おっと失礼と、いったん境内の外に出て、南側へ回り込みました。
廣田神社です。

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鳥居をくぐって境内に入ると、綺麗に掃き清められていて、厳かな雰囲気。
いったん境内の外に出て入り直したのも判っていただけるかしら。

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お百度石。 文字に趣がありますね。

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入口脇にあった蔵の前に、ここに来た目的ともいえる説明板がありました。
エッセイストの額田武氏の文章によるものです。

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「アカエ」とは「アカエイ」のこと。
この神社の使徒とされているアカエについて書かれています。
(写真をクリックしてゆくと拡大して確認することができすます)
とにかくお参りを済ませ、拝殿の中を失敬して写真を撮らせていただきました。

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この神社のことを知ったのは、ネットの大阪日日新聞の記事 → ココ
アカエの絵馬があります。 これを見たかった。

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アカエの絵馬について、wiki では以下のように書かれています。
痔疾の平癒を祈り、全快の報賽にアカエの絵馬を捧げる。この神は土地を守る神で、地と痔と音が通じることから痔疾平癒を祈るものとなったものか

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新聞記事にも、土地の氏神さま、どこにでもある神社のように書かれてますが…
由緒を探ると、神功皇后の諸国征伐の帰途にまで話は遡っているようです。
海路を難波に帰る途中、船が海中をぐるぐると廻って前に進まなくなり、
占ってみると、天照大神から摂津国廣田の杜に祀れとの神告があったとのこと。
よってこの廣田の地に天照大神の荒魂「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)」を祀ったことが、
この廣田神社の起源。
神功皇后の諸国征伐の帰途ならば、6月に訪れた坐摩神社(いかすりじんじゃ)
ここもその由縁の神社で、由緒をたどると相当な古社であるようです。
境内の隅には江戸時代のものと思われる石灯篭が並んでいます。

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江戸時代の「浪花百景」には、うっそうとした森の中の廣田の社として描かれ、
紅白二種の萩を植えた茶店があって萩の茶屋と呼ばれていたそうです。

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祭神の「賢彦名命」(さかひこなのみこと)は、アカエに乗り訪れる智恵の神様、
無病息災・痔疾をはじめ難病治癒にご利益があり、
叡知の“エイ”に通じることから合格・必勝の祈願を叶えるとのこと。
長男のことをお祈りしましたけど、通じるかなぁ。
名残惜しいですが、先を急ぎましょう。
縁起も同じく、船が進まないのでというくだりがあります。
こちらのはもと官幣大社、摂津の国の延喜式のうち大社のうちの明神大社のひとつで武庫郡唯一のものです。
なんといっても、小生の住んでいるところも大社町ですから。
摂津の国ということで調べたら、大阪市内も摂津の国の範囲であることを今回初めて知りました。
神崎川くらいまでかと思っていましたが、大阪市のほとんども摂津でしたね。
お時間があれば、小生の所の廣田神社へもお参りください、ぜひ。春のコバノミツバツヅシのころがお勧めです。
西宮の廣田神社との関係については、この次の訪問先にて少し書いていたりします。
次の訪問先も、西宮のほうが本社筋にあるようです。
東京より戻って、変わらず町歩きをしているので、アマオケ演奏会の頻度が下がっていたり・・・
西宮界隈もまた気のむくまままた訪れてみたいと思います。 ではでは