今日も暑いですね〜
ついに部屋に敷いているカーペットを洗濯することにしました。
これで、もうちょっと涼しく感じるでしょうか。
いつもは文京区を中心に歩き回っていますが、
大阪の実家に居た独身時代から大阪市内もあちこちと歩いてました。
先日の帰省、大阪の実家に立ち寄ったついでに撮ったものを紹介します。
まずは氏子でもある、玉造稲荷神社
起源は古く聖徳太子の時代にまで遡ります。
豊臣秀頼奉納の鳥居もありますが、阪神淡路大震災で破損したため
現在は境内に上部のみ設置されています。
なお現在の「玉造」の名は戦後に地名に基づいて名付けられたものです。
大阪城の守護神として豊臣・徳川時代は豊津稲荷と呼ばれていたとのこと。
でもこの「玉造」の名も
もとは古墳時代に勾玉を作っていた玉作部の居住地だったことで
歴史ある土地であることを示しています。
この神社の裏手にある我が母校である玉造小学校の校章も
勾玉と日光がデザインされたもの。 創立135周年だそうです。
稲荷神社に話は戻りますが、伏見稲荷大社からの勧請ではない稲荷社で、
創祀年代の古さから「もといなり」とも呼ばれるそうですね ⇒ ココ。
なお玉造稲荷神社境内には秋田實笑魂碑もあります。
上方の現代漫才の基礎を開いた漫才作家秋田實さんはこの地の生まれで
子供の頃には境内で遊んだそうです。
なお玉造には、その昔寄席があり、漫才師、芸能人が多く住んでいたそうで
上方芸能ゆかりの地ということで、顕彰する碑があるのですね。
あとこの神社は江戸時代に盛んになったお伊勢参り
大阪と伊勢を結ぶ伊勢街道の大阪側の起点にもなっていました。
さて、お伊勢さんには向わず、西側・城星学園の側より出ます。
この正面には同級生の実家もあったりしますが、
同じ並びにリリパットアーミーのわかぎゑふ率いる玉造小劇店があります。
なお、わかぎゑふさんは小学校の1年後輩ですね(記憶にないですが)。
とにかく城星学園にそって回り込むと、越中井戸
キリシタン大名細川越中守忠興邸にあった井戸ですね。
細川忠興の妻が明智光秀の娘の珠・細川ガラシヤとなります。
細川ガラシヤ=ガラシヤ夫人は、本能寺の変により
細川忠興により丹後の味土野(京都府京丹後市弥栄町)に幽閉されますが
この弥栄町味土野にあった宿泊施設ガラシア荘も思い出深いところですね。
おっと話がそれました。
越中井戸ですが、自分が小学生の頃にはこんなに整備されてなくて
付近には古い木造の長屋のようなもの建ってまして
長屋の普通の井戸だったように記憶してます。
さてここを更に回り込むように進むと、聖マリア大聖堂
阪神淡路大震災で被害を受けて取り壊しになりましたが
以前は立派な塔が建っていましたね。
なおこの大聖堂には大きなパイプオルガンが設置されていて
ザ・シンフォニーホールが出来る前など、オルガンコンサートも催されてて
マリー=クレール・アランも弾いていた記憶があります。
その大聖堂の窓越しに内部のステンドグラスの写真を撮りましたけど、
小学生の頃、ここの境内で野球をやっていた友達がガラスを割ってしまい
(当時のお金で)1万円で弁償したという話もありましたねぇ・・
さて、ここから西に進んで法円坂住宅へ
道路を隔てた寺山住宅は玉造小学校の校区ですが、
こちら側は南大江小学校の校区、ともに同じ中学校の校区になります。
そして法円坂住宅を過ぎると、難波宮跡
前期は「大化改新」による遷都の後
後期は藤原京のあと平城京造営時に一時的に遷都されたようですね。
とにかく大極殿跡が復元されていて、ここから大阪城を望みます。
なお大阪城との間には東西に通る阪神高速道路東大阪線がありますが
ここの部分だけ地上を走ってて、一般道と同じ平面になってます。
これは難波宮跡の遺構保存と、大阪城への景観確保のためです。
地下に杭を打ち込まないような特殊な構造になっているんですね。
さて目を北西に転じると、NHK大阪放送局と大阪歴史博物館
ここも遺跡の上に建っているはずなんですけど、そびえ立ってますね。
難波宮跡を出て、また大阪城に目をやると
手前の空き地は以前のNHK大阪放送局の跡地です。
もともとここは馬場町(ばんばちょう)と言ってまして
大阪放送局のコールサイン=JOBKは、
ジャパン・大阪・馬場町の角(カド)でJOBKと言われたものでした。
あと、大阪城の後方に同じ形をしたビルが2本建ってますね。
松下のツインタワーですが、大阪城天守閣よりツインタワー眺めると・・・
このタワーの間より松下電器の発祥の地「門真(かどま)」が望めます。
よ〜く考えてますね〜
さて歴史博物館の前にある、高床式倉庫
この近辺の法円坂遺跡で見つかった古墳時代の巨大高床倉庫群のうち
1棟を復元したものだそうです。
ちなみにこのNHK大阪放送局と大阪歴史博物館のあるこの区画は
以前は大阪市中央体育館があったところでした。
この辺りをよく通って中学校より帰ってきてました。
中学校に行くには、朝は大阪城公園の中を抜けてましたけど、
帰りは友人たちと話をしながらブラブラと歩きまわっていたのでした。
またいずれ別のコースも紹介してみたいと思います。
2008年07月27日
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今日の記事では、大聖堂のステンドグラスが印象的ですね。教会や聖堂に入って、ステンドグラスを観ると、きっと荘厳な感じがするのでしょうね。私自体は、ステンドグラスを観た経験は残念ながらありません。ただ、教会や聖堂には行ってみたいとは思っております。なんとなくですが、心が落ち着きそうです。
シューベルトの交響曲ですが、どうしても、《未完成》や《グレイト》を聴きがちですが、初期の交響曲にも是非挑戦してみたいと思います。モーツァルトのピアノ協奏曲は持っているCDのせいでしょうか、やはり20番以降の曲を聴くことが多いです(というよりも、初期のピアノ協奏曲を聴いたことがありません)。もう少し色々聴きたいところではあります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
今日は図書館にCDを返しに行ったのと、その帰りにちょっと歩いて買い物に行った程度でおとなしくしてました。
図書館にはお世話になっていて、いまだクレンペラーのスコットランドは出てきませんが、メンデルスゾーンの知らない曲とか日本の現代音楽など、自分のお金では買うのに躊躇するようなCDを中心に借りています。
文京区、図書館が充実しているので助かっています。
>文京区、図書館が充実しているので助かっています
そうらしいですね。最初の会社の先輩で、安田さんと同じメーカー系列の会社に勤めている方がいるのですが、「文京区の図書館でCDを借りている」としきりと言っていたのを思い出しております。彼が私のクラシックの師匠にあたるのですが、年齢はまだ33歳…。以前聴いていた話によれば、子供の頃からN響の《巨人》を聴くような環境で育ったのだとか。かつてはトランペット奏者だったそうです。子供のころの環境が意外に大事だったりするのかもしれません。
>メンデルスゾーンの知らない曲とか日本の現代音楽
メンデルスゾーンだと、無言歌集などでしょうか? 日本の現代音楽と申されますと、武満徹さんとか、黛敏郎さんあたりでしょうか? それとも池辺晋一郎さんみたいにバリバリの現役の方とか? 私はまだ聴いていませんが、友人が加古隆さんのファンです。オリヴィエ・メシアンの直弟子とのことです。「パリは燃えているか」の曲を作った方とのことです。そういえば、メシアンですが、グラモフォンが復刻版CDを発売するとのことです(高いですけど…)。これも、図書館で借りて、メモリプレイヤーに落とした方が安いかも…
どうぞ、よろしくお願いいたします。
ピアノ協奏曲が見当たらないのが不思議ですけどね。
日本の現代音楽では、武満さんや黛さんもいらっしゃいますが、前々回借りていたのが、諸井誠さんのピアノ協奏曲。
諸井さん、NHK-FMでクラシック音楽放送のキャスターを務められていましたね。 あと三善晃さんや一柳慧さんなどのヴァイオリン協奏曲を借りてきました。
これらは日本コロムビアの「現代日本の音楽」というシリーズ物なので、聴き進めたときに次のを借りようとしています。 ちょっと聴き進められていないのが現実なんですけどね。
あとこれとは別に池辺晋一郎さんの交響曲のCDも2つありました。
これらも同じ理由で借りていませんが、いずれ借りたいと思っています。
聴かなくても借りることは可能ですが、ちゃんと聴かないと音楽に失礼ですものね。 自制してます。
>ちゃんと聴かないと音楽に失礼
グサッときました(苦笑)。結構、時間がなくて死蔵されているCDがあります。同居している母にも、よくたしなめられております。漫然とCDを聴くのではなく、真剣に聴かなければ、と思います(汗)。
色々と、私の知らない邦人のCDもあるのですね。売り場にあまり並んでいないので、お話を聴かなければ、知らないままになるところでした。ありがとうございます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。