2019年08月05日

高知散歩20190721_土佐赤岡絵金祭り:菅原伝授手習鑑・寺入りの段

今年も「土佐赤岡絵金祭り」に行ってきました! 5年連続6回目!!
例年7月第3土日が「土佐赤岡絵金祭り」ですが、天候不順のため
20日(土)は中止となって、21日(日)に行ってきました。

絵金蔵を鑑賞したあと、高木酒造の「ふるまい酒」を今年も升で頂き、
お向かいの弁天座に入って町民歌舞伎の鑑賞。 菅原伝授手習鑑です。

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寺入りの段
京の外れ、芹生の里にある源蔵の寺子屋では今日も近在から百姓の子供たちが集まり手習いをしているが、源蔵は村の集まりがあって留守にしていた。そんな中で姿をやつした菅秀才が、これもほかの子供とともに机を並べて手習いをしており、よい歳をしてへのへのもへじなど書いている十五のよだれくりを嗜めたりしている。そこへ、同じ村に暮らしているという女が子供を連れ、下男に机や煮染めの入った重箱などの荷を担がせて訪れる。戸浪が出てきて応対する。聞けばこの寺子屋に寺入り(入門)させたいとわが子を連れてきたという。子供は名を小太郎といった。戸浪は小太郎を預かることにし、母親は後を頼み隣村まで行くといって下男とともに出ていった。
(Wikipedia「菅原伝授手習鑑」より)

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よだれくり、いたずらが過ぎるので立たされています。
この「よだれくり」、かつてぼやき漫才の人生幸朗・生恵幸子のネタの中に
生恵幸子が「この、よだれくり」と人生幸朗をやり込める場面もありましたが、
菅原伝授手習鑑より採られていたのですね。

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P7212357 posted by (C)fronte360

寺子屋の段(つづき)
源蔵が帰ってきた。だがその顔色は青ざめている。ところが戸浪が小太郎を紹介すると、その育ちのよさそうな顔を見て機嫌を直した。戸浪は子供たちを奥へやり遠ざけ、源蔵になにかあったのかと尋ねると、ついに菅秀才捜索の手が源蔵のもとへ迫ってきたのだという。村の集まりというのは嘘で、行った先で待ち構えていたのは時平の家来春藤玄蕃と事情を知り尽くした松王丸であった。この村はすでに大勢の手の者が囲んでいる、この上は菅秀才の首を討って渡せと言われ、帰って来たのだった。
(Wikipedia「菅原伝授手習鑑」より)

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寺子屋の段(つづき)
もはや絶体絶命かと思われたが、しかし源蔵は小太郎の顔を見て、これを菅秀才の身替りにしようと考えたのである。もしこれが偽首と露見したらその場で松王はじめ手の者を斬って捨て切り抜けよう、それでもだめなら菅秀才とともに自害して果てようとの覚悟である。しかし今日寺入りしたばかりの子を、いかに菅秀才の身替りとはいえ命を奪わなければならぬとは…戸浪はもとより源蔵も「せまじきものは宮仕え」とともに涙に暮れるのであった。
(Wikipedia「菅原伝授手習鑑」より)

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posted by fronte360 at 01:00| Comment(0) | 19-高知散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする