月(1825年)
との刻印がありました。
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社殿の脇を抜けて境内へと向かいます。
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七五三ともあって、着飾った親子連れが沢山いらっしゃいます。
お子さん向けでしょうか、ご近所の幼稚園で作った(?)お神輿が出てました。
オリンピックの旗と日の丸を持った龍でしょうか。 かわいらしいですね。
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境内を抜け、正門への参道入り口と思しきところまで行って、撮影します。
でかでかと「足の神様」。 先のアーケードにも書かれていましたね。
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大宰府に左遷される途中の菅原道真公、このあたりで持病の脚気により、
足がむくんで歩くことが出来なくなったそうです。
村人に少彦名命をお祀りしてある天神祠に詣でるよう勧められて来てみると、
100年程前、大宰府に左遷された藤原朝臣魚名公がここで病により亡くなられ、
その五輪塔があったとのこと(いまでも境内に残っていました)。
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「昨日は他人の身、今日は吾が身にふりかかる定めか」
と嘆ぜられて自身の脚気平癒とともに魚名公の霊も弔われたところ、
病がいえ、大宰府に赴任されたとのこと。
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その故事に由来して「足の神様」。
この神社の絵馬は小判ではありません、藁草履の形になっていたりします。
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さて、正門の参道入り口ところに戻って・・・ここの石灯篭も立派なものでした。
刻印を見ると元治元甲子年五月(1864年)。
この年の3月には水戸天狗党、6月に池田屋事件 8月に下関戦争などなど、
幕末ですね。
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面白くなってきました。 正門より境内に再度入ってみましょう。
2012年11月16日
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