まずは、護国寺のふもとにある音羽富士、富士山登山です。
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まずは一合目より山頂を望みます。
傍らに胎内窟、ここには木花咲耶姫命の陰刻像が彫られているそうですが・・・
よく分かりませんね。
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ここの登山は2度目ですが、整備されていて登り心地よろしい。
登山道の脇の石碑、これを縫うように登山道を進みますが興味尽きない感じ。
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後ろから子供連れが登ってきたので、先を急いで山頂へ。
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なかなかに高さのある富士山なのですが
上からの写真では高さの感じがよくわからなくて、残念です。
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最後にこの富士山を作った音羽の「山護講」の石碑
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このほかに小日向の丸谷講、巣鴨の丸嘉講や
音羽3丁目の丸藤講、四谷の山参講、池袋・鷺ノ宮や落合周辺の月参講など
いろいろな講が献じた碑もあるそうで(すべて確認できてませんが)色々あって
幅広く交流があったようです。
もちろんそれぞれが江戸時代のもので
文化14年とか彫ってあったりして、ホント興味つきませんし、
富士山を登っていると、なんだか少年時代に戻ったようにワクワクします。
音羽富士登山、お勧めです。
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護国寺といえば講談社のトイメンに群林堂がありますなぁ。あそこの豆大福は塩が利いててうまかったなぁ。学生時代から酒と女に弱いわたしです。
ところで安田さんは弓道部?同じ下宿に斉藤一郎君がいました。
彼がG2のとき引っ越してきたような気がします。自衛隊官舎の近所の下宿でした。彼の部屋にはよく弓道部員が来てました。
そのころ僕はちっとも研究しないM2でした。
帯広を去る時はOBでもないのになぜか弓道部員がけっこうたくさん見送りにきてくれました。うれしかったなぁ。
六年の夢をはぐぐみし〜
先日はその前を素通りして、大塚警察署横から目白台に登ってゆきました。 今度、探してみたいと思います。
当方が弓道部だったのは高校時代でして、帯広では一番軟弱な(苦笑)、自動車部に所属してました。 顧問は三上先生でした。 環境というと自動車部の部長だった川崎くんが同期でした。 秋田出身ですね。
桎梏の綱を解きはなし〜♪