2019年の14回目、大阪阿部野橋駅長お薦めフリーハイキング
「春の上町台地・天王寺七坂をぶらり旅」のため阿部野橋駅東口より出発。
四天王寺・東大門を抜けて北上します。
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五條宮
四天王寺建立の折、医療病院の鎮護として医道の祖神五条大神・少彦名命を祀る。 後、敏達天皇社と改められ、東成郡五条村の鎮守となり、鬼門・火災除けの神としても信仰された。敏達天皇が皇太子のときに居住した邸跡という。
明治5年(1872年)、村社に列し、大正4年(1915年)6月、神饌幣帛料供進社に指定される。
(Wikipedia「五條宮」より)
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ここには入らず左折してからまた北上、
大阪国際交流センター前の公園のサクラは3分咲きくらいだったでしょうか。
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大通りに出て、今度は左折、生國魂神社(いくたまさん)に到着です。
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大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷座されている。
この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即位儀礼の1つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた重要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。また、同様に大坂城地から遷座されたという久太郎町の坐摩神社とともに、難波宮との関わりも推測されている。その後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられた、大阪の代表的な古社の1つである。
(Wikipedia「生國魂神社」より)
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米澤彦八の碑
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初代 米沢 彦八(よねざわ ひこはち、生没年不詳)は、江戸時代(元禄から正徳)中期の上方の落語家。一部書籍では1714年7月14日(正徳4年6月3日)に興行先の名古屋で死去したとされている。本名は不明。豊笑堂と号す。
大道に床几を据えるだけの文字通りの辻咄から生玉神社(いくたまじんじゃ、現在の生國魂神社)境内の小屋に、大道芸人が技を競いあい大いに賑っていた。そのなかで彦八は人の足を止めて注目させるため、「当世仕方物真似(しかたものまね)」の看板を出して興行している。
(Wikipedia「米沢彦八」より)
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織田作之助の銅像
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井原西鶴の銅像
静かな境内を出ることにします。