うねうねと歩いて行きましたら、妙見堂の文字が見えましたが、
でも、その手前にあった塔に惹かれて右に折れると・・
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万両塚、と言うらしいです。
でもそのまた手前に遺跡がありました。 目的がありませんので寄道ばかりです。
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弥生時代の遺跡だそうですが・・・ その後も続いていたようです。
つる草で分かり難いですが「昭和のゴミ(1970年代)」として
コーラの瓶や、茶碗や皿のカケラなどが埋まってましたよ。
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その下の層は「富士山の火山灰(宝永4年、1707年)」です。
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万両塚に戻りましょう。
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ここは芳心院(宝永5年(1708年)没)のお墓で
建設に一万両もかかったことより、万両塚というようですね。
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紀州徳川頼宣の娘、鳥取藩主池田相模守光伸の室だった方だそうです。
堀で囲まれていますが、その堀のに石の門がありますが。
説明文を読むと、基礎が合わなかったので、堀の外に建てたそうです。
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堀の外には、侍女たちのお墓や供養塔も立っていて、往時を偲ばれます。
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