かつて友人が向丘2丁目に在住していた頃、よく利用しました。
今では、小石川図書館に向って、動坂下よりずんずんと歩いて通り抜けます。
ここに初めて降り立ったときの懐かしさを今も感じながら。。。
でも、当時知らなかった圓乗寺の八百屋お七のお墓にお参りしてきました。
八百屋お七、どこかで聴いた・・・そんな感じでしょうかね。
八百屋お七の生家は、駒込片町で有数の八百屋であったそうです。
天和2年(1682年)、火事でお七の家が焼け出され、菩提寺の圓乗寺に避難。
やがて家は再建されて家に戻ってゆきますが・・・
その避難していた時に恋仲になった寺の小姓山田佐兵衛
彼に会いたい一心で付火をしてしまい、放火の大罪で捕らえられたお七。
天和3年、鈴ケ森で火あぶりの刑にされたそうです。
先日の散歩で鈴ケ森を通りましたが・・・
火あぶりの刑に使われた礎石を見つけ、八百屋お七の名もありました。

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これを見てから、またお墓参りがしたくなった、というわけです。
場所は通りからちょっと入った所、
入口には、お七の供養のために建てられた地蔵堂があります。

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お墓は、この参道の奥にあります。

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お墓の手前には、六地蔵さま。

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そしてお墓ですが、
中央にあるのが、当時の寺の住職が供養のために建立したもの。
右側のは、江戸時代寛政年間にお七を演じた岩井半四郎が建立したもので、
左側のものは、270回忌法要で近所の有志の方が建立されたものです。

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中央のが小さくなっているのは、
恋の成就に効く、と伝えられ、砕いて持ち去る若い女性が多くいたからだとか。
あとはスライドショウでごらんください。
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