2019年06月22日

大和四寺巡礼シリーズ3・岡寺

今日は飛鳥駅より岡寺目指して歩きます八分音符
暑いなぁ太陽
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2019年06月21日

大阪散歩20190531_新発見!!こんなところに有形文化財:愛染堂勝鬘院へ

5/31(金)、予定していた仕事が無くなったので会社を臨時休業として参加した
「鶴橋駅長お薦めフリーハイキング・新発見!!こんなところに有形文化財」
今年21回目となるハイキング参加記録です。

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金台寺より松屋町筋を南下し萬福寺の前に「新選組大阪旅宿跡」の碑

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 新撰組は幕末期、近藤 勇に統括された、京都を本拠とする浪士集団です。
 幕末の京都は、江戸にかわって久しぶりに日本の政治の中心地となっていました。
 それは、京都にあった一橋慶喜(禁裏御守衛総徳県摂海坊察指揮、のち15代将軍)松平容保(会津候、京都守護職)・松平定敬(桑名候、京都所司代)が、孝明天皇に強く支持されて権力を握ったからです。これを「一・会・桑 権力」と呼びます。
 その松平容敬に新撰組は所属し、「一・会・桑」の政敵、長州毛利家の志士たちと戦いました。元治元年(1864)、池田屋事件・禁門の変などで大きな軍功をたてたことはよく知られるところです。新撰組は「一・会・桑」を助けた最強軍事集団といえます。
 近藤勇らは、京都に本拠地をおくとはいえ、もともと畿内に滞在する将軍徳川家茂の護衛と、大坂を含む長い海岸線(摂海)の防衛に携わるために江戸より西上してきた者なので当初より将軍の大坂城滞在のときなどは、たびたび大坂に出張していました。
 その際に使用された旅宿のひとつが、ここ萬福寺です。
 たとえば幹部島田 魁の手記によれば、慶応元年(1865)5月、将軍家茂の3度目の西上にあわせて、新選組は大坂市中取締を命じられています。
 その時期の大坂奉行所の発した文書によれば、「壬生組」が萬福寺を宿所にしています。
 すでに同年3月、新選組の本拠地は、当初の葛野郡壬生村から西本願寺境内へ打合せ打合せ移っていましたが、この「壬生組」こそが新撰組のことと思われます。
 実際、同年7月1日付、幹部井上源三郎から兄井上松五郎に宛てられた書簡によれば、前月中に松五郎が萬福寺に源三郎を訪ねています。たまたまそのとき、源三郎は京都に戻っていて会えませんでしたが、この書簡からも大坂滞在中の新撰組の旅宿のひとつが萬福寺だったことがわかります。萬福寺の現在の建物のうち、庫裏や山門などは幕末期には存在しており往時をしのぶことができます。
 以上のことから、当所を大阪市内における新撰組史蹟のひとつとしてここに建碑し、顕彰したします。  
                      2010年6月
                      歴史地理史学者 中村武生

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松屋町筋を更に南下して愛染坂へ向かいます。 

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愛染坂を登ります。

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愛染堂勝鬘院に到着、さっそく中に入ります。

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多宝塔は、ようやく修復工事に入ったようですね。

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愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)
日本最初の社会福祉施設、施薬院(せやくいん)として建立されました。その施薬院で聖徳太子が勝鬘経(お経)を講義したことから勝鬘院と呼ばれます。境内には、豊臣秀吉が再建した多宝塔(国の重要文化財)や徳川秀忠が再建した金堂(府指定文化財)があり、金堂には本尊として良縁成就や夫婦和合で有名な愛染明王が奉安され、愛染堂としても親しまれています。また、小説「愛染かつら」のモデルになった縁結びの霊木「愛染かつら」が境内にあることでも有名です。
(ハイキング・パンフレットより)

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2019年06月20日

大阪散歩20190531_新発見!!こんなところに有形文化財:金台寺へ

5/31(金)、予定していた仕事が無くなったので会社を臨時休業として参加した
「鶴橋駅長お薦めフリーハイキング・新発見!!こんなところに有形文化財」
今年21回目となるハイキング参加記録です。

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谷町九丁目の交差点、左に上六のシェラトン都ホテルを見ながら南下

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生國魂神社(いくたまさん)にやってきました。

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今日はここには入らず、鳥居前を左に折れ、南下しますが・・・

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公園の角に石碑があるのを発見!

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左が「川崎孫四郎自刃の所」碑、右が「島 男也(しま おのや)旧居」碑

水戸藩士 川崎孫四郎
蔓延元年三月三日の水戸浪士による大老井伊直弼を天誅の桜田門外の変後、大阪挙兵を図り幕吏に追われ二十三日この地で自刃す
笠間藩士 島男也
大阪挙兵の謀議のため爆りに捕われ江戸伝馬町獄にて死没

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詳細はここが詳しいです ⇒ http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage407.htm

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花やさんの前を通って右折すると、源聖寺坂

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坂を下りきった左角にあるのが、金台寺(こんだいじ)

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中に入れないので、門より失礼して境内を撮影

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金台寺(こんだいじ)
1656年(明暦2年)創建といわれる浄土宗の寺院で、浄土宗寺院の本堂としては大阪市内では最古といわれ、本堂の天井には火事除けの水を司る龍の彫刻が彫られており、現在まで度重なる戦火や大火を逃れ被害を受けずに当時のままの姿を残しています。伽藍の建築群や平安〜鎌倉時代の多数の仏像は大阪市の有形文化財に指定されています。
(ハイキングのパンフレットより)

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2019年06月19日

大阪散歩20190531_新発見!!こんなところに有形文化財:久本寺

5/31(金)、予定していた仕事が無くなったので会社を臨時休業として参加した
「鶴橋駅長お薦めフリーハイキング・新発見!!こんなところに有形文化財」
今年21回目となるハイキング参加記録です。

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P5311910 posted by (C)fronte360

久本寺(くほんじ)
久本寺は大阪城南側と四天王寺の間にある寺町のひとつである谷町筋八丁目寺町の中ほどに位置する日蓮宗寺院である。番神堂は境内の除厄守護の諸神を祀る堂。1間社流造りで、正面に千鳥破風・唐破風の向拝を付ける。17世紀後半の建築であり、建物の各部を飾る彫刻などの装飾が特徴である。向拝の正面を飾る兎を彫刻した蟇股、その両側に配された唐獅子は建物の正面性を強調し、その奥の身舎部分に配された蟇股や、向拝柱よりも幅を狭めた高欄はパースペクティブな効果をあげている。その他、妻飾りの鬼面を彫刻した大瓶束や孔雀を彫刻した蟇股、龍・象・獅子・浪などの木鼻の彫刻、支輪の彫刻なども華やかさを演出している。多種多様な装飾を破綻なくまとめた技量は極めて高いものであり、この時期における大阪大工の到達点をしめすものということができる。
(大阪市ホームページ・指定文化財「久本寺番神堂」より)

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神社の本殿と同じ造りです。

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近くで見てみました。 拝殿(?)の方に入り込んで、正面。

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象さん、木鼻(きばな)ですね。

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側面から眺めます。

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隣には梵鐘

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よ〜く見ると・・・
日本相撲協会理事長 時津風定次、理事 二所ノ関勝巳、横綱 大鵬幸喜
なんて書かれてますね。 こちらも、個人的には、見所でしたね。

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本堂
そろそろ次に向かうことにします。 今度は谷町筋を南下します。

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2019年06月18日

大阪散歩20190531_新発見!!こんなところに有形文化財:久本寺へ

5/31(金)、予定していた仕事が無くなったので会社を臨時休業として参加した
「鶴橋駅長お薦めフリーハイキング・新発見!!こんなところに有形文化財」
今年21回目となるハイキング参加記録です。

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産湯神社を出て西に進みます。
すると、交差点の角にハイキングマップにも載っていない石仏と石碑を発見!

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伝光寺跡だそうです。

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梅川・忠兵衛の供養塔
大和・新口村の小百姓四兵衛の息子・清八が大坂淡路町にあった飛脚屋に養子に出て、亀屋忠兵衛と名乗っていたが、1709年(宝永6年)新町・槌屋の遊女梅川に通い詰め、店の金を使い込んでいた。
おまけに梅川を身請けするため、店に届けられていた300両の公金まで、手につけてしまい、2人は忠兵衛の生まれ故郷の大和・新口村まで逃亡し、実家近くの大和・上里村(現・香芝市)の親類宅に潜んでいるところを御用となり、刑場の露と消えた(一説には牢死したともいわれる)。
この話を近松門左衛門が1711年(正徳元年)浄瑠璃の「冥土の飛脚」としてに脚色し、名作となった。その後、紀海音が歌舞伎の「恋飛脚大和往来」に脚色している。
大阪市天王寺区城南寺町の一角、せいぜい20平米足らずの空き地に、「梅川・忠兵衛の墓」がある。
これらの墓は安政年間(1854〜60年)に建てられたとのことで、右側の忠兵衛の墓は「妙法頓覚利達」と刻まれ、左側の梅川の墓には「梅室妙覚信女」とある。どちらの墓もかなり痛んでいる。
「梅川・忠兵衛の墓」は戦前までは「伝光寺」というお寺があったが、1945年(昭和20年)3月の空襲で全焼した。
その後、1952年(昭和27年)にこの伝光寺と起善寺、本覚寺の3寺が合併し、顕祥寺として同じ城南寺町内に創建されている。
お地蔵さんの横にある立派な墓は福田金塘の墓。
福田金塘は江戸時代の後期の数学者で天文暦数を修め土御門家に仕えた。今橋に私塾を開き、門下生は数千人に及んだという。
1807年(文化4年)大坂で生まれ、1858年(安政5年)52歳で没した。
(大阪再発見・史跡「梅川・忠兵衛の供養塔」より)

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更に西に向かって歩いてゆくと、東平北公園に薄田泣菫の文学碑がありました。

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そしてこの公園には「甦えるわが町」の石碑もありました。

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戦災復興土地区画整理事業の完成を記念して建てられた石碑です。
大阪市内のあちこちに石板だったり石碑があるみたいですね。

ここより更に西に進み、タイトルにある「有形文化財」のあるお寺に到着。

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久本寺と書いて「くほんじ」と読むのだそうです。



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2019年06月17日

大阪散歩20190531_新発見!!こんなところに有形文化財:産湯稲荷

5/31(金)、予定していた仕事が無くなったので会社を臨時休業として参加した
「鶴橋駅長お薦めフリーハイキング・新発見!!こんなところに有形文化財」
今年21回目となるハイキング参加記録です。

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味原地区や小橋地区を開いた「大小橋命(おおおばせのみこと)」が
産湯に使った「玉の井」という井戸があります。 だから産湯稲荷社です。
本殿前のちょっと下がったところにあります。

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ずいっと先に進むと、井戸のポンプ

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その先にはお不動さんが祀られていました。

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ここから来た方向を見るとこんな感じ。

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そろそろ次に向かうことにして、境内の鳥居の所に戻ります。
その脇にある祠が2つ。

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向かって右側の祠に注目

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稲荷社なのにタヌキが祀られているのですね。
なお大阪では「タヌキ」と言わず「タノキ」と呼んでいた・・・
大阪ではキツネよりもタノキが身近であった・・・
先日亡くなった田辺聖子さんの小説に書いてあったような気がします。

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とにかく先を急ぐことにしました。



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2019年06月16日

(2019年)7月の関西アマオケコンサート情報(追加)

2019年7月に、京阪神で開催されるアマオケ関連の演奏会について追加投稿します。

※6/16(追加)
 7/6:近畿大学文化会交響楽団 第49回プロムナードコンサート
 7/20:京都堀川音楽高等学校 第46回オーケストラ定期演奏会

我太呂さんより情報いただきました。 いつもありがとうございます。

 
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2019年06月15日

大和三山を眺めて「おふさ観音」・天香久山神社

天から降って来たので、大和三山でここだけ「天」がついているのだとか?
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大和三山を眺めて「おふさ観音」・畝傍山

天の香久山中腹より畝傍山がキレイに見えました八分音符
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大和三山を眺めて「おふさ観音」・藤原京跡

広大ですね!
晴れてきたけど、風が強い!
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