しめ縄や古いお札など納めてきました。
12時点火かな。
そして今日は若草山の山焼きの日ですね。
残念ながら母親がデイサービスから戻って来るので、とんどの点火も見ずに実家に戻ってます。
2023年01月28日
2023年01月27日
2023年01月26日
2023年01月20日
2023年01月15日
2023年01月13日
大和文華館の梅園
今日から大和文華館での新しい企画展示「麗しいほとけと仏教工芸」が始まったので、朝一番で行って来ました(館長さんが迎え入れてくださいました)。
その後の入館者も少なく(合計3名)、ゆっくりと鑑賞させて頂きました。
そして仏さまの観賞後は、梅園を散策。
しかしながら奈良の春はまだ遠く、つぼみを楽しみました。
その後の入館者も少なく(合計3名)、ゆっくりと鑑賞させて頂きました。
そして仏さまの観賞後は、梅園を散策。
しかしながら奈良の春はまだ遠く、つぼみを楽しみました。
2023年01月11日
春日大社若宮国宝展
今年初めて奈良公園、そして奈良国立博物館に行って来ました。
例年、お正月には午前8時まで無料で拝観できる東大寺大仏殿に行っていましたけれど、今年は実家での同居生活でお正月を迎えたので、元旦の大仏殿や、2日の長弓寺本堂(国宝)に拝観できませんでした。 久しぶりの奈良散策ですね。
今回の目的は、奈良国立博物館で開催している「春日大社若宮国宝展」
正直あまり期待していませんでしたが、いろいろと知ることもあり、また展示物で復元模造された物がいくつかあって、これによって古くなったオリジナルを鑑賞するのにも大いに助けになりました。
いい展覧会でした。
そして、本館「なら仏像館」もたっぷり鑑賞して実家に戻ってきました。
疲れたけれど、よい疲労感で今宵はよく眠れそうです。
例年、お正月には午前8時まで無料で拝観できる東大寺大仏殿に行っていましたけれど、今年は実家での同居生活でお正月を迎えたので、元旦の大仏殿や、2日の長弓寺本堂(国宝)に拝観できませんでした。 久しぶりの奈良散策ですね。
今回の目的は、奈良国立博物館で開催している「春日大社若宮国宝展」
正直あまり期待していませんでしたが、いろいろと知ることもあり、また展示物で復元模造された物がいくつかあって、これによって古くなったオリジナルを鑑賞するのにも大いに助けになりました。
いい展覧会でした。
そして、本館「なら仏像館」もたっぷり鑑賞して実家に戻ってきました。
疲れたけれど、よい疲労感で今宵はよく眠れそうです。
2023年01月07日
玉造稲荷神社
気づいたら、今年まだ玉造稲荷神社に行ってませんでした。
落ち着いたようなので、買い物帰りに寄ってみました。
ここは実家の鎮守社でありますので、子供ころからよく来てました。
というか、この神社の裏手が母校の玉造小学校なんですよね。
そして、稲荷神社、というと伏見稲荷の赤い鳥居を思い浮かべますけれども、
ここの社殿には赤い鳥居は、ありません。
何故かというと、ここは伏見稲荷さんを勧請したお稲荷さんではなく、
それよりも古く「もといなり」とも記されている神社なんですね。
聖徳太子とも関係のある神社・・・
というか、太子は仏教を国の基本として広めようとしていたので、そこは神仏混淆なのですね。 明治初期の廃仏毀釈で仏事は配されたようで、国家神道として明治期に府社に列せられる神社となりました。
自分が子どもの頃(昭和年代)は「府社」と書かれた窪みにコンクリートが埋められた「府社稲荷神社」という石柱になっていて、なんで「府社」がつぶされるように埋められているのかが不思議でした。
現在は石柱の「府社」の部分に石板で「玉造」が貼られ、「玉造稲荷神社」になってますよ。
とにかく、由緒は古い、ということですわ。
でもって、ここは上町台地。
その後、蓮如による大坂本願寺から、豊臣秀吉による大坂城となって、ここは大坂城の三の丸にあって、稲荷信仰のあった秀吉より大坂城の鎮守社となったとのこと。 それは徳川時代も続いたようですね。 歴代の城代はまずここにお参りしたとのこと。
で、ここには秀吉の息子である秀頼が生まれたとき、その胎盤などを納めた胞衣塚があって、胞衣塚大明神(よなづかだいみょうじん)として祀られています。
自分が子どもころにも祠はあったとは思ってましたが、こんな立派やったかなぁとちょっと記憶はあいまいですけれど・・・
秀頼公奉納の鳥居は、阪神淡路大震災までしっかりと参道に立っていたので、こちらはお馴染みです。
でも、地震では倒れなかったけれど損傷があったそうで、耐震性なども考慮されたのでしょう。
このように境内に上部と脚部の一部が置かれていますが、いつも見上げていた鳥居が、見下げるような位置で手に触れる位置に置かれているのは、ほんとしっくりこないのですけれどね・・・
とにかく興味ある方は、詳細を公式HPでご確認ください → 玉造稲荷神社
落ち着いたようなので、買い物帰りに寄ってみました。
ここは実家の鎮守社でありますので、子供ころからよく来てました。
というか、この神社の裏手が母校の玉造小学校なんですよね。
そして、稲荷神社、というと伏見稲荷の赤い鳥居を思い浮かべますけれども、
ここの社殿には赤い鳥居は、ありません。
何故かというと、ここは伏見稲荷さんを勧請したお稲荷さんではなく、
それよりも古く「もといなり」とも記されている神社なんですね。
聖徳太子とも関係のある神社・・・
というか、太子は仏教を国の基本として広めようとしていたので、そこは神仏混淆なのですね。 明治初期の廃仏毀釈で仏事は配されたようで、国家神道として明治期に府社に列せられる神社となりました。
自分が子どもの頃(昭和年代)は「府社」と書かれた窪みにコンクリートが埋められた「府社稲荷神社」という石柱になっていて、なんで「府社」がつぶされるように埋められているのかが不思議でした。
現在は石柱の「府社」の部分に石板で「玉造」が貼られ、「玉造稲荷神社」になってますよ。
とにかく、由緒は古い、ということですわ。
でもって、ここは上町台地。
その後、蓮如による大坂本願寺から、豊臣秀吉による大坂城となって、ここは大坂城の三の丸にあって、稲荷信仰のあった秀吉より大坂城の鎮守社となったとのこと。 それは徳川時代も続いたようですね。 歴代の城代はまずここにお参りしたとのこと。
で、ここには秀吉の息子である秀頼が生まれたとき、その胎盤などを納めた胞衣塚があって、胞衣塚大明神(よなづかだいみょうじん)として祀られています。
自分が子どもころにも祠はあったとは思ってましたが、こんな立派やったかなぁとちょっと記憶はあいまいですけれど・・・
秀頼公奉納の鳥居は、阪神淡路大震災までしっかりと参道に立っていたので、こちらはお馴染みです。
でも、地震では倒れなかったけれど損傷があったそうで、耐震性なども考慮されたのでしょう。
このように境内に上部と脚部の一部が置かれていますが、いつも見上げていた鳥居が、見下げるような位置で手に触れる位置に置かれているのは、ほんとしっくりこないのですけれどね・・・
とにかく興味ある方は、詳細を公式HPでご確認ください → 玉造稲荷神社
2023年01月01日
お正月
今年はおせち料理を準備しました。
酢レンコンとゴボウ、タケノコの煮物以外は、買って来たものの詰め合わせだけど。
お雑煮も自分で作りました。
大阪ですけれど白みそ仕立てではなく、母の実家である広島県世羅郡からの伝統ですまし汁仕立て、具材には鶏肉、ぶり、ハマグリも入っています。
小学校に入る前は虚弱体質だったので転地療養で母親の実家に預けられていました。
迷子になっても良いように、服には母の実家の苗字が書かれていました。 そして体力もつき、大学生のときまで時おり母の実家にお邪魔し、お正月には101歳で亡くなった祖母がつくったお雑煮をいただいていました。 本当はセリを使うのですけれどね、入手できなかったので三つ葉なのが残念です。
母親との同居が始まって3ヶ月、そんなことも思い出しながら作ってみました。
酢レンコンとゴボウ、タケノコの煮物以外は、買って来たものの詰め合わせだけど。
お雑煮も自分で作りました。
大阪ですけれど白みそ仕立てではなく、母の実家である広島県世羅郡からの伝統ですまし汁仕立て、具材には鶏肉、ぶり、ハマグリも入っています。
小学校に入る前は虚弱体質だったので転地療養で母親の実家に預けられていました。
迷子になっても良いように、服には母の実家の苗字が書かれていました。 そして体力もつき、大学生のときまで時おり母の実家にお邪魔し、お正月には101歳で亡くなった祖母がつくったお雑煮をいただいていました。 本当はセリを使うのですけれどね、入手できなかったので三つ葉なのが残念です。
母親との同居が始まって3ヶ月、そんなことも思い出しながら作ってみました。
(壬寅/じんいん12月の雑感)師走は去った、2022年も去った
2022年、37年勤めた会社を退職しました。
この間には、所属会社の社名変更、親会社への吸収合併、リストラ会社への出向/転社、はたまた吸収合併、そして会社分割吸収などなど、様ざまな大人の事情で所属する会社の社名が7回も変わりました。 が、転職することもなく(何度か辞めようと思ったこともあり、面接を受けたこともありましたけれど)会社生活を終えることができました。
もう働くのは充分との気持ちより、約40年ぶりに大学生に復帰しました。
奈良大学 通信教育部 文学部 文化財歴史学科 3年次に編入し、せっせと教科書や図書館で借りた参考書を読み、レポート提出・単位習得試験を受け、単位習得に励んでいました。 そして、目の前にそびえる高い壁のようだった「史料学概論」。 問われていることが何かが分からず、何度もレポート課題を読み返しては書いたレポートも書き直し、理解するのに苦労しましたけれど、試験では100点満点をいただけたことに、単に単位を習得すること以上の学習の面白さ、学習へのスタンスというものにも目覚めたようでした。
しかし5月、思いもかけず母親が脳梗塞で救急搬送という事態に陥って一変。
自力で救急車を呼ぶなど処置が早かったこともあり、後遺症はほぼ無ありませんが、コロナ禍もあって転院させたリハビリ病院での入院生活が長引いたことより、足腰が弱って戻ってきました。 酷暑の間はリハビリ病院にいるほうがいいだろうと、この間にゴミ屋敷同然だった実家の荷物を処分(2tトラック5台分)、実家リフォームをしていましたが、こちらもコロナ禍で大工さんが感染したり、IHコンロの入荷が遅れたりもし、ようやく9月末に病院より引き取ることができましたけれど、これまでのよう一人での生活は無理。 同居生活がスタートしました。
そして同居3ヶ月となった12月、奈良の自宅リフォームが本格化したこともあり、大学の勉強はもちろんのこと、美術館巡りなどの文化的な行動もまったく停止状態でした。 連日のように、実家より奈良の自宅に一時的に戻って荷物の整理、終わってから実家に戻ると新たに購入する家具などをネットで選定・発注。 それが自宅に届けば、母親がデイサービスに行っている間を利用して自宅に戻って組立式家具を組み立て・設置するなどなど、忙しくすごしていました。 これで奈良の自宅も一部ですけれど、綺麗になってよかったと思います。 お金があれば、もっと他のところも綺麗にしたかったけれど・・・ でもこのままだと、自分は自宅には住めない状況ですけれどね。 高知にも行けていないしな・・・
新年からは、もうちょっと自分の身体が自由に動けるようにとの算段も始めています。
大学の勉強は、単位習得・即卒業といった現役時代の考えとは違った取り組みができればいいのかな、と思ってみたり・・・
帯広にも、高知にも行きたいな。 でも何より徐々に自分のペースを取り戻しつつ、新たなステージに立てればなぁ、と思いだしています。 どうなりますことやら、2023年。
そんな新年度、やはりコロナ感染には細心の注意を払って乗り切りたいと思います、なんせ、ワクチン未接種ですからね。
そしてこの新しい1年もまた、このような駄文が書いてゆけるほど平和な時間が過ごせるように、などと思っています。
最後に、このような駄文を読んでくださった皆さま、本年もまたどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとりましても、幸多き一年となりますこと、心よりお祈りしています。
幸せになろう!!
この間には、所属会社の社名変更、親会社への吸収合併、リストラ会社への出向/転社、はたまた吸収合併、そして会社分割吸収などなど、様ざまな大人の事情で所属する会社の社名が7回も変わりました。 が、転職することもなく(何度か辞めようと思ったこともあり、面接を受けたこともありましたけれど)会社生活を終えることができました。
もう働くのは充分との気持ちより、約40年ぶりに大学生に復帰しました。
奈良大学 通信教育部 文学部 文化財歴史学科 3年次に編入し、せっせと教科書や図書館で借りた参考書を読み、レポート提出・単位習得試験を受け、単位習得に励んでいました。 そして、目の前にそびえる高い壁のようだった「史料学概論」。 問われていることが何かが分からず、何度もレポート課題を読み返しては書いたレポートも書き直し、理解するのに苦労しましたけれど、試験では100点満点をいただけたことに、単に単位を習得すること以上の学習の面白さ、学習へのスタンスというものにも目覚めたようでした。
しかし5月、思いもかけず母親が脳梗塞で救急搬送という事態に陥って一変。
自力で救急車を呼ぶなど処置が早かったこともあり、後遺症はほぼ無ありませんが、コロナ禍もあって転院させたリハビリ病院での入院生活が長引いたことより、足腰が弱って戻ってきました。 酷暑の間はリハビリ病院にいるほうがいいだろうと、この間にゴミ屋敷同然だった実家の荷物を処分(2tトラック5台分)、実家リフォームをしていましたが、こちらもコロナ禍で大工さんが感染したり、IHコンロの入荷が遅れたりもし、ようやく9月末に病院より引き取ることができましたけれど、これまでのよう一人での生活は無理。 同居生活がスタートしました。
そして同居3ヶ月となった12月、奈良の自宅リフォームが本格化したこともあり、大学の勉強はもちろんのこと、美術館巡りなどの文化的な行動もまったく停止状態でした。 連日のように、実家より奈良の自宅に一時的に戻って荷物の整理、終わってから実家に戻ると新たに購入する家具などをネットで選定・発注。 それが自宅に届けば、母親がデイサービスに行っている間を利用して自宅に戻って組立式家具を組み立て・設置するなどなど、忙しくすごしていました。 これで奈良の自宅も一部ですけれど、綺麗になってよかったと思います。 お金があれば、もっと他のところも綺麗にしたかったけれど・・・ でもこのままだと、自分は自宅には住めない状況ですけれどね。 高知にも行けていないしな・・・
新年からは、もうちょっと自分の身体が自由に動けるようにとの算段も始めています。
大学の勉強は、単位習得・即卒業といった現役時代の考えとは違った取り組みができればいいのかな、と思ってみたり・・・
帯広にも、高知にも行きたいな。 でも何より徐々に自分のペースを取り戻しつつ、新たなステージに立てればなぁ、と思いだしています。 どうなりますことやら、2023年。
そんな新年度、やはりコロナ感染には細心の注意を払って乗り切りたいと思います、なんせ、ワクチン未接種ですからね。
そしてこの新しい1年もまた、このような駄文が書いてゆけるほど平和な時間が過ごせるように、などと思っています。
最後に、このような駄文を読んでくださった皆さま、本年もまたどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとりましても、幸多き一年となりますこと、心よりお祈りしています。
幸せになろう!!