ネタ切れとなったので、7月15日に東大阪・中小阪界隈を散歩したことなど。
15日、彌榮神社(いやさかじんじゃ)を出て、気の向くまま歩きますが、
このあたり、適度に古い家屋があって、とても懐かしい感じがします。
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白壁の土蔵の角を曲がるとこんな路地があったり・・・
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この板塀のお家は、散髪屋さんですね。
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そしてここで見つけたのが、中小阪北向延命地蔵尊
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ここの地蔵尊は、鎌倉時代のものと推定されているそうです。
江戸時代、旧大和川床跡(長瀬川)から発見され、
享保十二年(1727年)、彌榮神社にお堂を建てて祀られた後(神仏習合ですやん)
神仏分離で明治時代に近隣の寺院、現在この地蔵堂にいらっしゃるそうです。
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地蔵堂には閻魔大王が描かれた絵図がありますが・・・
閻魔大王には失礼して、近寄って格子戸よりお地蔵様を激写しました。
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柔和なお顔ですね。 真っ先にお顔を見てしまいますけれどもよく見ると・・
座って右足を組み、左手を左膝の上に置き、コレ、半跏像ですね。
石仏でしかもお地蔵さまの半跏像って珍しいと思いますが、どうでしょうか。
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お堂の前におかれた香炉もおだやかな丸いフォルム
お堂の横にはこんな椅子も置いてあり、お爺ちゃんお婆ちゃんの社交場かな。
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この珍しい石仏は、大阪府の文化財に指定されているそうです。
お堂もまた江戸時代に建てられたもので、戦災にあわなかったのですね。
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なおこの地蔵堂には、皇女和宮が14代将軍家茂に嫁入りした時に織られた
菊の紋と三ツ葉葵の紋をあしらった衣装の端布64枚で作られた斗帳、
像の前にかけられた布、が伝えられていて、東大阪市の文化財だそうです。
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地蔵盆などで使われていたそうですが、今は保存されてレプリカを使っている、
そんなことも書かれていました。
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2012年08月31日
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そう言えば昔はこの神社のすぐ下まで用水路が流れていて、
司馬遼太郎館が建って居る場所は浄水場でした。
その周りを回って、今は第二寝屋川と呼ばれる川(昔はくすね川でしたが)まで流れていた筈です。
確か昭和30年頃迄、浄水場は小阪の幾割かの水を供給していましたから。
因に以前は7月13日は小阪神社。14日は弥栄神社の夏祭りでした。
この辺りは環濠集落だったそうですね。 次の愛宕社の所にあった説明板に書かれていました。
この辺り、戦災にも遭わなかったので(河内小阪駅前には慰霊碑などありましたが)、古の風情がまだ漂っているようですね。
今回発見した床屋さん「床寅」さんは、調べてみると、明治17年(1884年)に村営理容店として創業されたそうで、建物は昭和9年(1934年)に建てられたものとのこと。
今でも現役というのが素晴らしいですね。 いい町で過ごされたようで羨ましいかぎりです。