元和6年(1620年)、法印乗蓮によって開かれ、木食義高上人により中興開山。
初めは、田端の東覚寺(赤紙仁王が立つお寺)の末寺だったようですが、
明治43年に、田端の与楽寺(賊除地蔵があるお寺)に加わっているそうです。

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江戸時代の養福寺、本堂の他に仁王門、鐘楼堂、観音堂、地蔵堂などがあり、
中でも観音堂の100体の観音像は、坂東33ヶ所、西国33ヶ所、秩父34ヶ所
これらの観音霊場の写しを祀ったもので「養福寺の100観音」として
多くの参請者が訪れたそうです。
しかしながら、第2次世界大戦により、仁王門のみを残してそのすべて焼失。

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諏訪台通りから、境内にその仁王門が見えます。
仁王像は、胎内の奉納銘札で宝永5年(1701年)の造立と確認されていて、
この仁王門も、宝永年間の建立によるものだそうです。
仁王さんもさることながら、門の裏側にも2体の立像が収められています。
宝塔を持たれているので、多聞天。 毘沙門天と呼ばれるのが一般的かな。

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そしてこちらは、刀を持っているので、持国天。

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いずれも仏教を護る神さま、四天王のうちのお二方ですね。
四天王像って中学生の頃、東大寺戒壇院で見て以来、興味あります。
ネットで見た情報では持国天じゃなく広目天となってましたが、
広目天は筆を持っているのだな。 違いますね。
さて、仁王門の前を左に折れて進むと本堂です。
山門、仁王門、本堂と直線に並ぶと思うのですけれど、中心線からずれてます。
ちょっと面白い配置ではないかな。

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本堂、鐘楼などは再建されて、四季折々の季節の花々や緑に彩られています。
散った桜の花びらがじゅうたんのようで、これもまた綺麗ですね。

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そして、ここにも庚申塔が集められているのですね。

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小さな方、欠けてはいますが、これもなかなかに良い風情が感じられます。

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江戸時代、多くの文人たちが訪れ、その足跡も残しているそうですが、
ここも出て、さらに南下しましょう。
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