今年は、シンシア復活を願って
1993年10月発売、シンシアこと南沙織さまの最後のアルバム
「Art of Loving」これは隠れた 銘盤 と思っています。
篠山紀信さんがお亡くなりになって、その後が心配ですけれど、
歌手として復活して欲しい。
2025年01月01日
(甲辰/きのえたつ12月の雑感)師走は去った、2024年も去った
実家での母親との同居生活も2年3ヶ月。 1年前の雑感記事を読み返していると、この1年の退行具合を改めて認識したしだい。 雑文といえど、書いておかないと忘れてしまうことを痛感しました。
1年前、夜8〜9時には床に入り、デイサービスのない日なら昼まで寝るのが常態化・・・ と書いていましたが、今は7時前、早ければ4時半には床に入ってしまいます。 朝も、起こさないといつまでも寝てしまうので、デイサービスのない日は、朝10時に声をかけて起こすようになりました。 そのまま起きていると、4時半に床につき、昼寝したときには4時半には起こして7時前には床につく、そんな生活パターンにしています。 とにかく、デイに行かない日でも、できるだけ規則正しく生活させるようになったのでした。
この12月より、要介護4を拝命しましたし。
母親が規則正しい生活パターンになることで、自分の時間が作りやすくなりました。
奈良大学の卒論、普段はないという副査の先生(大学院の教授)からの喝によって、1年前の今ごろは燃えていたことを思い出しました。 95点という過分な判定で合格したものの、わざと2単位を落として留年したものの、この1年まったく勉強しなかった不良大学生。 2025年はどうすべきか、考えてみたいと思います。
2024年を思い返すと、2月にコロナに罹患してしまい、大学の後輩と訪れる予定の帯広に行けず残念でした。
でも5月末に帯広を訪れることになって、旧交を温め、懐かしい大学の機械実習工場にも入ることができ、感慨深くもありました。
中札内美術村も良かったし、連れて行ってもらった蕎麦屋や焼肉店も美味しかった。 また行かねば。
そして9月頃より痛み始めた左膝。 数年前から時おり痛んでいましたが、長引いて歩行も困難な感じにもなり、診てもらったところ、膝関節包内にガングリオンという良性腫瘍が。 この腫瘍の中に粘液が溜まっていて、これが半月板を引っ張って痛みが出ているのだろう、との診立て。 エコーを見ながら腫瘍に注射針を差して粘液を抜く、言うは易くなかなか抜けません。
それでも11月ころは痛みも治まっていましたが、12月より徐々に痛みも増してきました。 年末はちょっと厳しい日もあって、2025年には処置(手術)も視野に入れるかと思ってみたり・・・
さて、この1年どうやったかな・・・
頑張って卒論は書いたけれど、あとは卒論ロス状態だったかもしれませんね。
そして、12/30に NHK-TV で「ドキュメント72時間」の年末スペシャル番組をやっていて、新潟・小樽を往復する新日本海フェリーのをまた観ました。 この番組最後の26分頃より、65歳の不動産業の方、以下のように言っておられました。
-----
高齢者になると、失った時間が少し惜しくてたくさん時間があったのに、気がついたら高齢者になってた何もやってなかった忙しくないけれど流されて、なんか流されて生きてただけかな。
僕は普通の人間なんですよね。
友達には優秀な人もいたし、いろんな人がいるんですけど、でも普通に生きてきて、普通のこんな男の人がちょっと冒険してみられるのが、これぐらい普通のこと、普通って誰も注目してくれないんですけれど、でもまあ尊いし、自分がそう思えばいい。
行ってみて何持って帰ってくるのか、分かりませんけどね。 自分の心のなかに、そんな感じでいっぺん、やってみたいかな。
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もう当方も気づいたら高齢者・・・ 何かやらないと、と思った次第。
最後にこのような駄文を読んでくださった皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとりましても、幸多き一年となりますことをお祈りいたします。
1年前、夜8〜9時には床に入り、デイサービスのない日なら昼まで寝るのが常態化・・・ と書いていましたが、今は7時前、早ければ4時半には床に入ってしまいます。 朝も、起こさないといつまでも寝てしまうので、デイサービスのない日は、朝10時に声をかけて起こすようになりました。 そのまま起きていると、4時半に床につき、昼寝したときには4時半には起こして7時前には床につく、そんな生活パターンにしています。 とにかく、デイに行かない日でも、できるだけ規則正しく生活させるようになったのでした。
この12月より、要介護4を拝命しましたし。
母親が規則正しい生活パターンになることで、自分の時間が作りやすくなりました。
奈良大学の卒論、普段はないという副査の先生(大学院の教授)からの喝によって、1年前の今ごろは燃えていたことを思い出しました。 95点という過分な判定で合格したものの、わざと2単位を落として留年したものの、この1年まったく勉強しなかった不良大学生。 2025年はどうすべきか、考えてみたいと思います。
2024年を思い返すと、2月にコロナに罹患してしまい、大学の後輩と訪れる予定の帯広に行けず残念でした。
でも5月末に帯広を訪れることになって、旧交を温め、懐かしい大学の機械実習工場にも入ることができ、感慨深くもありました。
中札内美術村も良かったし、連れて行ってもらった蕎麦屋や焼肉店も美味しかった。 また行かねば。
そして9月頃より痛み始めた左膝。 数年前から時おり痛んでいましたが、長引いて歩行も困難な感じにもなり、診てもらったところ、膝関節包内にガングリオンという良性腫瘍が。 この腫瘍の中に粘液が溜まっていて、これが半月板を引っ張って痛みが出ているのだろう、との診立て。 エコーを見ながら腫瘍に注射針を差して粘液を抜く、言うは易くなかなか抜けません。
それでも11月ころは痛みも治まっていましたが、12月より徐々に痛みも増してきました。 年末はちょっと厳しい日もあって、2025年には処置(手術)も視野に入れるかと思ってみたり・・・
さて、この1年どうやったかな・・・
頑張って卒論は書いたけれど、あとは卒論ロス状態だったかもしれませんね。
そして、12/30に NHK-TV で「ドキュメント72時間」の年末スペシャル番組をやっていて、新潟・小樽を往復する新日本海フェリーのをまた観ました。 この番組最後の26分頃より、65歳の不動産業の方、以下のように言っておられました。
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高齢者になると、失った時間が少し惜しくてたくさん時間があったのに、気がついたら高齢者になってた何もやってなかった忙しくないけれど流されて、なんか流されて生きてただけかな。
僕は普通の人間なんですよね。
友達には優秀な人もいたし、いろんな人がいるんですけど、でも普通に生きてきて、普通のこんな男の人がちょっと冒険してみられるのが、これぐらい普通のこと、普通って誰も注目してくれないんですけれど、でもまあ尊いし、自分がそう思えばいい。
行ってみて何持って帰ってくるのか、分かりませんけどね。 自分の心のなかに、そんな感じでいっぺん、やってみたいかな。
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もう当方も気づいたら高齢者・・・ 何かやらないと、と思った次第。
最後にこのような駄文を読んでくださった皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとりましても、幸多き一年となりますことをお祈りいたします。