2020年05月05日

南 沙織/20才(はたち), using SL-6 & AU-D707X DECADE

南沙織さまのアルバムは、音楽にとっても青春の1ページです。

ですが… リアルタイムではレコード盤を買う小遣いの余裕などなく、ラジオやテレビで接することが主でしたけれど、高校を出たあたりより、中古レコードでの収集を始め、それから集めたものが主にになっています。 そして、この「20才」のアルバムも日本橋のワルツ堂で買求めたものだと記憶しています。

南沙織さまは、1971年に「17才」でデビュー、1978年の「グッバイガール」で引退。 わずか8年の現役生活でした。 しかし単なるアイドルとして8年で終わったのではなく、8年間の成長を垣間見せつつ、人生の次のステップに卒業されていった、そんな彼女の奇蹟に惹かれるものを今でも持っています。

彼女のアルバムを追いかけてゆくと、デビュー盤の「17才」から、1974年の9作目「夏の感情」までがアイドル路線でしょう。 1973年の「傷つく時代」や1974年の「夏の感情」ではバックに細野晴臣率いるティン・パン・アレーの起用などサウンド面でのテコ入れもありました。

この「20才」のアルバム、これまでの作詞:有馬三恵子、作曲:筒美京平から離れ、作詞に松本隆も起用した転換点のアルバム。 この後、単身アメリカのロス・アンジェルスに渡って録音した「Cynthia Street」(当時ロス録音などニューミュージック系もやってません)からアイドルとは距離を置いたシンガーになっていったと思っています。

さてこのアルバムに戻ると、冒頭の「田園交響楽」からこれまでのアルバムと雰囲気が違います。 この曲は名曲ですね。 つづく「フラワー・ショップ」もいい歌ですが、シングルカットされた有馬・筒美コンビの「夜霧の街」。 これは有名でいい曲ですけれど、忘れていけないのはシングルB面となった同コンビによる「青春が終わる日」がまた素晴らしい。 今思うと、これらはアイドル路線からの決別の歌かもしれません。

アルバムB面には、このまでのアルバム同様にアイドルの持ち歌補充用用のカバー曲「誰も知らない」「さらば恋人」「あなたならどうする」「夏しぐれ」が入っていますが、しかしこれとてシンガーとして見事に歌いこなして、これまでのアイドルの片手間仕事の域ではありません。

またこのアルバムが発売された 1974年12月10日のあとの12月21日、シングル盤として発売され後のアルバムには収録されなかった名曲「女性」「人のあいだ」も発売されています。 まさしく転換点だったように思わざるを得ません。

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P5052766 posted by (C)fronte360

side A
 田園交響楽
  作詞:松本隆、作曲・編曲:馬飼野康二
 休日の午後
  作詞:さいとう大三、作曲・編曲:萩田光雄
 卒業
  作詞:松本隆、作曲・編曲:馬飼野康二
 青春が終る日
  作詞:有馬三恵子、作曲・編曲:筒美京平
 フラワー・ショップ
  作詞:さいとう大三、作曲・編曲:萩田光雄
 夜霧の街
  作詞:有馬三恵子、作曲・編曲:筒美京平

side B
 粉雪の慕情
  作詞:ちあき哲也、作曲・編曲:水谷公生
 冬の星座
  作詞:ちあき哲也、作曲・編曲:水谷公生
 誰も知らない
  作詞:岩谷時子、作曲:筒美京平、編曲:あかのたちお
 さらば恋人
  作詞:北山修、作曲:筒美京平、編曲:あかのたちお
 あなたならどうする
  作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、編曲:あかのたちお
 夏しぐれ
  作詞:松本隆、作曲:筒美京平、編曲:あかのたちお

なお、このアルバムの以下の曲の前に南沙織さまのナレーションがついています。 これがまたジーンとくるんです。

■ 田園交響楽
  20才(はたち)になったと人は言うけれど、私は私、
  今まで生きて来たように、生きていくしかないし・・・・・
  でも、ちょっぴり変わったとしたら、ひとりぼっちが辛いことね。

■ 卒業
  振り向いて生きちゃだめね、いくつか悔いは残るけど、
  これが私のせいいっぱいの青春なの。

■ 夜霧の街
  20才(はたち)の駅に立ち、果てしない線路を見つめています。
  どんな旅が始まるのでしょう。
  もうここからは、ぬきさしならないほんとうの人生という感じです。


posted by fronte360 at 22:33| Comment(0) | 17〜20-POPs全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バーンスタイン/NYP、ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番

新型コロナで緊急事態宣言が出ていますので、せめてお家で良い音楽を♪

圧倒的な演奏へと回帰、カラヤンの対抗馬ならば、バーンスタインでしょう。
圧倒的な「春の祭典」に続くのは、ショスタコーヴィッチの交響曲第5番。 終楽章の冒頭で「部長刑事」を思い出す世代ですが、ここを何の衒いもなく圧倒的な速さで駆け抜けるのが、1959年録音の演奏です。

手元には 1979年7月に東京文化会館で録音されたCDもありますが、単純にCDの収録時間を比較すると、以下のようになっています。

 1959年録音 第1楽章 16:16、第2楽章 4:56、第3楽章 15:35、第4楽章 8:56
 1979年録音 第1楽章 17:41、第2楽章 5:20、第3楽章 16:09、第4楽章 10:11

「ヴォルコフの証言」以降、この曲の終楽章への解釈が云々されますが、バーンスタインはこれと関係なく1979年録音も速い演奏なのですが、1959年録音の速さちょっと異常とも思えますね。

どちらが好きな演奏かというと、個人的には曲に対する深みを感じさせる 1979年録音の方が好きかな。 1959年録音も先に「春の祭典」で述べた、高機能なニューヨーク・フィルを得て、若いエネルギーを発散し、一直線に自分の演りたいことを具現化しているような演奏で、捨てがたいところですが。

なおオーケストラはともにニューヨーク・フィルですが、時代も違うので別のオケですね。
バーンスタインはニューヨーク・フィル在任中に一人のクビも切らなかったので、ミトロプーロスが鍛え上げたオケを消費する一方で、後年になるとオケの機能が落ちているのが録音でも分かりますよね。 後任のブーレーズが年寄団員の大幅なリストラをやって鍛え直し、東京文化会館で録音された1979年当時はズビン・メータの時代、彼も管楽器奏者の世代交代を積極的に進めていました。

1959年録音のショスタコーヴィッチの交響曲第5番にカプリングされているプロコフィエフの古典交響曲が 1968年録音。 バーンスタインの志向から考えるとウィットに富んだ古典交響曲って相性が良さそうな作品だと思うのですが、オケの機能が精緻ではなくなっているからでしょうか、太い筆の一筆書きのような演奏じゃないでしょうか。 これはこれで愉しさを全面に出した味わいを感じますけれど。

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ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番 ニ短調 op.47
プロコフィエフ/交響曲第1番 ニ長調 op.25 「古典交響曲」
 レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
  録音:1959年10月(ショスタコーヴィッチ)
     1968年 3月(プロコフィエフ)

ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番 ニ短調 op.47
ショスタコーヴィッチ/チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 op.107 -*
 レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
  録音:1979年7月3,4日 東京文化会館・大ホール(LIVE)
 ヨーヨー・マ(vc) -*
 ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 -*
  録音:1982年5月3日 The Scottish Rite Hall, Philadelphia -*

posted by fronte360 at 01:00| Comment(0) | 20-LP/CD音楽(Classical) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする