
2019年05月02日
奈良散歩20190420_奈良大和四寺巡礼シリーズ(1)安倍文殊院:忍坂坐生根神社
今年16回目の近鉄ハイキングへの参加記録。
近鉄万歩ハイキング「奈良大和四寺巡礼シリーズ(1)安倍文殊院」
近鉄大阪線・大和朝倉駅より桜井の安倍文殊院目指して歩きました。

P4201380 posted by (C)fronte360
大和朝倉駅に降り立つのは初めて・・・
というか、ハイキングに参加するまでこんな駅あったのかも知りませんでした。
いわゆる新興住宅地の駅みたいですね。 しかし駅を出て吃驚、長蛇の列!!

P4201377 posted by (C)fronte360
30分近く並んで、ようやく地図と飲み物とポイントをゲット!

P4201378 posted by (C)fronte360
大塚製薬が協賛していたようでスポーツドリンクを1本頂けて、
また近鉄のKipsカードを持っているあみま倶楽部会員には100pointを付与、
ハイキングに参加して100円相当のポイントが頂けるとあっての混雑でした。

P4201379 posted by (C)fronte360
とにかくスタートでっせ。

P4201383 posted by (C)fronte360
朝倉の住宅地を抜けて歩いてゆきますと、だんだん田舎らしくなってきました。
忍坂(おっさか)街道

P4201384 posted by (C)fronte360
神社が出てきました。

P4201385 posted by (C)fronte360
忍坂坐生根神社(おっさかにいますいくねじんじゃ)
創建年代は不詳だが、天平2年(730年)の『大和国正税帳』に「生根神戸」、大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』に「生根神一戸大和」と名前が見えることからそれ以前からの創建と見られる。『延喜式神名帳』では大社に列し、月次・新嘗の奉幣に預ると記されている。江戸時代には単に「生根神社」と称しており、磐座もあることから移転することなくこの地で祭祀されていたとされる。かつては神宮寺として元禄2年(1689年)に建立された石井寺薬師堂があった。
(Wikipedia「忍坂坐生根神社」より)

P4201386 posted by (C)fronte360

P4201387 posted by (C)fronte360

P4201388 posted by (C)fronte360
当社は、天平ニ年(730年)の『大倭国正税帳』に、また延長5年(927年)の『延喜式内社』にも名前がみえる古社で、本殿を持たず宮山をご神体とし拝殿の北側に神が鎮座する『石神』と称する自然石十数個を並べた『岩蔵』があります。
ここ忍坂の地は、隅田八幡宮所蔵の国宝・人物画像鏡に刻まれた「意柴沙加宮(オシサカノミヤ)」の地ともされ、第二十六代継体天皇が磐余玉穂宮に即位される以前におられた処とされています。
また忍坂大中姫命や衣通姫(ソトオリヒメ)が居られたとも伝わり、「大和志料」には額田部氏(ヌカタベ)の祖・天津彦根命を祀るとも記され、平安時代の医書「大同類聚方」に、当社相伝の「以久禍薬」(イクネノクスリ・額田部連の上奏)のあることを伝えています。その薬の製法は昭和の初期まで伝わり、また額田部氏が居住したとするこの地は、額田王と鏡女王姉妹との繋がりや、息長足日広額天皇(オキナガタラシヒ ヒロヌカ・第二十三代舒明天皇)の陵墓があることから、息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。
拝殿への石段の左右には境内社の「新女神社」と「愛宕神社」を、北側には「天満神社」を祀ります。石灯籠二十四基の最古のものは拝殿下左右の延寶二年(1674年)、正面登り口の石橋は正徳ご縁(1715年)の刻銘があります。また年代不詳の陰陽石が一基あり。静かに村の安全と繁栄を見守っています。
平成二十三年 桜井市忍坂区
近鉄万歩ハイキング「奈良大和四寺巡礼シリーズ(1)安倍文殊院」
近鉄大阪線・大和朝倉駅より桜井の安倍文殊院目指して歩きました。

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大和朝倉駅に降り立つのは初めて・・・
というか、ハイキングに参加するまでこんな駅あったのかも知りませんでした。
いわゆる新興住宅地の駅みたいですね。 しかし駅を出て吃驚、長蛇の列!!

P4201377 posted by (C)fronte360
30分近く並んで、ようやく地図と飲み物とポイントをゲット!

P4201378 posted by (C)fronte360
大塚製薬が協賛していたようでスポーツドリンクを1本頂けて、
また近鉄のKipsカードを持っているあみま倶楽部会員には100pointを付与、
ハイキングに参加して100円相当のポイントが頂けるとあっての混雑でした。

P4201379 posted by (C)fronte360
とにかくスタートでっせ。

P4201383 posted by (C)fronte360
朝倉の住宅地を抜けて歩いてゆきますと、だんだん田舎らしくなってきました。
忍坂(おっさか)街道

P4201384 posted by (C)fronte360
神社が出てきました。

P4201385 posted by (C)fronte360
忍坂坐生根神社(おっさかにいますいくねじんじゃ)
創建年代は不詳だが、天平2年(730年)の『大和国正税帳』に「生根神戸」、大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』に「生根神一戸大和」と名前が見えることからそれ以前からの創建と見られる。『延喜式神名帳』では大社に列し、月次・新嘗の奉幣に預ると記されている。江戸時代には単に「生根神社」と称しており、磐座もあることから移転することなくこの地で祭祀されていたとされる。かつては神宮寺として元禄2年(1689年)に建立された石井寺薬師堂があった。
(Wikipedia「忍坂坐生根神社」より)

P4201386 posted by (C)fronte360

P4201387 posted by (C)fronte360

P4201388 posted by (C)fronte360
当社は、天平ニ年(730年)の『大倭国正税帳』に、また延長5年(927年)の『延喜式内社』にも名前がみえる古社で、本殿を持たず宮山をご神体とし拝殿の北側に神が鎮座する『石神』と称する自然石十数個を並べた『岩蔵』があります。
ここ忍坂の地は、隅田八幡宮所蔵の国宝・人物画像鏡に刻まれた「意柴沙加宮(オシサカノミヤ)」の地ともされ、第二十六代継体天皇が磐余玉穂宮に即位される以前におられた処とされています。
また忍坂大中姫命や衣通姫(ソトオリヒメ)が居られたとも伝わり、「大和志料」には額田部氏(ヌカタベ)の祖・天津彦根命を祀るとも記され、平安時代の医書「大同類聚方」に、当社相伝の「以久禍薬」(イクネノクスリ・額田部連の上奏)のあることを伝えています。その薬の製法は昭和の初期まで伝わり、また額田部氏が居住したとするこの地は、額田王と鏡女王姉妹との繋がりや、息長足日広額天皇(オキナガタラシヒ ヒロヌカ・第二十三代舒明天皇)の陵墓があることから、息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。
拝殿への石段の左右には境内社の「新女神社」と「愛宕神社」を、北側には「天満神社」を祀ります。石灯籠二十四基の最古のものは拝殿下左右の延寶二年(1674年)、正面登り口の石橋は正徳ご縁(1715年)の刻銘があります。また年代不詳の陰陽石が一基あり。静かに村の安全と繁栄を見守っています。
平成二十三年 桜井市忍坂区