この休み、土日とも身体は疲れましたが、気持ちは元気で高揚していたのでしょうね。 昨夜の就眠時の音楽は、現代音楽から黛敏郎の涅槃交響曲をチョイス。
今日も元気だ、現代音楽が面白い!
我ながら、このフレーズ、とても気に入っています。
精神的に疲れた時には、すぐにモーツァルトのピアノ協奏曲に走ってしまうのですが、身体は疲れていても、精神が元気なときには、脳ミソの日頃使わない部分を刺激したくなるのです。
トーン・クラスターの手法を使って旋律を排除し、これが(これでも)音楽? といったのを懐かしく聴いてしまいます。 そして、最近の現代音楽なんかヒーリング・ミュージック的じゃないか・・・な〜んて思えてしまうのは、齢とった証拠らしいです。
そういえば以前、大阪シンフォニカー交響楽団の定期演奏会で、城之内ミサさんの二胡と中国琵琶のための「空華U〜クハプシュパ」なんてのを聴いたこともありますが、ごめんなさい、で、この時の感想文を読んだら、けっこう辛辣なこと書いてますねぇ・・・時代遅れも甚だしいのかもね。
さて、この涅槃交響曲
梵鐘を打つ音を録音し、一度データ化して音響分析した上で、鐘の倍音構成や位相の変化をもとに採譜したのをオーケストラの音で再現するという「カンパノロジー」。 オールドな現代音楽ファンにとっては、おおっとくる部分じゃないでしょうか。
そして仏教の声明を男声合唱団とオーケストラが演奏する楽章では、人間の声の迫力に圧倒されます。 これは宗教的なチカラなのかもしれませんが、もちろん声明の意味など全く解かりませんけど、声のトーンの高まりに迫りくる何かを感じます。
これらが2回交互に出てきたあとフィナーレの「一心敬礼(いっしんきょうらい)」
天台宗の声明の旋律(おーおー、と歌っているだけですが)と管弦楽による高まりのあと、静かに涅槃の境地に収斂される・・・のだとか。
現代音楽(とくにオールドな現代音楽)は難解、どこがいいか解からない・・・
確かに美しい旋律や、綺麗な和音はありませんが、だからといってモーツァルトの音楽が理解できているかというと、そんなことはないですもんね。
あまり深いこと考えず、現代音楽で脳ミソ刺激してみるのもまたおかし、といった感じかな。
2006年05月22日
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