結果はどうであれ1時間弱ですべて完答(マークシートですから)
早々に会場を後に、いい天気のもと、歩いて部屋まで戻ってきました。
神保町より白山通りで水道橋、東京ドームを回り込んで小石川、
初めて来ました、北野神社・牛天神です。
天神というからには、菅原道真が奉られています。
源頼朝がこの石に腰かけて眠っていたら、
夢に菅原道真が現れ、2つの良いことが起きる、と告げられたとか。
頼家が生まれ、平家を西に追いやることができたので、
ここに北野神社を造ったのだそうです。
石をよく見たら、牛に似ていたので、牛石と呼ばれています。
梅の花がほころんで、2月1日からの梅まつりを先取りした感じかな。
なお境内には歌人・中島歌子の歌碑があります。
樋口一葉も内弟子になって住み込んだ歌塾「萩の舎」の主催者ですね。
湯島天神とは違って人も少なく、
また境内も小さく、こじんまりとしたいいところですね。
やっと来れました。
さてここから安藤坂を登って伝通院(門前が工事中みたいですね)
ここを右に折れると、幸田露伴の家があって、その隣にあるのが
沢蔵司稲荷(たくぞうすいなり)
社殿にはお正月の注連縄がまだ掲げられてますね。
伊勢地方では、民家でも1年中注連縄を飾ってありますけど、
ここもそうかな・・・ この前来たときには無かったように思ったけど
かつて伝通院に沢蔵司という修行僧がいて、
わずか3年で浄土宗の奥義を極めたのだそうですが、
実は千代田城内の稲荷大明神が浄土宗の勉強したくて化けていたのだとか。
いつもながら、ここのキツネさんはシュールでカッコ良いですな。
沢蔵司稲荷の隣、崩れかけた小さな祠が3つに狛犬がいる敷地がありますが
これはいったに何なのでしょうね。 不思議な空間です。
さて、善通寺坂を下り、白山通りをまた渡ると樋口一葉の終焉の地
旧丸山福山町、紳士服のコナカの隣に記念碑がありますね。
今は西片という地名に統一されていますが、ここから新坂を登って
昔からの西片に入ります。
新坂の上あたりに夏目漱石や魯迅など文人・学者が多く住んでました。
本郷通りに出て、東京大学の正門より構内に入ります。
安田講堂前には大勢の人がいたので、食堂はパスして帰路を急ぎました。
本郷キャンパスから弥生キャンパスには構内の陸橋で言問通りを渡ります。
この手前、工学部の裏手にある実験棟ですが
屋上にあるこの巨大な施設にいつも首をかしげてます。
反対側もこんな感じ。 ロケットの燃焼実験でもやるのかしらね・・・
実物で見ると、けっこう圧倒される雰囲気があるんですよ。
さて農学部から地震研究所、
そしていつもなら根津神社などにも寄るのですが、
ずんずんとまっすぐ歩いて向丘、そして千駄木へと進んで一気に帰宅。
試験終了後、約1時間20分、いい気分転換にもなりました。
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前の記事ですが、お台場ですか!お恥ずかしい!私、お台場って行ったことがないんですよ。用事がなくて。全く知りませんでした。
実は私、生まれは北海道(発寒というところ)なんですよ。ですから青函連絡船の話は親からさんざん聞かされていて、「洞爺丸事件」とか、なぜか、見たような気がするほどです。その後、親の職業柄、あちこち転々として、名古屋で高校を終えましたので、奈良のことも、何がしか心の意識の中にあったものです。小学校の修学旅行が奈良・京都だったのも、そのせいです。
神保町からお宅まで徒歩!流石ですね。それにしても1時間20分歩き続けるというのは、当然、健康には最高に良いですよ。検定試験も、良い結果をお祈りしております。
発寒で「はっさむ」と読めてしまうあたり、半道民化してますね(笑)
学校のクラブの後輩がこの辺りに住んでいたように思います。 一度立ち寄ったこともあったように記憶してます。 住宅街でしたね。
お台場ですが、自分もこの駅しか降りたことはなく、本当のお台場・フジテレビ前は、高架より眺めているだけです。
検定試験、少々甘く考えていたところがあって(別の試験と勘違いしていた面もあって)、どうなるか・・ ですね。
もう終わったことですので、牛天神にお願いにしに行ったわけではなくて、子供が受験ということもあり、これまで行けなかった牛天神も行ってみようか・・と受験前より狙ってました。
コケてもタダでは起きない・・・ ってことでしょうか(笑)